町のネズミと田舎のネズミ
イソップ物語の、「町のネズミと田舎のネズミ」というお話をご存知ですか?
田舎のねずみの家に遊びにきた町のねずみ。新鮮な朝摘みいちごや葉っぱの布団でもてなされますが、町のねずみは不満です。
「都会こそ最高」と言う町ねずみは、田舎ねずみを都会に招待します。
ところが都会は、危険がいっぱい。田舎ねずみはおいしいごちそうに囲まれても、安心して食べることも出来ません。
とうとう田舎ねずみは、「物がいっぱいあったって、どきどきしながらじゃ何の役に立つんだい?」と言って、田舎に帰っていきましたとさ、というお話。
イソップならではの、風刺と寓意がこめられたこのお話は、今も子供たちに愛されています。
さて、話は突然東京の目黒区へ。
目黒といえば、真っ先に頭に浮かぶのは、落語で有名な「目黒の秋刀魚」でしょうか?
秋には、気仙沼から秋刀魚が大量に持ち込まれ、炭火焼が区民に振舞われる一大イベントを、テレビでご覧になった方も多いことでしょう。
気仙沼の秋刀魚パワーにすっかり押されぎみですが、実はわが角田市こそが、目黒区の友好姉妹都市になっています。
地道な交流は、姉妹都市締結当初から続けられてきました。
夫は、農協青年部時代に、「百姓先生」として、目黒区の小学校に出向き、ミニ水田での田植え指導や、稲作についての講義をしてきました。
「総合学習」などと脚光をあびる前の話です。
また同じころ、角田市の農家が中心になって、夏休みに、目黒区の小学生をホームステイで受け入れる事業がスタートしました。
我が家にも、子供たちの付き添いで来た、目黒区の青少年指導員の皆様たちが、ホームステイしていきました。
夜の部の飲みニケーションの席では、双方大いに盛り上がります。
「都会の子供たちに、なんとか自然に触れ合う機会を作りたい」
「田舎の人たちとの交流を通して、都会で味わえない体験をさせたい」
青少年指導員の方々の、熱い願いを感じることが出来ました。
これらの活動に触発され、行政レベルで、角田市の小中学生が春休みに目黒区でホームステイをする事業も始められました。
夫は、小中学生の引率者の一員としても、目黒区を何度か訪問しています。
子供たちと一緒の旅は、何かにつけエピソードも多いもの。
まだ十年も前のことでした。
東京から帰った夫が、苦笑いしながら話し始めます。
「いや〜、東京駅で、なかなかスリリングな経験をしてきたよ」
引率者と子供たちは、山手線に乗り換えるため、駅のホームで列車を待っていました。
「列車がきても、乗り降り口は人でごった返しだろ?子供たちは、おろおろするばかりで、なかなか列車の中に入っていかないんだよ」
「なんでかねえ?」
「交通の便の悪い田舎で、バスもほとんど通らないし、電車にもめったに乗らないだろ?人を押しのけて乗り込むってことが、出来なかったんだなあ」
さもありなん。話を聞きながら、つい子供たちに同情します。ここからが、話の佳境。
「何とか子供全員が乗り込んだ思ったら、とたんに目の前で、ドアがパシュウっと閉まってさ」
引率の夫達の前で、無情にも閉じるドア。口あんぐりの夫達をホームに残し、列車は走り去っていきました。
かろうじて、子供たちのそばにもう一人の引率者がいたから良かったものの、まだ携帯電話も普及していない時代。
「あのまま子供たちだけが、行ってしまっていたら、どうなっていたことやら!」
まさに、田舎のネズミが都会に行ったようなものでした。
一方、心温まるエピソードもありました。
ある年のこと、夫がしみじみと話します。
「東京からの帰りの汽車の中で、5年生の男の子があんあん、声を上げて泣いちゃってさ」
「かわいそうに、ホームシックをがまんしてたのかしら?」
「それがちがうんだ。こんなに大事にしてもらったのは生まれて初めてだって、本当にうれしいんだって、あんあん泣いていたんだよ」
「よっぽど一生懸命もてなしてもらったんだね」
「ありがたい話だよ」
都会でのホームステイは、田舎に比べて難しいかと思いきや、そんな不安は見事に飛んでいった年でした。
地道な交流は、やがて学校との交流事業へと発展していきました。
まず、目黒区内の小学校の校長先生方が、角田市に見学に訪れました。
さらに、夏休みには、小学校の先生方が、農家にホームステイし、農業経験をしていくようになりました。
その実績を元に、平成十二年からついに、目黒区と角田市の小学校四校間の交流が、スタートしたのです。
目黒区の小学5年生が、春と秋の年2回、角田を訪れまず。地元農家の協力を得て、角田の小学生といっしょに、田植えと稲刈りをするのです。
3泊4日の中には、地域住民宅へのホームステイも含まれます。農業経験とともに、住民との交流も大きな柱になっています。
「牛、見せてください!」
「コンバイン、見せてください」
毎年この時期になると、我が家の牛舎や田んぼに、目黒の子供たちが、地元の子供たちと一緒にやってきます。
どの子も、始めてみる物に好奇心いっぱいで、目がキラキラ輝いています。子供たちの眠っていた自然の本能が、スイッチオンになったかのようです。
同時に、地元の子供たちも、目がキラキラ輝いています。田舎の情景に大喜びする都会の子供たちを見て、今まで当たり前に思っていたものを再発見しているのです。
イソップが生きていた時代は、紀元前の古代ギリシア。イソップの「町のネズミと田舎のネズミ」は、互いの環境を受け入れることなく、自分の住み慣れた暮らしに戻っていきました。
二十一世紀の今はどうでしょう?農村と都会が、垣根を取り払いながら、互いを再発見する時代なのではないでしょうか。
そして農業は、確実にその橋渡し役を担っていると思います。