[岡村淳 ブラジルの落書き HOME] [星野智幸アーカイヴズ]


インディオ500年の孤独 「私は白人を殺した」

岡村 淳



  発端はイギリスのテレビ局が放送したドキュメンタリー番組でした。
  エクアドル領アマゾンの密林に住むインディオ部族の記録です。近年まで文明と接触のなかったこの部族は、自分たちに宣教をしようとやってきたキリスト教のミッションチームを殺害してしまったのです。
  番組の圧巻は襲撃を率いたインディオのリーダーへのインタビューでした。小柄なインディオのおっさんがモンゴロイド特有のニタニタ笑いをしながら語ります。セスナ機で乗り込んで来た白人の宣教師どもをどのように襲って殺したかを身振り手まねを混じえながら詳細に、そして得意げになって説明するのでした。
  半可通な私たちの知識や価値観を覆すインパクトのある映像でした。これこそドキュメンタリーの醍醐味といえるでしょう。
  この作品は日本のテレビドキュメンタリーの草分けとして知られる我が大プロデューサーの制作意欲を深くそそりました。
 「よし、ウチでもやるか!」

  一九八〇年代のはじめ、私は日本でドキュメンタリー番組制作会社に勤めており、最年少の番組ディレクターでした。担当番組の売り物は「大アマゾン」シリーズです。これまでにインディオの奇祭から密林に潜むナゾの部族との初接触作戦まで、さまざまな「裸族もの」をお茶の間に提供して定評を得ていました。
  長らくアマゾン取材を担当してブラジルの日系社会でもよく知られていた豊臣靖ディレクターが病没してしまい、今後の大アマゾンシリーズをどう立て直すか、という時期でした。
  大プロデューサーはインディオによる「白人」殺害事件と当事者の証言の取材をブラジルで行なうことを私の先輩ディレクターに命じました。先輩が事前調査をして企画をたて、私と二班に分かれてブラジルのアマゾン各地を取材することになったのです。
  これが私のブラジル、そしてインディオとのご縁の始まりです。

  私と日本からのカメラマン、そして日系二世の通訳兼助手の三人の取材班はアマゾン河中流の都市マナウスを訪ねました。
  一九七〇年代、ブラジル政府はアマゾナス州の州都マナウスと北隣のベネズエラを結んでカリブ海に達するパンアメリカン・ハイウェイの一部をなす国道一七四号線を築工する計画を立てました。しかし計画されたルートは「凶暴」として知られていたインディオ、ワイミリ・アトロアリ族の居住地を貫通することになってしまいました。国策として道路の工事を急ぐブラジル工兵隊に協力せざるをえないFUNAI(国立インディオ基金)の職員と、インディオの間で何度も衝突事件が起こりました。そして「ブラジル側」だけで数十名の犠牲者を出すことになったのです。
  今日、国道一七四号線脇にはブラジル側の死亡者の名前が刻まれたモニュメントが建てられています。曰く「彼らの死は決して無駄ではなかった」――
  これまでナメクジだ、毒ヘビだといったゲテモノ取材ばかり命じられていた私に、しかも初めて訪ねるブラジルでいきなりデリケートかつ重苦しい取材があてがわれてしまいました。私の取材班は熱帯の陽射しにうだるマナウスの街で、インディオに殺された人たちの遺族を訪ねてまわりました。
  犠牲者の多くはFUNAIの下級職員や臨時雇用者でした。遺族の住所を訪ねていくと、町はずれのドブ川沿いや谷底のゴチャゴチャした雑居地ばかりです。そもそも所番地が不明瞭で、探し当てるのにひと苦労でした。
  この以前にフィリピン奥地での漁村の取材が長かった私には貧しく衛生的ではない生活にさほど違和感も抵抗もありませんでしたが、私たちはマナウスのファベーラ(スラム街)のなかを迷い歩いていたのです。
  一家の大黒柱や愛する子供の命を奪われながら当局からの保障もほとんどなく、ファベーラに住まざるをえない遺族の窮状がありました。
  ようやく訪ね当てた遺族たちに、私は軽薄なテレビ屋らしい質問を繰り返しました。
 「あなたは最愛のご家族を殺したインディオのことをどう思っていますか?」 学歴もなく社会的にも恵まれない遺族の人たちは、ぶしつけな異邦人の質問に丁寧に答えてくれました。
 「弟が殺されたことを知り、私は銃を持って何度もインディオたちをひとりでも多くぶち殺しに行ってやろうと思ったものです。しかしだんだん頭がさめてくると、そもそも昔から住み続けた森を追われて、開発者たちに女たちを暴行され、仲間をなぶり殺しにされてきたインディオも、いやインディオこそ本当の犠牲者だと気づくようになったのです――」
 「父が殺された時、まだ子供だった僕は『母さん、ライフルを買って! インディオたちを殺して仕返しするんだ!』と母に泣きじゃくったものです。インディオの血を引く母の悲しそうな顔を覚えています。その僕がこともあろうに今やFUNAIで働くことになってしまいました。インディオと親しくなるにつれて、彼らから学ぶことが多いのにびっくりしています――」
  インディオとの衝突事件から十年。遺族たちから政府側を非難する声は多く聞かされたものの、インディオたちに対する呪咀の声はついに耳にすることはありませんでした。
  絶望のなか、社会の最底辺で生きる遺族たちのヒューマニティに私は深く心を打たれました。しかし当時のテレビ番組はそんなものを要求してはいなかったのです。

