| 多摩川流域 | 渋谷茶 | 渋谷区松涛2-10 鍋島松涛公園 |
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山手線渋谷駅前の繁華街の奥に、松涛(しょうとう)という町があり、都知事公邸などもある隠れた
高級住宅街である。この一角に「鍋島松涛公園」がある。 □ 明治二年(1869)六月、明治新政府の策謀に乗せられた藩主たちは、藩支配者としての地位を保証 してもらい、藩籍を奉還して知藩事に任命された。徳川将軍慶喜の大政奉還の大名版であった。 □ ところが明治四年(1871)になると、陸軍大将の西郷隆盛は薩摩・長門・土佐から兵を集め、政府は この武力を背景に藩を廃止し、区画にこだわらず全国を府県に分け、県知事という役人によって 治めることにした。いわゆる廃藩置県がこれで、政府の予想に反して藩主たちは従順に従った。 旧藩時代の債務を政府が肩代わりしたことによる。 □ これによって諸藩主は国詰めとなったため、東京中は空き家が急増して急激にさびれ、犯罪が多発、 失業武士と破産商人の巷となったため、市内は自衛団を組織しなければならないほどだった。 政府が空き家になった大名屋敷を買って役所に転用したため、山の手が官庁街になる切っ掛けに なった。 □ また政府は治安対策上からも大規模な失業対策を興さねばならず、まず東京府はいたる所にある空地に 桑や茶を植えさせ、当時の二大輸出品の絹と茶の生産振興を計画して奨励した。 □ 渋谷にあった紀伊徳川家下屋敷の空き地を明治五年に買った鍋島家は、政府の政策に従ってここに関 東では知られた埼玉県狭山の茶を植え、明治九年(1876)から「松涛」の銘で売り出した。これが当たっ て渋谷茶としてもてはやされたものの、明治二十二年(1889)に東海道線の東京〜神戸間が全線開通す ると、静岡茶が大量に入ってきてから士族商法はつぶれてしまった。 □ 「松涛」とは茶の湯の「たぎる」様をいい、昭和のはじめこの辺りは松涛町となり、昭和七年(1932) 鍋島家から東京市に寄贈され、後に渋谷区に移管されて公園となった。池はこの辺りに沢山あったと いわれる湧水の一つで、茶園のころから潅漑用水に使われていたという。 |
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