「潰走」

アメリカへ行く。ずっと俺の心を支え続けた、大事な夢。
最初は、たまたまテレビで見た風景に興味を引かれただけだった。
見渡す限り何もない、果てしなく続く大地。砂埃舞う一本の長い道。
たどり着く先に何が待っているのか判らない興奮。何かを手にできる可能性。
それらすべてが魅力的に見え、俺はその時、憧れという名の夢を手に入れた。
心は怯えていつでも逃げ出したくて、それでも震える足でその場に立ち続ける。
それはすべて、大好きな者たちを護るため。俺はそうして、運命を受け入れた。
俺の身体に自由がないのなら、せめて心だけは自由であり続けろと、
憧れた夢にそう願いを篭めた。
いつしか運命が施行され、俺がこの世を去った後も、誰にも悲しい顔なんかさせたくない。
俺を思い出す時は、そこには必ず笑顔があって欲しい。
 『真弘先輩、今頃、アメリカで何やってんすかね』
 『真弘は糸の切れた風船みたいだからな。あっちこっちフワフワと動き回っているんだろう』
そんな会話を、いつまでも続けていて欲しくて、俺はこの夢を、事あるごとに語って聞かせた。
そしてやってきた最終決戦で、俺を縛り付けていた運命は、周囲の思惑とは別の方向へと
転がっていき、誰も予想しなかった結末を迎える。俺は、本当の意味での自由を、手に入れた。
――――― 宇賀谷家 拝殿。
珠紀が舞の稽古をしていると聞いた俺は、静かに拝殿へと忍び込む。
真剣な表情で舞い続けている珠紀を、邪魔したくなかったからな。
 「・・・っ!!」
俺は愕然となって、その場に立ち尽くしてしまった。
拝殿の中央で、音に合わせて舞を披露していたのは、珠紀なんかじゃない。
姿はそのまま珠紀なのに、纏っている雰囲気は、明らかに別人のものになっている。
 「・・・玉依姫・・・か」
俺の中にあるクウソノミコトの血が、煩いほどに騒ぎ出す。
あそこに居るのは玉依姫だと、強く、確信を持ってそう告げる。
目の前で舞う珠紀は、俺たちと一緒に戦い、煩い程に泣いたり怒ったりしていた、
あの弱虫で泣き虫の珠紀なんかじゃない。
足を地に着け、しっかりと前へ歩き出している、強くて頼もしい玉依姫。
手の届かない処まで行っちまっている珠紀に、淋しさと不安の混ざる心を、
俺はどうすることもできずにいた。
拝殿の入り口に座り、複雑な気持ちを持て余していると、鳴り響いていた音が止む。
顔を上げると、珠紀が俺に気付いて、走り寄ってくる処だった。
 「よぉ、お疲れ」
 「真弘先輩!! いつから居たんですか? 私、全然気付かなかった。
 気配を消してるなんて、ズルイです」
少し拗ねたような言い方をする珠紀の顔には、いつもの笑顔が浮かんでいた。
俺の横に座り込むと、舞の稽古中に感じる、不思議な現象について語り出す。
 「舞の稽古を始めると、いつも違う場所に居る気がしてくるんです」
それはさっき、俺が感じた奇妙な感覚。珠紀が纏っている玉依姫の雰囲気と合致していた。
舞の稽古中、珠紀はずっと玉依姫と同化していたんだ。
 「もうすぐ玉依姫襲名の儀がある。しっかりやれって、玉依姫のお告げなんじゃねーのか」
 「・・・私が玉依姫になって、本当にいいんでしょうか」
玉依姫襲名の儀に怖気付いたのか、珠紀が小さな声で弱音を吐く。
ったく、こういう処は、全然変わってねーよな。
あれだけの事をやってのけたのに、まだ自信がないってのか。
自信がないのは・・・俺も一緒か。
俺は自分の気持ちを誤魔化すように、珠紀の頭を軽く叩くと、勢い良く後ろに押し出した。
空元気を出して、珠紀を慰める言葉を口にする。
 「なーに、バカなこと言ってんだ、お前。良いも悪いもねーだろ。
 もうお前は、俺たちにとっては、立派な玉依姫なんだからよ」
珠紀はもう、俺たちの玉依姫だ。俺だけの、珠紀じゃない。
玉依姫襲名の儀が終われば、こいつの隣に立つ資格を失っちまう。
俺は、自分に与えられた役割すら全うできない、中途半端な守護者なんだからな。
結局俺も、クウソノミコトと同じだ。土壇場で、自分の命を惜しいと思っちまった。
オメオメと生き残った俺を、玉依姫の横に相応しい男だなんて、誰も認めやしない。
 「あんま気張んなよ。お前は、やりたいようにやれば、それで良いんだ。
 後は、俺たちに任せておけ。守護者ってのは、そのために居るんだからな」
珠紀を護るために存在する守護者。俺が居なくても、残る四人がお前を護ってくれる。
気張るな、か。それは、俺に言ってやりたい台詞だよな。
自嘲気味に笑うと、俺に微笑を向ける珠紀から、目を反らした。
アメリカへ行く。あの長い道程を進めば、俺にも何か手にすることができるはずだ
それを手にして戻って来たら、珠紀はもう一度俺を、受け入れてくれるだろうか。
・・・俺はまた、夢を逃げ出す理由に使っちまうんだな。
深い溜息を吐きながら、俺は単身、アメリカへ行くことを決意する。

完(2011.05.29)  
 
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