  ワイミリ・アトロアリ族はブラジル当局との抗争のあと、再び密林深くに潜伏してしまいました。しかしこの二年ほど前より新たにFUNAIが開始した接触活動に応じて姿を現わし始めたのです。
  私たちはFUNAIのポスト(ベースキャンプ)を訪ねました。かつての襲撃事件に加担したインディオの証言を取材することが最大の目的です。
  ポストのチーフは私たちの意図を知ると、強い口調で言いました。
 「私たちとワイミリ・アトロアリは今でも緊張関係にある。私たちは常に彼らの襲撃に備える体制をとっている。私たちの基本方針は、決してかつての事件のことを持ち出したり問い詰めたりしないことである。もしあなたたち取材班が軽はずみな行動をすれば、私たちの活動を台無しにするばかりか職員の命すら危なくすることを肝に銘じていただきたい」
  もっともな話です。しかしテレビ屋というのは、できないことをなんとかするのが仕事といわれています。
  そして私の力量でなんとかOKとなったのは、FUNAIのワイミリ・アトロアリ再接触作戦チームとインディオたちが、ようやくかなった再会を喜び合う劇的な瞬間を撮影のために再現してもらうことでした。
  FUNAIのスタッフと共に、再接触に応じ、ポストの近くに定住することになったワイミリ・アトロアリのリーダーを訪ねて、「再現シーン」の打ち合わせをすることになりました。当時、FUNAIの接触活動に応じて姿を現したのは部族のなかの一部だけで、いまだ「白人」との接触を拒むインディオたちが数多く密林のなかにいるといいます。私たちの出会ったリーダーはまだ二十代とみられる若者でした。抗争当時は子供だったので、その後の文明側との再接触に応じやすかったのかもしれません。彼はアディダスのロゴ入りの短パンとギンギラの腕時計を身につけていました。山刀やビーズ玉などのプレゼントを提供することを条件に、彼らが白人の前に再び現れた時を再現してくれるよう頼みました。そして当時のスタイルのままで、つまり短パンや腕時計ははずすこと、少なくともギンギラ時計だけは取るように何度も言い含めました。
  再現の当日となりました。ポスト近くの森のなかからインディオの男たちの歓声と「マレー、マレー!」という言葉が響いてきます。「マレ」は彼らの言葉で「友だち」を意味します。FUNAIの職員たちも手に手にプレゼントを持って「マレー、マレー!」と呼び返します。そして姿を現わしたインディオたちの手をとり、肩に手をまわして抱き合いました。感動的なシーンになるはずだったのですが――インディオの男たちはトリの羽や赤い顔料で化粧し、弓矢をたずさえるという正装をしていたものの、真新しい短パンとギンギラ時計も身につけていたのです。「時代考証」の点からいかにも不自然な観は否めません。
 「テメェ、こんなバカな映像が使えるか!」と東京のプロデューサーや編集者にドヤされること請け合いです。かつての大ディレクターはリボルバーを振りかざしてインディオたちのパンツを脱がせたという逸話があります。私にはとてもそんな力量はありません。
  私は正直なところ、正装の時にアディダスのパンツやメタリック時計を身にまといたいと思う今のインディオの心そのものが面白いと思いました。しかし日本の視聴者の期待に応える番組を作る現場では、そんな思いを口にすることもはばかられたのです。
  私が感動した遺族たちのインタビューやインディオとの接触再現のシーンはボツにされました。日本に戻った私は会議の席で大プロデューサーから「無能!最悪!バカ!」と延々と罵倒され、死のうという気力すら削がれてしまいました。

  多くの犠牲者を出した国道沿いにワイミリ・アトロアリ族はようやく定住を始めたものの、今度はブラジル政府が国策として水力発電用のダムをアマゾンに築く計画を立て、彼らの新たな居住地は水没することになってしまいました。FUNAIのスタッフはインディオたちをまた別の土地に移住させなければなりませんでした。
 ――死ぬ気力も奪われた私はその後も生き恥をさらし続け、なんとブラジルに移住してしまいました。ブラジルのインディオが「発見」されてから五百年めの今日、思わぬ問わず語りをしてしまったようです――。

Bumba No.11 2000年

岡村さんへのメールは
e-mail:okamura@brasil-ya.com