「風の記憶」

屋上の出入口の上に寝転びながら、茜色に染まる空を眺めていた。
 「真弘、居るのか?」
下から声を掛けられて覗いてみると、祐一がこちらを見上げて立っている。
 「んだ、祐一かよ。何かあったのか?」
 「ババ様からの伝言。お前、もう聞いたか?」
 「あー、あれだろ。ババ様の孫が来る、って話。さっき、拓磨に聞いた。
 当代玉依姫なんて言っても、行き成り来て、そう簡単になれっこねーよなー」
 「・・・聞いていたなら良い。それだけだ」
俺の言葉に、もう話は終わったとでも言いたそうに、祐一はその場を離れようとする。
 「おい、もう行っちまうのかよ。つまんねーやつだな」
俺が引き留めると、祐一は肩を竦めて小さく息を吐き、フェンスの前まで移動する。
どうやら俺の話に付き合ってくれることにしたらしい。
 「なぁ、祐一。その孫って、どんなやつだと思う?
 美人だったら良いな。ほら、英語のフィオナ先生みたいにさ。
 ボーンっと胸のでかい」
 「興味ない。どんな相手でも、俺たちがやる事に変わりはないからな。
 傍に仕えて、玉依姫を護る。それだけだ」
冷たい視線を向けながら、祐一は呆れた声を出す。
その表情からは、残った事を後悔しているのがありありだ。
チェッ。ただの冗談じゃねーかよ。ノリの悪いやつだな。
 「・・・じゃぁさ。自由になった、その後のこと。・・・お前、何か考えてるか?」
俺は、また視線を茜空に向けると、さっきまで頭を掠めていた想いを口にする。
祐一が不思議そうに俺を見上げているのが、気配から判った。
 「自由になった・・・後?」
 「あぁ。鬼切丸の封印は、多分もう長くは持たない。
 当代玉依姫になるその孫ってやつが、完璧な封印をするか、それとも・・・」
・・・俺の運命が、その役割を果す方が先か。
口には出せない言葉の続きを、俺は心の中で呟いた。多分、こっちが正解だ。
 「それとも?」
言葉を途切れさせた俺に、祐一が聞き返してくる。
俺は首を横に振ると、殊更に明るい声を出してみせた。
 「いや、何でもない。だからよ。どっちにしろ、最終決戦はすぐそこだ。
 完全に封印できなきゃ、もう後がない。世界は鬼切丸に飲み込まれちまう。
 でも、安心してて良いぜ。何せ、この俺様がいる。
 鴉取真弘様が、鬼切丸ごときに負けるはずがねーもんな。
 封印が解かれて鬼切丸が襲ってきても、俺が世界ごと救ってやる。
 な、だから、その後の話し。祐一、お前はその後、どうしたい?」
俺が世界ごと、お前たちをこの呪縛から解き放ってやる。
俺はそのために、生かされてきたんだからな。
だから安心してて良い。安心して、これから先も続く未来を、思い描いてくれ。
 「行き成りそんな事を聞かれてもな。想像したこともない。
 そうだな。・・・いや、多分、俺は変わらないだろう。
 たとえ鬼切丸の封印が完全なものになったとしても。
 俺は玉依姫に仕え、護るために存在する」
祐一は、突然問われた難題に、戸惑った表情を浮かべる。
少し考えを巡らせていたみたいだが、口にした答えは変わらなかった。
まぁ、祐一らしいけどな。
 「うっわぁー、クソ真面目。なんだよ、それ。
 もうちょっと自分のために、何かしたいこととかってねーのかよ。
 ・・・まぁ、お前らしいけどな。でも、何か見つけろよ。自分がやりたいこと」
そうじゃなきゃ、命を懸ける意味が無い。
お前たちが幸せな未来を、玉依姫も鬼切丸も関係ない、
自分だけの未来を歩くために、俺がすべてを終わりにするんだ。
しつこく食い下がる俺を、祐一は真剣な顔で見返している。
その瞳が、不安そうに揺れていることに、俺は気付かなかった。
祐一もまた、心に何かを隠したまま、静かな口調で俺に尋ねてくる。
 「そういう真弘はどうなんだ?すべてが終わった後、お前は何をしたい?」
 「すべてが終わった後、か。そうだな、俺は・・・」
俺は・・・この世にはいない。
すべてが終わったとき、お前たちの傍に、俺はもう何処にも存在しない。
それが、完全な封印のための、絶対条件なのだから。
 「俺は・・・アメリカへ行く」
 「アメリカへ?」
 「おぅよ。こんな狭っ苦しい村からさっさと抜け出して、
 だだっ広い大地をバイクで走る。風と同化して、ひたすら走り続ける。
 すっげー気持ち良さそうだろ?」
願いが叶えられるなら。何処か遠くへ行ってしまいたい。
ここではない、何処か遠くへ。
そんな事、許されるはずもないって、判ってるけどな。
でも、そう願わずにはいられないんだ。
だけど、傍にいる祐一や、拓磨や美鶴が、それで命を落としちまうなんてこと。
絶対に、それだけはダメだ。
覚悟は決めたんだ。もう、俺は迷ったりしない。だから・・・。
 「風と同化か。お前らしい夢だな」
 「んじゃ、時々はお前にもお裾分けしてやるよ。
 気持良い風が吹いたら、俺からだと思ってくれ」
だから、その時は俺を、思い出してくれ。
俺が居たことを、みんなの記憶の中に、留めておいて欲しい。
時々で良いんだ。風が吹いた、そのときだけでも・・・。
みんなと過ごした記憶を、俺という存在を、思い出して懐かしんでくれる。
ただそれだけで良い。
それだけで俺は、この後の運命を、素直に受け入れられる。
 「あぁ、楽しみに待っている」
祐一が浮かべる静かな微笑を眺めながら、俺は切なる願いを心に刻んだ。

完(2011.01.30)  
 
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