「涙の理由」

扉を閉める音が聞こえた。
気のせいかとも思ったけれど、空気の振動がそれを現実だと教えてくれる。
 「珠紀様、お帰りなさいませ。・・・どうか、なされたのですか?」
念のためと思い、台所から玄関を覗くと、部屋へ向かう珠紀様の姿が目に留まった。
いつもなら元気なお声と笑顔を向けてくださるのに、今日は無言でお部屋へ戻ろうとしている。
私は慌てて駆け寄ると、珠紀様に声を掛けた。
 「ううん、何でもないよ。ごめんね、美鶴ちゃん。私、今日、お夕飯いらない。
 食べられないと思うし・・・」
 「・・・っ!!」
珠紀様の顔を覗き込んだ私は、驚愕して言葉を失ってしまった。
私に心配を掛けまいと、小さく微笑んでいらっしゃったけれど、
その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
私が呆然と立ち尽くしている間に、珠紀様は静かに部屋へと戻られてしまった。
珠紀様に、いったい何があったと言うのです。
朝、お見送りした時には、とても元気に笑っていらっしゃったのに・・・。
 「原因は、あの人しか考えられません!!今日という今日は、絶対に許しませんからね」
思い当たる原因を糾弾するために、守護五家の皆様にお集まりいただくよう、
私は受話器を持ち上げた。
――――― 30分後。
 「だーから、俺は何にも知らねーって、さっきから言ってんだろ」
居間の中央に座っている鴉取さんが、ウンザリした声で、何度目かの同じ言葉を口にする。
 「それなら何故、珠紀は泣いていたと言うんだ」
 「そうっすよ。あいつを泣かせたりしない、って約束だったから、俺たち・・・」
 「真弘先輩に、珠紀先輩を託したんですよ」
狐邑さん、鬼崎さん、慎司くんが、鴉取さんを取り囲んで、珠紀様の涙の原因を追求する。
鬼崎さんが赤い顔で言葉を濁していたのを、慎司くんが受け継いで、キッパリと言い放つ。
 「し、知るかよ!!俺が泣かせたんじゃねーんだから、約束はまだ守られてる。
 だいたい、急用を思い出したから先に帰るって、あいつの友達が伝言してきたんだぜ。
 教室へ行ったら、もう帰っちまった後だったしよ。理由があるなら、俺だって知りたい」
鴉取さんはそっぽを向くと、最後に小さな声でそう付け加えた。
 「鴉取くんの言葉が正しければ、珠紀さんの言った急用の方に、原因がありそうですね」
 「俺は本当のことしか言ってねーって」
大蛇さんの言葉に、やっと援軍を見付けたと、嬉しそうな顔を向ける。
そんな鴉取さんに、大蛇さんは微笑を浮かべると、
 「ええ。それが本当なら、貴方は自分の役割を放棄したと言うことですね。
 たとえどんな時でも、彼女を護るのが、貴方の務めなのですから」
そう突き放すように言った。
大蛇さんの背後に、何か黒いものを見た気がして、私はそっと視線を逸らす。
 「私、珠紀様のご様子を見てきます。
 皆様がいらっしゃったことも、お伝えしておかなければ・・・」
そう口にして、慌てて居間を後にした。
――――― それからまた数分後。
部屋で泣き続けていたのでしょうか。
少しだけお顔が浮腫んでいるような印象の珠紀様が、守護者の皆様に取り囲まれていた。
何があったのか、珠紀様の口から聞き出そうと、あれこれと声を掛けている。
 「俺は何もしてねーって、ちゃんとこいつらに説明してやってくれよ。
 ついでに、お前を泣かせたやつは、俺がきっちりシメてやるから、安心しろ」
頬を抑えて俯いていた珠紀様は、鴉取さんの言葉に驚いたように、顔を上げる。
目を見開いて、心配そうな顔で見守っている皆様の顔を、順に見回していた。
 「えっ、泣かせたって何?違うよ、これは・・・」
珠紀様の口から伝えられた、真実の言葉は・・・。
 「えーっ、歯が痛かっただけー!!」
五重奏が響き渡る中、ちょっと照れくさそうに笑っていた珠紀様が、私の方に視線を向けた。
 「美鶴ちゃんにも、心配掛けちゃってごめんね」
 「いえ、そんな・・・。私の方こそ、早合点してしまって、申し訳ありません」
私が首を振るのを見て、鴉取さんが横から茶々を入れ始め、
居間の中はまた賑やかになっていく。
 「そうだぞ、美鶴。珠紀に何かあると、いっつも俺のせいにしやがる」
 「真弘の場合、日頃の行いに原因があるんじゃないのか」
 「俺も祐一先輩に賛成。珠紀だけじゃなくて、俺に対する日頃の行いについても、
 そろそろ改めて欲しいっすね」
狐邑さんや鬼崎さんが鴉取さんを揶揄っているその横で、
大蛇さんが珠紀様の頬に手を伸ばしている。
その顔には、先程の黒さは微塵も感じさせない笑顔が浮かんでいた。
 「頬がだいぶ腫れていますね。随分と、我慢されていたのではないですか?
 でももう、大丈夫ですよ。腕の良い歯科医を紹介します。
 私もご一緒しますから、安心していてください」
 「僕は、歯が痛まないような料理を作っておきます。
 全然食べないなんて、身体に良くないですよ」
更に横から慎司くんも、珠紀様に声を掛ける。
そんな輪の中心で、珠紀様は幸せそうな顔で微笑んでいた。
私の大好きな珠紀様の笑顔。この笑顔が見られるのなら、私は何でもしてみせます。
えぇ、私に出来ることなら、何でも・・・。
 「今回は、私の早とちりで、皆様にご迷惑をお掛けして、申し訳ありません。
 珠紀様の体調の変化に気付かなかった、私の落ち度です。
 でも、もうご心配には及びません。後はすべて、私が引き受けますから。
 病院への付き添いも、歯に負担の掛からないお食事も。
 さぁさぁ皆様。今日はもう遅いですから、早々にお引取りを」
 「えっ?」
驚きの表情で見返す守護五家の皆様に、私はにっこりと微笑を向けた。
私の背後に何が見えたかは、知る由もなく・・・。

完(2011.02.12)  
 
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