栗花落‐ついる  

 6月は梅雨の季節。毎日雨降りのじめじめした日が続き、うっとおしいものです。

 栗の花を知ったのは、ちょうどこの梅雨の時でした。

「このごろ、このあたりに強烈な匂いがするけど、何なの?」

「あれは、栗の花。今が盛りだから」

 見れば、裏山一面、クリーム色の房が揺れています。

「へえ。栗にも花があるんだ」

夫に教えられるまで、栗の花も知らなかった私でした。

それにし
ても栗の花の自己主張の強いこと。梅雨と栗の花は、切っても切れない存在です。

その年の秋、生まれて初めて、栗拾いをしました。

「栗のイガは、こう剥くとよい」

教えられたように、両足をイガのふちにかけ、外側に踏ん張るようにしてイガを剥きます。

「これは面白い! まさに合理的だよね」

「んだべ?」

痛いイガに触ることなく、簡単にぺろりと剥ける楽しさ。中からは、栗の実がつややかな顔を出します。しばし栗拾いに夢中。

しかし、何も知らないとは恐ろしいもの。

偶然にも、木から落ちた栗のイガが、無防備な頭にこつんと命中したではありませんか。

「ひゃあ!いたた!」

その痛さといったら、頭に生け花用の剣山が落ちてきたのかと思ったほど。

あわてて栗のイガを払おうと、手で払ったとたん、丸腰の絹肌(?)に、イガがぶすり!

「ひどい!あんまりだ!」

「いい気になって、手袋もつけないで作業するからだべ」

それ以来、栗ひろいの際は、頑丈な帽子と厚手の軍手をかかしません。栗のイガの固さと痛さは、身にしみています。

それにしても、房状の栗の花から、どうやってまん丸栗のイガができるのでしょう?不思議でなりません。

私は、夫とふたりでホームページを運営しています。

毎日の農作業や自然の暮らしを紹介するコーナーが、「デジカメ農作業日記」。

栗の花をアップしようと、デジカメ片手に、栗の花にちかづきました。すると驚き。

「こういうことか?」

細かく白い花のほかに、緑色のトゲトゲに囲まれた小さな花を発見!ちょっとみると、緑色のサボテンか、ウニのように見えます。

家に戻り図鑑で調べると、細かい花は雄花で、トゲトゲのついた花は、雌花であることがわかりました。

それからは、毎日栗の花を観察です。雄花が、茶色くしおれて落ちるころ、雌花の緑のトゲトゲは、栗のイガらしきものへと育っていきます。

「栗の赤ちゃんだ!」

あんまり愛らしいので、ためしに指でつまんでみました。イガはまだやわらかくて、指で押しても痛くありません。

栗の赤ちゃんは、人間の赤ちゃん同様、ほわほわの存在でした。

「かわいい!」

ホームページにアップした、栗の花と「栗の赤ちゃん」の写真には、そんなコメントが寄せられました。

我が家のホームページに訪れる人は、大半が非農家の人達。初めて見る栗の花の形態に、皆さん、新鮮な感動を覚えてくれました。

「みんな、こんなことを面白がってくれるんだなあ」

「そうそう。農家の人が当たり前だと思っていることが、宝物だったりするわけ」

 とりあえず、自分の無知は棚に上げてと・・。

これからも、こんな小さな出来事でも、積極的に発信していきたいと思っています。そして、たくさんの宝物を掘り出したいと思っているのです。

栗の木には、別な意味でもお世話になっています。十年前、母屋の近くに、離れを立てました。

「木材価格が低迷して、輸入材に押される現実だろう?そんな状況だからこそ、間伐の杉の木を有効に使いたいんだ」

夫の強い思いで、健材には裏山の間伐材がふんだんに使われました。木を切り出すところから、製材、大工作業まで一貫してかかわります。

お陰で、森林組合の木こりさんたちからは、木についてさまざまな勉強をさせてもらいました。

「山桜。これは、玄関の上がりかまちに使うと良いな」

「ヒノキ。これは、風呂場の壁板に使ってみっといい。水に強いし、良い香りがすっから」

 山の中で、木こりさんたちから、木の見立てから使い方まで教わります。木の性質を知り尽くしている木こりさんたちによる、山学校です。

山の中にあった野生の栗の木も、十本ほど切りました。いずれも、樹齢は五十年程度の木です。

「栗の木は、固くて腐れにくいから、土台さ使え」

 栗の木は、離れの土台をしっかり支える、土台木となりました。

完成した離れは、まさに、裏山そのもの。この土地の風と雨と太陽と、そして土の恵みによってはぐくまれた、自然そのものでもあるのです。

 木材のみならずすべての農産物が、輸入に押される中、裏山の木で作り上げた離れにすむことは、林業人としての、夫の気持ちの通し方だったような気もします。

 さて、栗の木と日本人の付き合いは、長い歴史があります。有名なのが、青森の三内丸山遺跡。

「すごいよな。直径二メートルの栗が使われていたらしいな」

「大木だね!」

「しかも、栗を栽培していたそうだ」

「日本の果樹栽培の原点か・・」

 夫は、嬉々としてうなずきます。

「うむ。腐りにくく固い、栗の木の性質を、縄文の人々はすでに知り尽くしていたんだな」

「縄文の時代に、いったいどうやって分かるんだろう?」

 私たちは、何か科学的な裏づけが無いと不安に思ったり、劣っているような錯覚に落ちることがあります。

でも、木こりさんのお話といい、縄文の知恵といい、現場で蓄積された情報の厚みは、時として科学を凌駕するものがあるのではないでしょうか。

農業の中の知恵や勘も、もっと学びたいと思っています。

さて、梅雨の語源は、「ついる」と言われています。漢字で「栗花落」。

梅雨のころ、栗の花が散る様子を表したものです。漢字はいつしか梅にとって代わられましたが、梅雨はまさに栗の花の時期。

梅雨にこの言葉を知って、ちょっと得をした気分になりました。