「手をつなごう」

春が終わり、夏が近付く、梅雨の晴れ間。
久し振りの日差しに誘われて、夜久月子は、幼馴染みで恋人の七海哉太と一緒に、
街へ遊びに来ていた。
 「それでね、そこのショートケーキが、すっごい美味しいんだって。
 甘い物好きの宮地君に教えてもらったお店だから、絶対だよ」
 「ふーん」
楽しそうに話す月子の言葉に、哉太は素っ気無い返事をする。
部活仲間だと言うのは判っているけれど、大好きな月子の口から、他の男の名前を聞くのは、
正直面白くない。つい、拗ねた態度になってしまう。
今日は久し振りのデート。
学園に居る時は、もう一人の幼馴染み、東月錫也が一緒だから、
二人きりで過ごせるのを楽しみにしていた。
その反面、二人きりということを意識し過ぎて、繋いだ手が震えそうになっている。
緊張感が高まって、哉太の顔は仏頂面になっていた。
 「哉太。もしかして、ケーキ屋さんに行くの、嫌だった?」
仏頂面で素っ気無い返事をする哉太に、月子は心配そうな顔で尋ねる。
部活の休憩中に聞いたケーキの話が忘れられず、休みになったら一緒に行こうと、
今日のデートは月子の方から誘っていた。
 「んなことねーよ。俺も、ケーキは好きだからさ。それに、その店が人気あるのも知ってる。
 雑誌に載ってたのを読んだんだ」
不安そうな顔で見上げている月子に気付くと、哉太は慌てて首を振る。
そして、『余計なことを言った』というように、顔を顰めた。
 「わざわざ調べてくれたの?」
 「ち、ちげーって!! 購買に行ったら、たまたまあったんだ。立ち読みだよ、立ち読み。
 ほら、さっさと行こうぜ」
哉太の変化に気付かない月子が、キョトンとした顔で聞き返す。
それに早口で答えると、繋いでいた手を強く引いて、歩道橋の階段を足早に上って行く。
 「で、その店は、ショートケーキ以外に、何がオススメなんだ?」
 「えっとね……」
誤魔化すように変えられた話題で、二人はそのまま会話を続けた。
 「きゃっ」
 「うわっ!! っと、危ねっ」
おしゃべりに夢中になりながら歩道橋を降りると、月子は真っ直ぐに歩いて行く。
哉太はそのまま反対方向へと歩き出し、手を繋いでいた二人は、
綱引きのように引っ張られ、その反動で月子がバランスを崩して倒れそうになる。
 「何処行くつもりだよ。道、こっちだろ」
月子の身体を支えながら、哉太が文句を言う。指で示したのは、哉太が歩き出した方向。
 「違うよ、哉太。宮地君に聞いたのは、歩道橋を下りて、真っ直ぐだったもん」
 「何だよ、俺より宮地の方が正しい、ってのか。ぜーったい、こっちの道だ!!」
他の男の肩を持つ月子に、哉太はムキになって言い返した。
店の場所はうろ覚えだったけれど、男の意地が勝つ。
 「宮地君が正しいとか、そういうんじゃないよ。私の仕入れた情報が正確なの。
 記憶力は、哉太よりも良いんだからね」
胸を張って言う月子に、男の意地はあっさりと敗北する。
 「そんな笑顔を見せられたら、誰も勝てねーよな」
 「哉太、何か言った?」
小さな呟きは、月子の耳には届かなかった。
それに安堵すると、哉太は大きな声を出す。
 「何も!! ってーか、月子、ちょっとあっち向いてろ!!」
繋いでいない方の手で、月子を無理矢理後ろ向きにする。
 「えっ、何で?」
 「良いから!! 絶対こっち向くなよ」
驚いている月子に更にそう念を押すと、哉太自身も月子と反対方向へ身体を撚る。
見られていないことを確認してから、ポケットの中に仕舞ってあった紙を取り出した。
 「えっと、歩道橋を渡っただろ。したら、どっち行くんだ。あー、この地図、見づれー!!」
雑誌の切り抜きを広げると、ケーキ屋までの地図を確認する。
 「哉太、それ何?」
ブツブツと聞こえてくる独り言に、月子は我慢できずに振り向いた。
哉太の肩越しに覗き込むと、手にしている紙に視線を向ける。
 「うわっ、だから、こっち向くなって!!」
 「良いじゃない、別に。それ何? ちょっと見せて」
 「だから、ダメだって」
 「あれ、これ、お店の切り抜き。哉太、やっぱり調べてくれてたんだ」
哉太から切り抜きを奪うことに成功すると、また嬉しそうに笑う。
それを見た哉太は、観念したように、ボソボソと言い訳を口にするのが精一杯だった。
 「違う。たまたま、その……あったから」
月子がケーキ屋に行きたいと言い出した後、購買で雑誌を見付けた哉太は、
すぐにそれを購入した。
女の子向けの雑誌を買ったなんて、恥ずかしくて、錫也にも言っていない。
場所を覚えるために、必要なページを切り抜き、ずっと持ち歩いていたせいで、
紙はボロボロになっている。
 「えっと、地図によると……。うん、こっち」
切り抜きを確認していた月子が、顔を上げて、道を指さした。
それは、哉太が行こうとしていた方向。
 「えっ、違っ」
それは、哉太が地図で確認した方向とは、明らかに異なっている。
地図が示していたのは、月子が向かおうとした、真っ直ぐの道。
哉太が選んだ道へ行くと、とても遠回りになってしまう。
 「ほら、哉太。早く行こう」
月子はそう言うと、繋いでいる手を引っ張った。
どんなに違う道を進もうとしても、絶対に離すことがなかった、二人の手。
立ち止まっていても、その手はずっと、繋がれたままだった。
 「お、おぅ。じゃあ、行くか。……遠回りでも、二人で歩いてるなら、きっとすぐだよな」
 「うん、きっとね」
哉太の小さな呟きは、今度は月子の耳にも届いていた。
言葉を返され、哉太は顔を真赤にして狼狽える。
 「うわっ、聞いてんなよ!!」
 「だって聞こえたんだもん。それより、道が分かれる時は、行く方向を先に言ってね」
 「……月子もな」
そしてまた、楽しそうにおしゃべりをしながら、二人は歩き出す。
その手はやっぱり、繋がれたまま。

完(2011.06.12)  
 
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