「遠い距離、届く想い」

降りしきる雨の所為で、窓から見える空は灰色に染まっている。
窓の下には屋外授業から戻ってくる生徒達が、思い思いの傘を差して歩いていた。
濃淡の差はあれど同系色の傘の群れ。その中に混ざるように、華やいだ色の傘が見え隠れする。
まるでその場所にだけ光が当たっているかのように、楽しげに揺れている傘に視線が奪われた。
 「あっれー、あそこに歩いてるの、マドンナちゃんじゃなーい」
その場に相応しくない燥いだ声が頭上で響く。
教室に残っている生徒達が、一斉に声の主を振り返った。
窓の外を眺めていた金久保誉もその一人。
 「桜士郎。新しいホロスコープ作りはもう終わったの?」
 「ふふん、あんなもの、この白銀桜士郎に掛かればチョチョイのチョイよ」
 「その割には随分と手こずっていたように、僕には見えたけど」
 「あはは、言われちゃったなー。そういう誉ちゃんは……もう提出済みって訳か。
 さすが金久保様、抜かりがない。まぁ、俺もさっき提出してきたとこだよ。
 早々と課題を片付けたってのに、こんな処でマドンナちゃんを眺めてるだけってのは
 解せないなぁ。わざわざこんな遠くから見てないで、傍まで行ってくれば良いのに。
 恋人同士なんだから、ほらほら、遠慮しないで」
そう言ってニヒヒと笑うと、桜士郎は首にぶら下げているカメラを構えてみせる。
どうやら二人で居る処を写真に収めるつもりらしい。
誉は苦笑いを浮かべるだけで、桜士郎の言葉を黙殺する。
 「そういや最近、逢ってないんだって? 一樹や翼くんを揶揄いに生徒会室へ行ったら、
 マドンナちゃんが随分と淋しがっていた。これはもしや、星月学園ベストカップルの危機か!!」
大げさな口振りで桜士郎が言うと、今度は誉も付き合う気になったのか口を開いた。
 「そんなのじゃないよ。彼女はそれでなくても忙しいからね。クラス行事に部活動。
 その傍らで保健係や生徒会の仕事まで熟しているんだから。あまり邪魔はしたくないんだ。
 それにこう見えても、僕だって忙しいんだよ。茶道の家元になるのは、父からその名を
 受け継げば良いという程、簡単なものじゃないんだ。日々の努力や積み重ねが大事。
 それは弓道とも通じるものがあるね」
 「お説御尤もでございます」
桜士郎は手を合わせて拝む仕草をしながら、そう茶化して言う。
そんな桜士郎の態度を特に気にする事もなく、誉はまた視線を窓の外へ向けた、
 「僕のそんな考えが、彼女に淋しい思いをさせていたんだね。
 今度逢えたら、ちゃんと甘えさせてあげよう」
 「今度はノロケかー。ハイハイ、好きにやって。俺はもう行くよ」
ヒラヒラと手を振って離れていく桜士郎の背中を追って、誉が声をあげた。
 「ほら、彼女が気が付いた。こっちに手を振ってくれているよ」
窓の外を見ると、大きく手を振っている夜久月子の姿が見えた。
その周囲には、月子の幼馴染二人の姿もある。
居心地の悪そうな顔で見上げる二人も、誉が気付いた事が判ると頭を下げた。
そんな二人にも、誉は優しい笑顔で手を振り返している。
 「あの場所を通る時は、いつもこの窓を見上げてくれるんだ。
 それに気付いてからは、僕もなるべく窓の外を眺めるようにしているんだよ。
 僕を見付けられなくてガッカリさせては、彼女に申し訳ないからね。
 本当は、僕がいつでもあの笑顔を見たいから、ってだけなんだけど」
 「なーんだ。ちゃんとデートはしてるんだ。二人の愛に距離は関係ない、か。
 よし、次回の新聞のテーマはそれに決まりだな。早速マドンナちゃんに取材を申し込むぞ」
そう言って今度こそ、その場を離れて歩き出す。その背中にまた、誉が声を掛けた。
 「あまり彼女を困らせないであげてね。彼女が嫌な思いをするなら、相手が桜士郎だとしても、
 僕は怒らないわけにはいかないよ。それに、彼女が僕以外の男と一緒に居るの。
 僕が嬉しく思ってないって事も、ちゃんと覚えておいてほしいな」
 「ハイハイ、ご馳走様。マドンナちゃんの周りに居る男の排除なら、俺に任せておきなさいって。
 マドンナちゃんはネタの宝庫。取材対象には持って来いなのよ。それ以外に意味はなーい!!」
嬉しそうに声を弾ませて、桜士郎は教室を出て行った。
 「……本当に判っているのかな」
肩を竦めて見送った後、誉はまた視線を窓の外へと戻す。
窓の向こう側には、傘を差した月子が幸せそうに微笑ながら、誉を見つめている。
 「でもまぁ、彼女のあの笑顔が曇るような事があればどうなるか。
 桜士郎には一度しっかり、伝えておいた方が良さそうだよね」
月子の視線をしっかり受け止めながら、誉も笑顔を浮かべる。
幸せの微笑に少しばかりの黒い楽しみが含まれている事に、月子は気付かなかった。

完(2012.06.03)  
 
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