岡村 淳
かつて日本で「イルカ自然塾」(仮称)というイルカ愛好者の集いに招かれたことがあります。私が取材で関わったブラジルのイルカについてのお話をするためでした。 この時のメインの話は、先回ご紹介した、ブラジル南部で行なわれている「イルカによる魚の追込み漁」についてでした。しかし「イルカなみに」サービス精神旺盛な私は、他にもイルカオタクの皆さんに喜んでもらえる話はなかったけな?と諸々の取材体験を振り返ってみました。 とっておきのがありました。アマゾンで知られるイルカ伝説と、なまなましく現地で関わってしまったことがあるのです―― アマゾン河には、淡水に適応した2種類のカワイルカが生息しています。現地ではそれぞれboto、および tucuxiと呼び分けられています。Boto の方は鮮やかなピンク色の体色で、アマゾンカワイルカという和名があります。Tucuxiの方は灰白色で、和名はコビトイルカといいます。 満月の夜、イルカが若い美男子に変身して陸に上がり、岸辺にいる少女を誘惑する――というアマゾンの伝説をご存知でしょうか? 真偽の程はともかく、アマゾンの村役場では出生登録の時に赤ちゃんの父親が誰だかわからないと、父親の欄に「イルカ」と書かれるという小話はブラジルでよく耳にします。 さて実は私、アマゾン奥地の取材を繰り返しているうちに、今も生きるイルカ伝説の世界を垣間見てしまったのです…… 私はこれまでにアマゾンの大逆流「ポロロッカ」の取材を、日本のテレビクルーのディレクターとして3回行なっています。その2度目の取材で、河口北部の島嶼部を訪ねた時のことでした。 幅300キロメートルにおよぶ大アマゾンの河口には、日本の九州島より一回り大きいマラジョー島を始め、大小たくさんの島々が散りばめられています。 ポロロッカは、月の引力が地球に作用して生じる潮の干満のために起こる現象です。河口部のある島をベースとした私の取材班は、ポロロッカと同じく月にまつわるエピソードとして、アマゾンのイルカ伝説のことを現地で調べてみました。 当時の私は、そもそもこのイルカ伝説は、かつて日本の田舎で語られていたキツネやタヌキなどの動物に化かされたといった類の民話と同じようなものだろうと思っていました。ところが、です。 私とスタッフたちは、軽い気持ちで村人たちにイルカの話を聞いてみました。するとたちまち表情が険しくなり、口をつぐんでしまうのです。言葉少なく、「イルカのヤツは人をたぶらかして、怪しからん…」と言い捨てる人もありました。何か、ありそうです。 地元の少女に近くを案内してもらい、二人で歩いていた時でした。小柄な子で、日本なら小学校低学年ぐらいの背丈でしたが、10歳になるといいます。少女の家には母親と少女の兄弟たちはいるのですが、父親らしい人は見たことがありませんでした。 少女が突然、こんなことを言い出しました。「あたしのパパイはイルカなの」――私は最初、何のことかわからず、彼女のポルトガル語を頭の中で反芻してようやく意味がつかめました。あまりのことに「あ、そうなんだ」と相槌を打つぐらいしかできませんでした。 父親のいない少女に、母親がこう言い聞かせていたのでしょうか。あるいは村人たちがそんな噂をしているのを、少女が本気にしたのでしょうか。 さて実際に「イルカが人をたぶらかす」という話をビデオカメラに向かってしてくれる人を探してみると、なかなか容易ではありませんでした。すると今回、リサーチャーを引き受けた日系二世のエリーザ嬢が、絶妙なおばさんを探し出してきました。 ライムンダさんというその女性は、自分の身内がイルカに化かされたという「実話」を詳細かつ面白おかしく披露してくれたのです。 ――イルカに目をつけられちゃったら、もう運の尽きね。イルカは、その人の恋人や連れ合いに化けて現れるんだから。 そう、私の身内もやられちゃったのよ。私のオバが。 オジは、よく旅をする人でね。オジの留守中、オバはよく川岸に出て、いつ帰って来るかとじっと待ち続けたそうなの。 オバの母、つまり私の祖母は「そんなこと、やめておいた方がいいよ」って忠告したんだけど、オバは聞かなかったのよ。 ある日の昼寝時、祖母はオバが誰かと話しているのを聞いたそうなの。変に思って声をかけると、オバは「夫が帰って来たの」と言ったんだって。 