「特別扱いはイヤ」

目を開けると、最初に目に飛び込んできたのは、真っ白い天井。
左右に視線を彷徨わせると、ベッドサイドに白いカーテンが引かれているのが見えた。
カーテンの向こう側から話し声も聞こえてくる。
ベッドに横たわっている夜久月子は、もう一度目を瞑ると、どうしてここに居るのか、
その理由を考えてみることにした。
体育の授業までは覚えている。今日の体育はマラソンだった。
基礎体力を測ることを目的に、校庭から中庭の噴水を回って戻ってくるコースを三周。
簡単な持久走の授業。幼馴染の東月錫也や七海哉太と競争しながら、楽しく走っていた。
昨夜は星座の課題を熟すのに手間取って、少しばかり夜更かしをして寝不足だったのが
悪いのか、授業が終わる頃になると、気分が悪いような気がして……。
 「夜久、大丈夫かな?」
微かに聞こえていたカーテンの向こう側の声が、ハッキリと言葉として耳に届く。
月子は驚いて目を開けた。声の主が近くまで歩いて来るのが、カーテン越しでも判る。
 「ちょっと疲れが出ただけだろう。入学してやっとひと月が経ったんだ。誰でも気が緩む頃だ」
心配そうな声に眠たそうな声が答える。担任の陽日直獅と保健医の星月琥太郎の声。
聞き慣れたその声に、ここが保健室だということを理解した。
 「やっぱり夜久には少しキツかったのかな。アイツが女の子だってこと、すぐに忘れちゃうんだ。
 もっと気を使ってやらないと。……こう、夜久でも簡単に出来るカリキュラムをもっと増やして」
 「陽日先生!! 私、そんなの嫌で……あっ」
 「夜久、起きたのか?」
直獅が声を掛けながらカーテンを開けると、月子はベッドの上に起き上がって顔を掌で覆っていた。
 「どうした、何処が痛むのか? 琥太郎先生、夜久が……」
 「あぁ、判っている。直獅は少し離れていてくれ」
 「うん、だけど……」
オロオロと心配そうにベッドサイドに立ち尽くす直獅を押しのけ、琥太郎が月子の傍に屈みこむ。
 「大丈夫だ。急に起き上がって目眩がしただけだろう。ほら、手を貸すから横になれ」
 「ごめんなさい」
琥太郎の手を借りて、ゆっくりとまた枕に頭を乗せる。
横になると少しは楽になるのか、目を開けても視界が不安定に揺れることはなくなった。
呆れた表情で息を吐きだす琥太郎の肩越しに、心配そうな顔を覗かせている直獅が見えた。
 「陽日先生。私、嫌です。私だけ特別なカリキュラムだなんて……。
 私、ちゃんと判って入学しました。この学園に女子は私一人だけだって。
 でもそれは、私だけ特別扱いをしてもらえると思ったからじゃないです。
 私だって他のみんなと同じこと、ちゃんと出来ますから。だからお願いです。
 みんなと同じことをやらせてください」
必死な面持ちで訴える月子に、直獅はどう言って良いのか判らずに戸惑っていた。
 「だけどな、夜久。そうは言っても、お前は女の子なんだから」
 「ちゃんとやれます!! 陽日先生、言ってたじゃないですか。
 私が女子だってこと、すぐに忘れるって。それってちゃんとやれていたってことですよね。
 それならこれからだって……」
興奮して起き上がろうとする月子の肩を、琥太郎が手で抑えて寝かし付ける。
 「あぁ、判った、判った。だからその辺にしておけ。あんまり興奮すると、また目眩を起こすぞ。
 それに直獅もだ。だいたい判っていたことだろう。
 頑固で意地っ張りの夜久が、手心を加えられて喜ぶはずがないってことくらい」
 「それはそうだけど」
琥太郎の言葉に何か言おうとしていた直獅も、瞳を潤ませて見上げている月子を見ると、
つい口籠ってしまう。
 「体調を崩すのに、性別なんて関係があるわけないだろう。ここ数日の俺を見ろ。
 体調を崩した一年生で満員御礼状態だったんだぞ、ここは。お陰で昼寝も出来なかった。
 夜久はその中の一人っていうだけだ。何も特別なことはない」
琥太郎の援護を受けて、月子の眼差しも強くなる。直獅は仕方ないと、肩を竦めて息を吐き出した。
 「判った。カリキュラムの変更はしない。だけどな、夜久。これだけはちゃんと守ってくれ。
 体調が悪い時に無理はするな。お前は俺にとって、可愛い生徒の一人なんだ。
 だから、具合が悪くなったらすぐに言うんだぞ」
 「はい。ごめんなさい」
 「よし、約束だ。さぁ、夜久も目が覚めて安心したし、次の授業があるから俺はもう行くよ。
 琥太郎先生、夜久を頼むな」
素直に頷く月子に安心して、直獅は琥太郎を振り返って言う。
それに快く受け合って、琥太郎も頷いた。
 「あぁ、コイツはもう少し横になっていた方が良いからな。動けるようになったら、寮に帰す」
 「その時は俺がおぶっていってやる。なんていったって、夜久は可愛い女の子……いや、違う。
 そう、可愛い生徒なんだからな。ほら、この間も具合の悪い七海をおぶって、ここまで運んだだろ。
 俺は生徒には別け隔てなく愛情を注でいるんだ。夜久もこういう時くらい、どーんっと俺に甘えろ」
 「なら俺にも甘えさせろ。疲れたから家までおぶってくれ」
 「可愛い生徒、って言っただろ。琥太郎先生は生徒じゃない。それじゃ夜久、また後でな」 
琥太郎の軽口にムッとして言葉を返すと、月子に向かって手を振って、直獅は保健室を出ていった。
授業に遅れそうなのか、パタパタと軽快に走る足音が遠ざかっていく。
 「やれやれ、騒々しいやつだな。これで静かになったんだから、少しは眠れるだろう。
 次に目が覚めた時には元気になっている」
ベッドサイドに残された琥太郎は、ベッドを仕切るカーテンを引きながら言う。
 「星月先生も、ありがとうございます」
仕切られた向こう側に居る琥太郎に向かって、月子は小さな声でそう告げた。
その声が届いたのか、まだベッドサイドに立っていた琥太郎がそれに答える。
いつもの眠たそうな声ではなく、その声には真剣な響きが感じられた。
 「頑固なのは構わないが、意地を張りすぎても良いことはない。無理をする前に此処へ来い。
 俺はそのために、此処にいるんだからな」
 「はい」
琥太郎の声に安心したように、月子はまた眠りに落ちていく。
次に目が覚めた時には元気になっている。
その言葉を証明してみせよう。心の中でそう誓っていた。

完(2012.07.01)  
 
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