「時間稼ぎ」

俺に残された時間は、もうそんなに多くはない。
ババ様の孫だという新たな玉依姫がこの村へ来た事で、その時間は加速度的に早まった。
 「前向きなのは良いんだけどなぁ」
さっきまで一緒に飯を食っていた珠紀の顔を思い出す。
自分の役割を知りたいと意気込んで、宇賀谷家の蔵に入った途端、貧血をおこして倒れる空け者。
のほほんと笑う顔は本当に頼りなくて、俺の運命はどう足掻いたって覆せるものじゃないと確信する。
それが判って腹立たしい筈なのに。何故か憎めなくて、逆に俺が護ってやりたいと、そう思わされちまう。
 「どうかしたのか、真弘?」
宇賀谷家からの帰り道。
クロスワードパズルの答えを聞きながら、拓磨と大蛇さんが俺達の前を歩く。
俺の横をぼんやりと空を眺めながら歩いていた祐一が、俺が漏らした呟きを耳にして、声を掛けてきた。
 「どうしたって何が? 腹一杯だー、って言っただけだぞ、俺は」
 「そうとは聞こえなかったが……。蔵へ行ってから、少しおかしい。明るく振舞っている様には見えるが、
 なんだかわざとらしく思う。本当に何かあったのではないのか。先程のことも気になっていたんだ。
 蔵の扉に施されていた結界のことやその解除方法。大蛇さんでさえ知らされていなかったことを、
 どうして真弘は知っていた。……話せないことならば、無理には聞かない。それが俺たちの決まりだ」
そう言うと祐一はまた、ぼんやりと空を眺めた。
 『主、来たれり』
ババ様の声が、まだ耳に残っている。
俺は祐一の視線を追うようにして、星明りが灯りはじめた空を見上げた。
宇賀谷家にある蔵。その中には何万とも知れない蔵書が眠っている。
その扉を守っているのは鍵なんかじゃない。特別に施された結界が、蔵の宝を守っているんだ。
ババ様がどうして俺に、玉依の英才教育をしようと考えたのかは知らない。
ただ俺は、自分の運命を覆す究極の裏技を探し出したかった。
ただその一心で、子供だった俺はババ様に手を引かれながら、あの蔵に通ったんだ。
 『主、来たれり』
ババ様がその言葉で扉を開き、俺は蔵で書物を漁る。来る日も来る日も、飽きることなく続けられた。
そして俺は一つの結論に達する。どう足掻いた処で、俺の運命は変わらない。
もしかしたらババ様は、俺にそれを理解させる為に、毎日蔵に連れて行っていたのかもな。
それを知った日から、俺は二度とあの蔵には近付かなかった。
今日、珠紀が『自分を知りたい』と言い出すまでは。
 「深刻そうな顔で何を言うかと思えば、んなことかよ。知ってたのはたまたまだ。
 ガキの頃、みんなでよくかくれんぼとかやったろ。俺はよく蔵の近くに隠れてたんだ。
 その時、蔵を開けるババ様を何度か見掛けた。そこで耳にしたのを覚えてたんだよ。
 ただ、隠れ場所は俺だけの秘密の場所だ。誰にも知られたくない。だからずっと黙ってた。
 拓磨たちには内緒だからな」
殊更明るい口調を作って、祐一の問いに答える。
そんな俺の言葉を、祐一はまるで信じてなどいない顔で、それでも無言で頷いてみせた。
俺はそれに気付かない振りをすると、祐一の背中を勢い良く叩く。
 「ほら、随分と遅れちまってんぞ。大蛇さんたちが待ってるから急げ」
道が交差する一歩手前。それぞれの家路の方向へと分かれる場所。
大蛇さんと拓磨が、遅れてしまっている俺たちを待つように、こちらを振り向いて立ち止まっていた。
 「封印の効力はだいぶ弱まっています。けれど、完全になくなってしまったわけではありません。
 珠紀さんが玉依姫として覚醒し、封印の儀を執り行えれば我々の悩みもなくなります。
 あまり余裕はありませんが、珠紀さんには気負わずに覚醒するよう促したいと思います。
 我々に出来ることは、彼女により多くの時間を与えること。その為には、より一層宝具の封印を
 護り抜くことが必要です。我々の成すべきことを、成しましょう」
大蛇さんが俺たちを見回して言う。決意を固めるように、祐一と拓磨も真剣な顔で頷き合う。
玉依姫の覚醒……か。本来なら玉依姫の覚醒には、七歳の時に特別な儀式を行う必要がある。
その儀式を行わなかった珠紀には、覚醒する為の切っ掛けが必要なんだ。
ただボケっと待っていても覚醒なんかしやしない。ただムダに時間を浪費するだけだ。
身体の中に蓄えられた力の解放。その為には、力を覆っている蓋を開くしかない。
その切っ掛けを与える唯一の方法は……。
 「真弘先輩、どうしたんすか? 顔が赤いっすよ」
今一瞬、俺と珠紀がキスしている映像が頭に浮かんだ。
うあぁ、バカバカバカ。俺はいったい何てものを想像してるんだ。
相手がフィオナ先生ならいざ知らず、なんで珠紀なんかと!!
玉依姫の力を覆う蓋を開く切っ掛けは、ただ一つ。守護者と交わすキスだけだ。
それが儀式をしなかった玉依姫の、唯一の覚醒方法。
 「なななな……なんでもない!! 別に照れてるとか、そんなんじゃねーからな!!
 これはただその、やる気だ、やる気。気合入れてんだよ。やるぞーってな!!」
 「その割には、随分と慌てているように見えるが」
シラッとした雰囲気が三人の間に流れる。くそっ、またバカにしてやがる。
憮然とした顔で見回すと、あることが脳裏を掠める。
玉依姫の覚醒には守護者とのキスしかあり得ない。
……ということは、この中の誰かが珠紀と……キスするってのか!!
そう思った途端、胸の中に嫌な気分が渦巻いた。この不快感が何なのか、俺にはまだ判らない。
ただ、親友や後輩に先を越されるのが嫌なだけかも知れない。
大蛇さんが相手だと、何かエロいって感じだしな。
これは男同士の沽券に関わる重大な話で、こいつらに嫉妬してるとか、珠紀に変な想いがあるとか、
そんなんじゃない。そうだ、そうに決まってる。
 「あー、煩い、煩い!! 兎に角、時間を稼げば良いだろ。珠紀が玉依姫になるまでの時間を」
俺がこの世に居られるだけの時間を。
珠紀が玉依姫に覚醒する。それにはもう期待はできない。
それなら、俺がこの世に居られる時間を、ギリギリの処まで意地汚く稼ぎだしてやる。
俺たちはもう一度それを誓い合い、それぞれの家路に向かって歩き出した。

完(2012.05.06)  
 
  ☆ このお話は、杏 様よりリクエストをいただいて完成しました。心より感謝致します。 あさき
  
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