「続く幸せ II」

――――― これもまた、幸せな未来の話だ。
仕事から帰って来た俺は、玄関の扉を開けるのを、暫くの間躊躇していた。
ここ数日、珠紀のやつがおかしい。明らかに、一人で空回っている。
 「ったく、いったい何だってんだよ」
大仰に息を吐き出すと、俺は勢いを付けて扉を開けた。
 「ただいま」
玄関先で声を掛けると、台所の方からパタパタと走ってくる足音が聞こえてくる。
 「おかえりなさい、真弘さん」
にこにこと嬉しそうな笑顔を浮かべた珠紀が、俺を出迎えてくれる。
この瞬間が、すげー幸せ。仕事の疲れも、一瞬で吹き飛ぶってもんだよな。
 「どうかしたんですか?」
幸せを噛み締めていた俺に、珠紀がキョトンとした顔で尋ねてくる。
どうやら顔がニヤケていたらしい。
 「な、なんでもねーよ」
俺は赤くなる顔で何とか冷静さを繕うと、何事もなかったかのように部屋へと向かった。
その後ろを、珠紀が慌てて付いて来る。
 「あ、あのね、真弘さん」
俺の着替えを手伝いながら、珠紀が言いにくそうに口を開く。
今日も始まったか。
 「んー、何だ?」
多少呆れながらも、俺は知らない振りをして返事をする。
 「お、お風呂にします? ご飯にします? そ、それとも、わた・・・」
今度はいったい、何を言い出したんだ?
そう思って珠紀の顔を振り向くと、真っ赤な顔で口篭っている。
 「わた?」
 「わた・・・綿菓子にします?」
多少自棄気味の口調で、珠紀はそう言い切った。
 「・・・・・・」
実際には数秒だと思うが、とても長い時間が、
お互いの間を静かに通り過ぎて行った気がする。
 「・・・メシ」
呆然と固まっていた俺は、何とか搾り出すように、そう告げた。
その言語をキッカケに、また時間が動き出す。
 「そ、そうですよね。こんな時間から甘いものなんて、変ですもんね。
 やだ、何言ってるんだろう、私。し、支度してきまーす」
早口でそれだけ言うと、珠紀は乾いた笑いを残したまま、部屋を出て行った。
 「だーから、いったい、なんだっつーんだよ!!」
誰もいなくなった部屋で、俺の言葉だけが虚しく響き渡る。
八つ当たり気味に蹴飛ばした座布団の下から、珠紀の物らしい雑誌が顔を覗かせた。
 「なんだ、これ」
手に取ってみると、表紙を飾っている大きな文字が、目に飛び込んで来る。
 『新妻必読!! 旦那様を喜ばせる20の言葉』
中身をパラパラと捲った俺は、ガックリと項垂れた。
 「原因はこれかよ」
聞いてるこっちまで恥ずかしくなるような言葉たちが、幾つも紹介されている。
ここ数日の間で、その中の幾つかを、珠紀が挑戦していたのを思い出す。
実際は、途中で恥ずかしくなって誤魔化した挙句、空回る結果になっていた。
 「こういうバイブルっぽい本。誰かを彷彿とさせんだよなぁ。
 あいつ、珠紀に変な知恵付けてたら、ただじゃおかねーぞ」
そう悪態吐くと、雑誌を放り投げて、俺は居間へと向かった。
テーブルに夕飯を並べていた珠紀は、さっきまでの事が恥ずかしいのか、
俺と目を合わせようともしない。
可哀想なくらいに気落ちしてるのが、ありありと見て取れる。
ったく、あんな本を真に受けやがって。
俺はテーブルの前に座り込むと、勢い良く茶碗を差し出した。
 「メシ!! それが終わったら、次は風呂。
 んで、最後は珠紀、お前だ。たっぷり可愛がってやるから、楽しみに待っとけ!!」
そう声を張り上げて言う俺を、初めはポカンっとした顔で見ていた珠紀が、
可笑しそうにクスクスと笑い出した。
 「んだよ」
 「だって、真弘さん。顔、真っ赤ですよ」
そう言って、それでも嬉しそうな顔で笑っている。
 「うるせーな。俺は、好きなもんは最後にとっておくタチなんだよ。
 ほら、さっさとメシ、装って来い」
 「はーい」
機嫌良く茶碗を受け取ると、ご飯を装いに行く。
俺は、そんな珠紀の姿を、幸せな気分で見つめていた。

完(2011.04.18)  
 
  ☆ このお話は、紅葉様よりリクエストをいただいて完成しました。心より感謝致します。
                                            あさき
 
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