「ゆるゆる」
広い大学のキャンパスを急ぎ足で歩く。
お昼を一緒に食べようという、東月錫也との約束の時間に、少し遅れていた。
一限目から講義のあった夜久月子を、『二人分のお弁当を持っていくから楽しみにしてて』と、
笑顔で送り出してくれた錫也を思い浮かべて、自然と笑みが溢れる。
待ち合わせ場所までもう少し、という処まで近付くと、浮かべていた微笑みが固まった。
「あっ」
友達らしいグループに囲まれて、楽しそうに笑っている錫也を見付ける。
星月学園にいた頃は、いつも隣にいた錫也。
高校を卒業して大学に入学し、行動範囲が広がった分、別々の時間を過ごすことが多くなった。
錫也には錫也の、月子の知らない世界があることに、頭では理解していても、
心が付いていかなくなる。その感情を『嫉妬』と呼ぶのだと、月子は最近学んだばかりだった。
仲良さそうに話すグループの中には、女子学生も含まれている。
錫也の隣に立ち、笑いながら錫也の腕を軽く叩く。
そんな彼女に、錫也の困ったような微笑みが向けられる。
ただの友達だということは判っているのに、置いていかれたような淋しい気持ちと、
もう二度と自分の横には戻ってこないかも知れない恐怖とが、心を支配していく。
月子はその場に立ち尽くしたまま、動けなくなってしまった。
「あれ、月子? こんな処で何してるの? 東月くんとお昼、って言ってなかったっけ?」
さっきまで同じ講義を受けていた、友人の春名真琴が声を掛けてくる。
「やだ、またそんな顔してる。今度は何があったの? ……って、あれか」
月子の顔を見て駆け寄ってきた真琴は、月子の肩越しから錫也の姿を見付けると、
軽く溜め息を吐き出した。
「東月くんと約束してるんでしょ? だったら堂々と、声を掛ければ良いじゃない」
「でも、楽しそうだし。邪魔したら悪いから」
「それ、杞憂だと思うわよ。東月くんに限って、月子を邪魔に思うなんて、絶対にあり得ない」
キッパリとそう断言すると、月子の肩を抱いて、錫也達の居る方へと向ける。
「証明してあげるから、東月くんの顔、よーく見てるのよ」
「えっ、何?」
真琴が何をするのか判らずに月子が戸惑っていると、その横で錫也の名を呼ぶ声が響く。
「東月くん!!」
その声に気付いたのか、錫也がこちらに視線を送る。
その瞳に月子を捉えた途端、幸せそうな笑顔が浮かんだ。
「見てよ、あの顔。これ以上にないってくらい、ゆるゆるでしょ。
東月くんにあんな顔させることが出来るの、月子だけなんだからね。
もう少し自信持ちなさい」
「うん」
友達に別れを告げて近寄ってくる錫也に、視線が釘付けになる。
真琴がゆるゆるだと言ったその笑顔が、月子の一番好きな錫也だったから。
「どう見てもあれ、東月くんの視界には月子しか入ってないわよね」
「そんなこと、ないと思うけど」
真っ直ぐに月子を目指して歩く錫也を見ながら、真琴の言葉に自信なさそうに答える。
図らずとも見つめ合う格好になっている二人に、真琴はヤレヤレと肩を竦めた。
「嫉妬するのも可愛いとは思うけど、程度の問題よ。
月子の場合、もう少し図々しくなって良いと思う。
遠慮ばかりしてると、そっちの方が、東月くんには負担になるわ」
「それ、どういう意味?」
「さあね。そんなの、自分で考えなさい」
真琴は月子の問いには答えず、近付いてくる錫也に軽く手を振ってから、その場を去っていった。
「ごめんな、月子。待たせちゃったよな」
遅れてきたのは月子の方なのに、錫也の方が謝ってくる。
「ううん、今、来た処だから。私の方こそ遅くなって、ごめんね。
折角みんなで話してたのに、私、邪魔しちゃったんじゃない?」
「そんなことないよ。他愛のない話をしてただけだし、月子を待っていたんだから、
お前はそんなこと、気にしなくて良いんだよ。ほら、昼休みが終わっちゃう。行こう」
そう言って錫也が手を差し伸べてくる。
その手の先にある腕を、さっきまで錫也の隣に立っていた女子学生が触れていた。
そのことに気付くと、またモヤモヤとした感情が、心を覆っていく。
その気持ちを振り払いたくて、錫也の腕を軽く叩く。まるで埃を取り払うかのように。
「ん? 何か付いてた?」
「うん、そんなとこ。それより、お腹空いちゃった。お弁当のおかず、何かな?」
「甘い卵焼き。月子、これ好きだろ。それから、デザートもあるよ」
「わぁ、食べるのが楽しみ」
差し出された手を握り返して、月子は満面の笑顔を浮かべる。
月子が一番大好きな、錫也のゆるゆるの笑顔を独り占めするために。
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