蜜柑を味わう
日本人にとって、冬の風情といえば、「炬燵の上に蜜柑」。
この蜜柑、実はお話の中で、名脇役を演じています。
まず、日本の昔話「わらしべ長者」は、皆さん良くご存知でしょう。
夢に出てきた観音様のお告げの通り、転んだ拍子に握り締めた一本の藁しべを、次々と別のものに交換し、最後には立派な屋敷を手に入れてしまう男の物語です。
男はまず、藁しべに、うるさいアブをくくりつけます。
これを欲しがる男の子に与えたところ、母親から蜜柑三個をもらいます。蜜柑を懐にしばらく道を行くと、商人が喉の渇きに苦しんでいます。男が蜜柑を食べさせたところ、命を救ってくれたお礼にと、商人は錦の反物をさしだします。
次に男は、殺されかけた馬を反物と引き換えに救い、やがて馬を求める館の主人から、立派な屋敷を譲り受けたという結末。
庶民の願望を満たす夢のような物語。長く愛されるゆえんです。
主役はもちろん藁しべですが、お話を固める脇役に力がなくては、魅力的な話にはなりません。
渇いた喉を一瞬にして潤すもの。そして反物に進化を遂げるに足るもの。ここは蜜柑でなくてはなりません。
口に含んだとたん、体に染み渡る蜜柑の甘酸っぱい果汁! 命を吹き返す商人の、ほ〜というため息が聞こえてきそうです。
余談になりますが、最近、現代版わらしべ長者が話題になりました。
インターネットの力でペーパークリップを家に換えたカナダ人男性です。男性は物々交換サイトに、一個の赤いペーパークリップを何かと交換してほしいと広告を出しました。
クリップは魚の形のペンに化け、その後ドアノブ、キャンプストーブ、発電機、パーティーセット、スノーモービル、ヤークという町への旅行、車、レコーディング契約、米フェニックスの家に1年間住む権利、アリス・クーパーと半日一緒にいられる権利、キッスのスノーグローブ、ハリウッド映画に出演できる権利を経て、ついにカナダのキプリングという町の家を、手に入れたのです。
昔のわらしべ長者が、稲穂の藁しべから蜜柑、絹の反物、馬と交換したのに比べ、何か命と縁遠い無機質な感じがするのは気のせいでしょうか?
もうひとつ、蜜柑で忘れられない物語があります。四十年以上も世界中のこどもたちに愛されてやまない、「エルマーの冒険」です。
ある雨の日、九つの男の子、エルマー・エレベーターは年とったのらねこから、かわいそうなりゅうの子どもの話を聞きます。「どうぶつ島」に落ちてけがをし、野蛮な動物たちのとりこになっているというのです。
エルマーはひとり密かに船に乗りこみ、みかんの木が茂る「みかん島」へ降り立ちます。「ぴょんぴょこいわ」を渡り、いまだ誰も生きて帰って来たことがないおそろしい「どうぶつ島」へと足を踏み入れます。
そこには、たてがみを3つあみにしてもらって喜ぶライオンやぺろぺろキャンデイの好きなワニなど、おそろしいはずの猛獣たちがちょっぴりおとぼけで、実に愉快。エルマーは次々とピンチを切り抜け、ついにりゅうの子を助け出すのです。
このエルマーの大冒険を支えたのが、みかんでした。食糧がつきたエルマーは、「みかん島」でみかんにありつき、入るだけのみかんをリュックに詰め込みます。その数三十一個。
それをたよりに、いよいよ「どうぶつ島」へ。見つかったら猛獣に食べられてしまうという緊張の中で、エルマーは、まず八個食べます。しばらく考え、もう三個食べます。「どうぶつ島」には、みかんの木は一本もありません。猛獣とともに迫り来る、食糧の危機。
さらに、このときのみかんの皮を、動物たちに見つけられ、エルマーの存在を気づかれます。
そこで、次に三つ食べたときには、用心のため長靴の中に皮をしまうのです。何度も、猛獣達との遭遇を知恵で乗り切りながら、冒険も終盤。空腹のエルマーは、みかんを四つ食べます。本当は十も十二も食べたいのに、ぐっと我慢。リュックの中にはみかんは残りわずか十三個。
「エルマーの冒険」に夢中になった人の話を聞くと、みかんに惹かれた人が多いのにおどろきます。
「リュックの中にみかんがあといくつ残っているか、はらはらしながら実際に数えてしまったよ」
「みかんが大事に思えて、寝床でみかんを抱きながら眠ったよ」
まったくの同感! 私も、エルマーのみかんに、思いを馳せたものです。この本を読むと、蜜柑が食べたくなった人が、たくさんいるはず!
さて、最後にある文豪により、輝く存在となった蜜柑を紹介しましょう。芥川龍之介の短編「蜜柑」です。わずか原稿用紙約一〇枚分の分量ながら、無駄のないみごとな表現はさすが。
あらすじはこうです。
主人公の紳士が、2等車に乗り込むと、3等車両の切符をにぎりしめた小娘が乗り込んできます。
ひび切れた頬に垢でうす汚れた姿。紳士は、その小娘の無知と下品さを、腹ただしく思います。
そのうちに小娘は、あろうことか紳士の隣に席を移し、車両の窓を開けようと四苦八苦。
それを冷酷な目で眺める紳士。窓が開いたとたん煤煙が流れ込み、はげしく咳き込み、怒り心頭の紳士。
汽車は貧しい街はずれに差し掛かっていました。
踏み切りには、赤い頬のみすぼらしい少年が三人、汽車に向かって喊声を上げています。
娘が霜焼けだらけの手を振ったかと思うと、暖かな日の色にそまった蜜柑が五―六個宙を舞い、子ども達の上へと降っていくのでした。
これから奉公に出る娘が、懐に入れておいた蜜柑を投げて、見送りに来てくれた弟たちの労に報いたのです。
街はずれの踏み切りと、貧しい子ども達、そしてその上に降る鮮やかな蜜柑の色。一瞬の出来事でしたが、紳士はいきさつを悟り、娘の心に感動をおぼえ、何とも温かい気持ちにつつまれたのでした。
いかがでしょう。
冬の夜長、児童書や文学で、「蜜柑」をじっくり味わってみませんか?