祖母がのぞいてみると、オバはイルカと一緒だったの。イルカ男よ。 それ以来ほとんど毎日、イルカ男が出入りするようになったの。祖母が言っても、オバは聞く耳を持たないのよ。イルカ男は「愛のしぐさ」まで、オジそっくりにしていたんだって。祖母はお祈りやおまじないもやってみたんだけど、イルカ男の出入りを止めることはできなかったそうなの。 そしてオジが帰って来たのよ。祖母から事情を聞いたオジは「イルカ男め、いつか女房へのサービスのお返しをするぞ」と言って、オバを二年ほど別の土地に住まわせたの。 オジはそれから再びオバを祖母のところに連れ戻して、旅に出るようになったの。すると、またイルカ男がやって来たのよ。 「ご無沙汰だねぇ。君は恩知らずなんだな。僕はまた君に『愛の証』を捧げに来たんだよ」、そう言ってまたイルカは通い続けたの。 その後、またオジが帰って来て、祖母からイルカ男のことを聞いたのよ。 「今度こそオレがイルカ男に『愛の証』を捧げてやるぞ!」、オジは怒り狂ったわ。 何日かして、オジは材木の伐り出しで森に入ったの。ちょうど満月の時だったのね。川に目をやると、波間にイルカがいたのよ。いかにも人を馬鹿にしたように、たわむれていたんだって。 「この野郎、よくも女房を楽しませてくれたな。今度はオレがお前を喜ばせてやる番だ!」、オジは猟銃を構えてイルカに弾を見舞ったのよ。 撃たれたイルカは川面を跳ねながら、向かいのマラジョー島の方に消えて行ったそうよ。 それから二度とイルカ男が現れることはなかったわ。 えっ? あんた、イルカが化けた恋人に会ってみたいって? それならね、満月の晩にピチンガの実で作ったお椀を川岸で叩いてご覧なさい。次の次の満月の時に、お出ましになるわよ。 女の人には色男に化けたイルカ、男の人には美女に化けたイルカがね。 イルカの魔力は大変なものなのよ。赤ちゃんだってできるんだから。でも、あたしはご免だわね。いくらサービスしてもらったって、ハンサムなイルカ男は結構だわ。不細工なうちの亭主で、間に合わっているわよ―― イルカ伝説の生きるアマゾン奥地の川辺の村は、テレビもコンビニもありません。我々のような町の人間から言わせてもらうと、毎日の生活にこれといった変化も刺激もない退屈なところです。そもそも地元の人間が退屈していることがうかがえます。そんなところに、未知の文明への幻想をかき立てる放浪者が登場すれば、地元の若者との間につかの間の熱愛が燃え上がるのは、たやすいことでしょう。そんな恋愛の後始末に「イルカ伝説」が機能しているように思えるのです。 私もネがキライではありませんが、こうした場所ではひたすら無粋に取材に徹することにしています。アマゾンに日系のイルカの子が誕生、なんて新たな伝説が生まれたら、たまりませんから―― ――こんな話をイルカ愛好家の皆さんに披露してみました。場は妙にしんとしてしまい、これといった質疑もなく、そのまま酒席となりました。 アルコールが進むなか、私はメンバーの一人から意外な話を打ち明けられたのです。イルカマニアのなかには、イルカと共に遊泳するのを楽しみにする人も多いといいます。ところが最近の若い女性は泳ぎだけでは飽き足らず、イルカと水中で性の営みをエンジョイしている人までいるらしい、というのです。 面白すぎる話です。両者の体の構造上、そんなことが可能なのかと問い質してみました。水中の場合、メスイルカと人間の男性ではむずかしいが、オスイルカと人間の女性なら可能だろう、という答えでした。 こんなことを知ってしまうと、アマゾンのイルカ伝説もまた別の色彩を放ってきます。 私は大逆流ポロロッカが過ぎ去った後の、満月が妖しく映える夜のアマゾンの川面を思い浮かべました。 物憂げな少女が岸辺にたたずんでいます。 すると、たくましい呼吸音と共にピンク色の背びれが川面に屹立しました。 月明かりを浴びた少女はルナチックに微笑みながら、身を水に任せます。 そして―― 私はアマゾンの女性たちのヒミツのなかに、図らずも立ち入ってしまったことを後悔しています。 |
オーパ No.153 1996年 改稿(2005年)
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