桜 ・サクラ
4月といえば、なんといっても桜の季節ですね。
農家の人間にとっては、3月にスタートした農作業が、4月からはいよいよ本格的な忙しさに突入と言うところです。
新しい年度になり、新入学や移動など、社会全体の命も、再生と始動の季節に当たります。その時期にふさわしい花として、桜は日本人の心をつかんできました。
ある時、農業と桜の、深い結びつきを知ることができました。
まず、桜の名前の語源を知りました。
いくつかの説はありますが、その1つに、五穀豊穣の神(田の神・穀霊)が「サクラ」の語源とする説があります。
「サ」は穀霊、「クラ」は穀霊が降臨する「神座・カミクラ」、すなわち「サクラ」は農耕の神が宿る依り代(ヨリシロ)という説です。これが、稲作文化の中で、山に住んでいる田の神が、田植えの時期になると人里に下りて来ると信じられるようになりました。
満開の桜はその前兆現象ととらえられ、現在でも「田打桜」や「種蒔き桜」、「田植え桜」という名前が残っています。
我が家のおじいさんにも、聞いてみました。
「この辺にも、田植え桜ってありましたか?」
「田植え桜でなく、種まき桜と呼んだな。沼っぷちに見事な桜が一本あって、それが満開になると、種まきをしたもんだ」
「わあ!その桜の木に会いたいです」
「うんにゃ、もうその桜は、なくなっちまったな・・」
桜の木とともに姿を隠してしまった、豊かな言葉。なんとも残念です。
これに興味を持ち、桜をキーワードにいろいろ調べて見ました。すると、またまたステキな物語に出会いました。
その名も、「木花之佐久夜毘売命・コノハナサクヤヒメ」。コノハナサクヤヒメは山の神の総元締め「大山祗神・オオヤマツミノカミ」の娘です。
見目麗しき女神で、父の命により、桜花に姿を変え、稲の穀霊として地上に現れたとされています。
たちまち桜の花に、木花之佐久夜毘売命の美しい姿が重なって見えてくるではありませんか。
この物語のおかげで、桜の風景は私にとって、まったく違った風景に生まれ変わりました。
桜の花が満開になる様子は、なんと神々しく、祈りに満ちていることでしょう。桜の美しさを愛でるとともに、農村文化の豊かさに触れ、うれしくなる瞬間です。
さて、桜といえば庶民の喜び、お花見です。結婚前なら、桜の下でシートを広げ、皆で楽しく飲食を楽しむのが「お花見」でした。
一方、農家にとっては本当に忙しい時期。お花見に浮かれ騒ぐ人々を横目に、あくせくと農作業の段取りに追われてしまいます。
お花見をしたくてうずうずしながら、日の日中からお花見をする余裕はありません。
そこでまた、ステキな物語に出会いました。これを、夫に知らせずにいられましょうか。
「お花見のルーツ知ってる?」
「へえ、なんだい?」
「もともと、田植え前の一日に、野山に出て山桜の木の下、稲の成熟を神に祈願する行事だったんだって」
「厳かな行事だったんだな」
「それに、花見酒は神様に捧げるお神酒で、人間はそのお下がりを頂戴するということなのよ」
「桜の下で、ただどんちゃんやるわけじゃないんだなあ」
「やっぱりここは農民として、お花見に行くべきだわ」
このお話しにぐっと背中を押され、毎年近くのお寺の庭園で、農家仲間を誘って、お昼を一緒にお花見しています。
午後からの農作業もありますが、ありがたいお神酒です。
男性陣は、ほんのり頬が桜色に染まる程度にいただき、忙しい時間の中の贅沢なひと時を、桜の花とともに楽しんでいます。
桜の言葉も、さらに深く知れば知るほど興味深いものです。
桜の「サ」は神聖なことばにつく接頭語とされています。
田の神が山から人里へおりてくる日―つまり田植えがすんだあとの慰労会がサナブリ、田の神に仕える神聖乙女がサオトメ、神に捧げる苗がサナエ、田の神に関連深い月がサツキ、そのころ降る雨がサミダレと、知れば知るほどな〜るほどの世界。
特に、サのつく桜は神聖樹木ということになるそうです。
ますます桜のありがたいこと!
桜には、私にとって忘れがたい思い出があります。
三番目の子が生まれた日のことです。4月の朝早く、陣痛が始まりました。
夫の運転する車で、病院へと急ぎます。おなかの痛みをふ〜ふ〜と息を吐いて散らしていると、夫が急に車を減速しました。
一刻も早く病院へ、と思っていた私は驚きました。
「え?どうしたの?」
「桜を見せてやろうと思って・・」
「こっちは、それどこじゃないのに・・」とつい不平をたらしてしまいます。
それでも、車の窓から見上げると、川沿いの桜並木に差し掛かっていました。満開の桜が目に飛び込んできます。なんともいえない幸せな気持ちになりました。桜が、これから迎える新しい家族を、祝福してくれているようでした。
無事、女の子が生まれました。病院からは、大きな桜の木と、背景に雑木山が見えました。
桜の木は、満開の花で娘の誕生を祝ってくれました。ところが、春の大風で、あっという間に花が散ってしまったのです。
でも、それからの桜がまた美しかったのです。黄緑の若葉がぐんぐんと伸びていきます。
それにあわせるように、後ろの雑木山も、山桜の薄紅色をアクセントにつけながら、萌黄色に染まっていきます。
ものすごい勢いで、葉が吹出していくのがわかります。
その生命力の大きさが、目の前で日一日と成長を遂げていく娘の姿に、重なりました。娘の命名の時です。
「生まれた季節にちなみたいね」
「だとしたら、桜子かな」
「でも、萌えいずる様の美しさをとりいれたいものだわ」
考えた末、萌美と命名しました。春の命のエネルギーが、娘そのものに思えたからです。娘には、こんなメッセージも伝えています。
「あなたの名前には、桜が宿っているのだよ」
名前は、親の願いでもあります。娘は、名前のごとくエネルギッシュな、明るい子になりました。
日本人が愛してやまない桜。
日本人の心には、農業から生まれた精神文化が、強く根を下ろしているのです。
農民としてそれを誇りに思うとともに、桜の花を敬虔な気持ちで眺めたいと思っています。