「大騒ぎ」

ピリピリとした重苦しい空気と、そして全身に纏わり付く疲労感。
永遠とも思える程の時間が、暗い雰囲気の漂う居間に流れていた。
 「それで、どうしろって言うんすか」
沈黙に耐えかねたように、うんざりとした声の拓磨が、もう何度目かの同じ言葉を口にする。
 「んなの知るか!!」
この状況の原因でもある真弘先輩も、それまでと同じ言葉を返してくる。
私は、そんな二人を見比べながら、大きな溜め息を吐くしかできずにいた。
ことの発端は、今から一時間程前。
拓磨と二人で資料を眺めている時に、真弘先輩が遊びにやってきた処から始まる。
 『おっ、二人して何見てんだ?・・・観光案内って、お前ら、どっか行くのか?』
居間に入ってきた真弘先輩は、私と拓磨の間に広げられていた資料を取り上げると、
書かれていた内容に興味を示す。
 『俺たち、来週から修学旅行なんすよ。班行動の時に何処へ行くか決めておけ、って
 宿題の真っ最中なんで。できたら邪魔しないでくれないすかね?』
そう言って拓磨が資料を奪い返そうとしたとき、ピリっという空気の振動を感じた。
 『あ?・・・修学旅行・・・だと?』
怒りを含んだ風を周囲に纏った真弘先輩の口から、搾り出すような低い声が聞こえてきた。
それから、 お祖母ちゃんを訪ねていた卓さんと、宮司修行をしていた慎司くんが止めに入るまで、
喧嘩を吹っかける真弘先輩と、それを宥めようとする拓磨との間で、小競り合いが続いていた。
 「お前らばっかりズルイじゃねーかよ。俺は修学旅行になんて、行ったことねーんだぞ」
鬼切丸の封印や玉依姫を守護するために、異能の力を授かった守護五家。
力を持つが故に、彼らはこの季封村に縛られ、外の世界を知らずに育った。
この間の戦いで鬼切丸は破壊され、封印を護る必要がなくなった今、守護五家のみんなは、
村の外へ自由に出て行くことが許された。
そして、今年の修学旅行には、拓磨も一緒に参加する。
真弘先輩は、どうもそれが気に入らないらしい。
 「だけどほら、祐一先輩だって行ったこと、ないじゃないっすか」
 「いーんだよ、あいつは。どうせ今頃、楽しいキャンパスライフ、っつーのを満喫してんだからな」
真弘先輩と同学年の祐一先輩も、学校行事はすべて不参加だった。
そのことを引き合いに出した拓磨に、真弘先輩はウンザリした声で不満を漏らす。
大学に受かった祐一先輩は、先にこの村を離れて、大学近くの寮で一人暮らしをしている。
真弘先輩にとっては、それすらも羨ましい対象の一つだったみたい。
 「ぼ、僕も行ったことないですよ。季封村へ帰ってくる前も、ずっと篭って修行してましたから」
 「煩せーな。お前はどうせ、来年には行けんだろ」
拓磨たちのやり取りを、私と一緒にオロオロしながら見ていた慎司くんも、
何とか加勢しようと、拓磨に助け舟を送る。しかしそれも、あえなく撃沈。
その時、ある疑問が頭を過ぎった。
その答えが知りたくて、傍で悠長にお茶を飲みながら、
事の成り行きを見守っている卓さんの方へ、顔を向ける。
 「卓さんは、修学旅行、行かれたんですか?」
 「私ですか?私の頃はまだ、封印も安定してましたからね。
 短い間だけなら、村の外へ出ることを許されていたんです。
 だから、行きましたよ、修学旅行」
私の疑問に、にっこりと微笑を浮かべると、卓さんは懐かしそうにそう言った。
 「あっ」
慎司くんの小さな呟きを耳にした瞬間、静まりかけた居間の中に、
不気味な風の唸る音が聞こえてきた。
どうやら、冷めかけた熱の中に、火種を落としてしまったみたい。
 「ごめんなさい、真弘先輩。ちょっと気になっただけで、特に意味はなかったんです。
 だから、お願いします。もぉ、暴れないでー!!」
 「おやおや。みなさん、本当に元気ですね」
私の悲痛な叫びの横で、卓さんだけが、相変わらずのんびりとお茶を啜っていた。
それからまた暫くの騒動の後、漸く静寂を取り戻した居間で、
先程と寸分違わぬ様子で座っていた卓さんが、一同を眺め回して、ある提案を口にする。
 「鴉取くんの気持ちも、判らないではないですね。
 どうでしょう。みなさんで一緒に、温泉旅行にでも行きませんか?」
 「温泉旅行!!」
卓さんの言葉に、居間にいた全員が、声を揃えて聞き返す。
 「先程、ババ様から報告を受けました。
 村会長さんから慰安旅行に誘われているそうです。
 それに、私たちも便乗しては、と思いましてね。
 大人数で行く旅行です。ほら、修学旅行に似ていませんか?」
卓さんの提案に、私達は顔を見合わせた。
呆けた顔で座っている真弘先輩に視線を送った後、
拓磨と慎司くんが、我に返ったとでも言うように、慌てて頷き始める。
 「そ、そうっすよね。確かに、似てなくもない」
 「似てますよ。絶対、似てます。ほら、真弘先輩、修学旅行に行けますよ」
慎司くんが、そう言って飛び切りの笑顔を向けた先には、
空を見つめたまま赤い顔をしている真弘先輩の姿があった。
 「温泉・・・旅行。珠紀と旅行。珠紀と温泉」
うわ言のようにそう呟く真弘先輩を眺めて、拓磨が軽く舌打ちをする。
 「ちっ、やっぱりそこか。どうりで、俺にばっかり執拗に難癖付けてくると思った。
 ようは、俺が珠紀と旅行に行くのが気に入らないだけなんだよな、この人は」
 「ん?拓磨、何か言った?」
話し声がを聞こえた気がして、私は拓磨に声を掛ける。
拓磨は、私の言葉に軽く首を振ると、手元にあった資料を持ち上げた。
 「いや、何にも言ってない。それより、真弘先輩が温泉旅行に気を取られてる間に、
 宿題、やっちまおうぜ」
 「そうだね。卓さんのお陰で、真弘先輩も落ち着いてくれたみたいだし」
 「あっ、僕も手伝います。来年の予習にもなりますから」
ニヤニヤと締まりの無い顔で笑ったり、顔を赤らめて首を振ったりする真弘先輩に背を向けると、
私たちは何もなかったかのように、宿題の続きを始める。
卓さんのお茶を啜る音だけが、静かな居間の中に漂っていた。

完(2011.03.27)  
 
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