「何気ない日々」

星月学園を卒業してから数年が経過していた。
部活仲間だった宮地龍之介、白鳥弥彦、犬飼隆文と共に、同じ大学へと進学した夜久月子は、
高校の頃と変わらずに毎日を楽しく過ごしている。
 「月子、良い処で逢ったわ。今日って、授業が終わった後、暇だったりする?」
講義を終えて教室を出ると、人垣の向こうから親友の春名真琴が駆け寄ってきた。
 「どうしたの、そんなに慌てて。今日は部活もないし、特に予定はないけど」
 「良かった。じゃあ、これ、月子にあげる。映画のチケット。
 二枚あるから、一緒に行きたいと思う人を誘って」
そう言って映画のチケットを月子の手に握らせる。
 「それなら真琴、一緒に行こうよ。って言うより、誰かと行くつもりだったんじゃないの?」
 「初めから月子を誘おうと思ってたのよ。ただ、なかなかタイミングが合わなくてさ。
 で、とうとう期限ギリギリになっちゃったの。私、この後どうしても外せない予定があって、
 このまま帰らないといけないのよ。勿体ないから、月子、行って来てくれない?」
 「そういう事なら、遠慮なく貰っちゃおうかな。ありがとう」
月子がお礼を言うと、こっちも助かる、と言葉を残して、真琴は足早に去っていった。
それを見送った後、手にしたチケットを所在なげに眺める。
 「貰ってしまったのは良いけれど、どうしようかな。期限は今日までだし。
 一緒に行きたい人なんて……」
そう言いながらも、視線は周囲を彷徨ってしまう。いつもなら傍に居るはずの人を探して。
 「あれ、夜久じゃん。こんな処で逢うなんて珍しいな。ん、何を大事そうに持ってるんだ?」
 「あっ、白鳥くん。これは別に、大事なものってわけじゃないの。
 それより、部活以外で逢うなんて、ホント珍しいよね。
 今日は一人? 犬飼くんは一緒じゃないの?」
弥彦に見咎められたチケットを、隠すように鞄の中へ収めると、早々に話題を変える。
 「何を言ってるんだよ。犬飼のことなら、俺より夜久の方が詳しいだろう。
 同じ講義を取ってることが多いし、帰りも一緒の方向だしさ。
 俺だって、俺だって、夜久ともっと一緒に居たいんだぞぉ!!ぐやじいぃ!!」
 「白鳥くんっ!! ほら、泣かないでよ。明日はまたみんなで、一緒に部活でしょ。
 今日はまだ犬飼くんには逢ってないから、学校に来てないのかな、って思っただけなの」
泣き出す弥彦の背中を、ポンポンと優しく叩いて慰める。
 「ん、そうだよな。明日は部活があるもんな。って、居るじゃん、犬飼」
 「えっ?」
涙目の弥彦が鼻を啜りながら指差す方向に、呆れたような顔で佇む隆文の姿があった。
 「相変わらず騒々しいな、お前たちは」
そう言いながら近寄ってくる。
いつもと変わらない隆文をみて、月子は気付かれないように安堵の息を吐き出した。
 「犬飼くんこそ、今まで何してたの? さっきまでの講義、一緒のはずだったよね?」
 「あぁ、ちょっとな。就職活動に備えて、リクルートスーツってやつを買いに行ってた」
 「うわぁ、言うなぁ。現実なんて知らん!! 俺たちの青春は、まだまだ続くんだぞぉ」
現実を直視するような隆文の言葉に、弥彦が耳を塞いで悶絶する。
 「判った、判った。俺たちの青春はまだまだ続く。心配すんな。
 俺がほんのちょーっと、先走りすぎただけだ。白鳥は白鳥のペースで良いんだぞ」
今度は隆文が慰めるように、弥彦の背中を軽く叩く。それから慌てたように声を上げた。
 「っと、悪い。そろそろ次の講義に行く時間だ。夜久、急げよ。
 あの先生、出欠厳しいからな。俺、単位、ギリギリなんだ」
 「あっ、うん。じゃ、白鳥くん。また明日、部活でね」
 「おぉ、またな」
手を振る弥彦に見送られながら、月子と隆文は小走りでその場を後にする。
―― そして全ての講義が終わり、月子は隆文と連れ立って校舎の外へ向かっていた。
 「あっ、そうだ」
急に思い出したような声を出すと、月子はその場に立ち止まる。
 「ん、どした? 忘れ物か? 夜久はドジだからな。戻るんだったら付き合うぞ」
 「ううん、違うの。犬飼くん、この後、時間ある?」
振り向いて声を掛ける隆文の傍に駆け寄ると、少しだけ顔を赤らめながら尋ねる。
そんな月子に気付かない隆文は、学校に用事がないと知ると、また歩き始めた。
 「今日は特にない。部活もないしな。なんだ、夜久は暇を持て余してるのか?」
 「そんなんじゃないよ。あのね、もし時間があるなら、映画に行かない?」
そう言って鞄の中から映画のチケットを取り出す。
 「真琴にね、チケットを貰ったの。今日までなんだって。二枚あるから、一緒にどう?」
 「映画か。どんなやつ?」
月子からチケットを一枚受け取ると、顔を顰めて、ゲッと呟いた。
 「恋愛物か。夜久、好きそうだよな、こういうの。俺は寝ちまう、絶対に」
 「そ、そうなんだ。それなら、どんな映画が好きなの、犬飼くんは?」
一瞬淋しそうな表情が浮かんだけれど、すぐに気を取り直す。
これは好みを聞き出すチャンス。今日がダメでも、次回に繋げられれば良い。
そんな月子の意気込みが、隆文にも届いたのか、素直に答えが返って来る。
 「俺か? 俺はやっぱり、スカッとするアクションとか、腹抱えて笑えるコメディが良いな。
 ほら、最近俳優が来日して、舞台挨拶してた話題の映画。知ってるか?」
 「知ってる。面白そうだと思ってたの。あれも見たいんだよね、私」
 「そっか。じゃあ、今度はそれを見に行くか。……一緒に」
 「うん、それ良いね。今から楽しみだよ」
月子が浮かべた嬉しそうな満面の笑みに、隆文の頬が心なしか赤くなる。
それを隠すように、慌てて視線を外す。残念なことに、月子はそれに気付かなかった。
 「じゃあ、仕方ない。今日はこれで我慢してやるよ。ほら、急がないと始まるぞ」
チケットを軽く振ると、歩く速度を速めた。
月子が横に追い付いてきたことを確認すると、ぼそっと小さな声で呟く。
 「暗くなったら確実に寝るな」
 「もし眠ってたら、思い切り足を踏んづけてあげるね」
 「勘弁してくれよ」
そう返す隆文の言葉に、月子は楽しそうな声で笑う。
こんなふうに隆文とする何気ないやり取りが、月子は一番好きだった。
どうかこのまま、この穏やかな時間が続きますように。

完(2014.01.12)  
 
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