「花の髪飾り」

パタパタと軽い足音が聞こえた後、勢い良く弓道場の扉が開けられた。
 「遅くなりました。よろしくお願いします!!」
息を切らしながら夜久月子が駆け込んでくる。
 「よろしくお願いします。珍しいね、夜久さんが遅刻なんて」
扉の傍に立っていた部長の金久保誉が、入ってきた月子に気付いて振り向いた。
 「すみません。のんびりしてたら遅くなっちゃって」
ペコリと頭を下げて謝る月子に、眉間に皺を寄せた副部長の宮地龍之介も近付いてくる。
 「二年生になって少し気が緩んだんじゃないのか。道場の掃除を一年生部員に引き継いでも、
 他にやる事はあるんだぞ。先輩として良い手本となるよう……」
 「まぁまぁ、宮地くん。この道場には女子更衣室がないし、体育館で着替えないといけないから、
 時間が掛かっちゃうのは仕方ないよ。いつも不便を掛けてごめんね」
月子と龍之介の間に立って、誉が執り成しの言葉を掛けた。
 「いえ、全然不便なんかじゃないですよ。宮地くんもごめんね。これからは気を付けるから」
 「俺は別に怒ってる訳じゃ……」
 「うん、それも判ってるよ。宮地くんは、夜久さんの髪飾りが気になったんだよね」
またも誉に言葉を遮られた龍之介は、スッと目を逸らした。
まるでその言葉が当たっていたとでも言うように。
 「えっ?」
部活の時は邪魔になるので、長い髪をゴムで一本に縛っている。
髪飾りを着けた覚えはない。月子は誉の言葉に首を傾げた。
 「どうやら自分では気付いてないようだね。髪に桜の花びらが付いてるんだよ。
 体育館からの道なりに見事な桜の木がある。
 のんびりしていたのは、そこで桜を眺めていたからじゃない?」
 「えっ、あれ、あの、えっと、……そうです。すみません」
ふふふと優しく笑う誉の言葉を、月子は小さくなって認める。
髪に手を当てると、ひらりと桜の花びらが舞う。
 「そんなに長く見てた訳ではないんですけど」
 「気持ちは判る。俺も部活に来る前に、少しだけ見ていたんだ。今が見頃だからな」
今度は龍之介がフォローするように言うと、その言葉に力を得て、小さくなっていた身体を伸ばす。
 「でしょ。あの木の下でお花見とかしたら、楽しそうだよね」
 「お花見? 夜久は桜を見ながら、そんなことを考えていたのか?」
呆れ気味に答える龍之介を見て、得たはずの力も萎んでしまい、また小さくなった。
 「良いんじゃないかな、お花見。今しか出来ないし、一年生部員の歓迎会も兼ねてさ。
 あぁ、夜久さん。ちょっと動かないでくれるかな」
申し訳なさそうに俯く月子の頭に、誉が手を差し伸べる。
髪に触れる誉の手が、少し擽ったく感じられた。
 「はい、取れた。ほら、まだ桜の花びらが残っていたよ」
 「ありがとうございます。でも、そんなに長い間居た訳じゃないんですよ」
拡げられた掌に乗る花びらを見つめて、また月子の顔が曇ってしまう。
そんな月子を安心させるように、誉はいつもの癖で、良い子良い子と頭を撫でた。
 「大丈夫。宮地くんじゃないけど、あの木に見惚れてしまうのは、僕にも判るからね。
 そうだ、この桜の花びら。貰っても良い?」
 「花びらを……ですか?」
誉の問いに、月子は意外そうな顔をする。傍に立つ龍之介も、驚いた表情を浮かべた。
 「うん。夜久さんの髪を、綺麗に飾ってくれた花びらだからね。捨てちゃうのは勿体ないな、
 って思ったんだ。ダメかな?」
小首を傾げて顔を覗きこんでくる誉に、月子が断れるわけもない。
顔が赤くなるのを堪えきれず、視線を花びらをに向けることで誤魔化した。
 「良いですけど。でも、すぐに褪せてしまいますよ」
 「それは任せて。妹たちにせがまれて、よく花冠を作っていたんだ。日持ちする方法を、
 色々研究したんだよ。そうだな、これは押し花にして、栞にでもしようかな」
 「部長が花冠を作られるですか?」
誉の言葉に、龍之介も意外そうな声を出した。けれど、妹たちに囲まれて、桜の木の下で
花冠を作る誉の姿を想像し、あながち似合わなくもないとすぐに納得する。
 「うん、花冠を作るのは得意なんだ。良かったらお花見の時に、夜久さんに作ってあげようか。
 キミにピッタリの髪飾りになると思うよ」
 「ありがとうございます。それなら私にも教えてください。私も子供の頃、よく幼馴染と一緒に
 作ったんですけど、上手く作れなくて……。そうだ、宮地くんも一緒にやらない?」
幼馴染の東月錫也と七海哉太と一緒に、花冠を作った時のことを思い出す。
月子や哉太が、すぐに花びらを破ってしまって上手く作れずにいると、
手先の器用な錫也が、いつも綺麗な花冠を三人分作ってくれた。
今度は二人に作ってあげたい。そんな思いで、月子は誉に頼みごとをする。
 「俺は別に……。だが、夜久がそうまで言うなら、やっても良い。ただ、花冠など男の俺が
 持っていても意味が無いからな。作った物は、夜久が貰ってくれ」
月子の誘いに最初は驚いたけれど、一緒に何かをやるのも悪くないと思い直す。
龍之介は月子の誘いを受けることにした。
 「それは良いね。当日は、誰が一番夜久さんを綺麗に飾ってあげられるか、競争しよう」
二人のやり取りを見て、お花見の開催は決まったと判断した誉は、一つの提案を口にする。
 「だ、だめですよ、そんなの」
 「良いんだよ。その方がお花見が盛り上がるでしょ。じゃあ、部活が終わった後に、
 みんなで相談しよう」
 「そうですね。夜久、オマエは遅れてきているんだ。練習はしっかりやれよ」
 「そうでした。よろしくお願いします」
龍之介に釘を指されて、慌ててペコリと頭を下げる。
みんなと一緒にやるお花見が楽しみで、今日は部活に集中できないかもしれない。
気を引き締めよう。月子はそう思って、真剣な表情を作る。
けれど、顔を上げた時に優しく笑う誉と龍之介が見えると、月子はすぐに相好を崩してしまった。
この日の部活は、春らしいそわそわとした気分に包まれていた。

完(2012.04.22)  
 
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