「図書室にて」

珍しい光景が目の前にあった。
真弘先輩が、図書室の中で大人しく座っている。それも、教科書を広げながら・・・。
 「うわぁー、やっぱ、判んねー!!やってられるか、んなもん!!」
感心している間もなく、教科書を放り出した真弘先輩は、そのままテーブルに突っ伏してしまう。
やっぱり、真弘先輩だよね。
 「なんだ、真弘。もう音を上げたのか?それならやはり、冬休みはなしだな」
持っていた本に視線を向けたまま、横に座っていた祐一先輩が呆れた声を出す。
こちらは教科書ではなく、図書室に置かれている分厚い本。やっぱり、余裕がある人は違うなぁ。
実は今、期末試験に向けて猛勉強中。特に真弘先輩は、珍しくやる気を出している。
中間試験の頃は、鬼斬丸を巡る戦いの真っ最中で、それどころじゃなかったから。
おまけに一学期の成績も揮わなかったらしい真弘先輩は、
今度の試験の結果が悪ければ、冬休み返上で補講が待っているみたい。
それに・・・。
 「安心しろ。冬休み中の珠紀の面倒は、俺が見ていてやる。
 珠紀も、季封村での冬は初めてだ。やりたいことがあるなら、考えておくと良い。
 俺が全部付き合ってやろう」
そう言って、祐一先輩が優しい笑顔を向けてくれる。
どうやら、二人の間で賭けをしているらしい。
一つでも赤点を取ったら、真弘先輩は補講、私の冬休みの予定は祐一先輩と共に。
真弘先輩にやる気をおこさせるためだって、理解しているつもりだけれど・・・。
うぅ、そんな綺麗な顔で、そんなこと言われたら、どうして良いか判らなくなるよ。
恥ずかしくて、どんどん顔に熱が上ってくる。
 「なーに、赤くなってんだよ。まさか、祐一の言ってること、本気にしてるわけじゃねーよな。
 んなの、ぜってー俺が阻止してやる」
真弘先輩はムッとしたような顔でそう言うと、テーブルの上に放り出していた教科書に手を伸ばす。
 「フィオナ先生が授業を受け持っていた頃、お前は熱心に、職員室へ質問に行っていたな。
 その割には、一番英語の成績が悪い。俺は、それをいつも不思議に思っていたんだ。
 どうしたらそうなるのか。フィオナ先生の教え方は、判りやすい方だったと思うが・・・」
真剣な顔で英語の教科書を眺めている真弘先輩に、祐一先輩は不思議そうな顔で尋ねる。
フィオナ先生。美人で優しい英語教師。真弘先輩は、ずっと憧れていたと言っていた。
どうせ、鼻の下伸ばしながら、質問を口実に、話し掛けに行っていたのだろう。
 「ふぅ〜ん、そんなことしてたんだ」
 「お、お前が来る前の話だろ。祐一も、余計なこと言うな!!」
亡くなったフィオナ先生に、今更嫉妬しても仕方ないとは思う。
判ってはいるのに、つい拗ねたような言い方をしてしまった。
 『俺はアメリカへ行くんだ』
フイに、真弘先輩の言葉が頭に浮かぶ。
もしかしたら、そのためにフィオナ先生のところへ通って、英語の勉強をしていたとか?
ううん、それはない。
だって、真弘先輩の運命は、この村を離れることを、許してはくれなかった。
それは、真弘先輩自身が、一番判っていたはず。
子供の頃は、宇宙飛行士になりたかったとも言っていた。
宇宙飛行士になって、月へ行きたいって・・・。
月やアメリカ。真弘先輩の想いは、ここではない、何処か遠い世界に、ずっと向けられていた。
それは、今も同じ・・・なのかな?
 「そう言えば、真弘先輩はアメリカへ行く、って言ってましたよね。
 英語が苦手で、大丈夫なんですか?」
気になって、尋ねてみる。まだ、アメリカへ行きたいと、そう思っているのですか?
 「うるせーな。良いんだよ、言葉なんか判んなくても。
 ラブとピースがありゃ、心で通じ合えるってもんだ」
 「そんな、無茶苦茶な・・・」
私は、真弘先輩の言い分に、少し呆れたように息を吐く。
真弘先輩は、まだ夢を諦めていない。
違う。諦めるんじゃない。今なら、実現することができる。真弘先輩を縛る枷は、もう何もない。
それなら、私はどうなるの?真弘先輩の傍で、ずっと一緒に。そう誓った私は・・・。
 「そういうお前はどうなんだよ。英語、しゃべれんのか?」
教科書から顔を上げて、真弘先輩が尋ねてくる。
英語。フィオナ先生の授業は楽しかったけれど、話せるか、って言われたら首を横に振るしかない。
私は素直に、自分の出来の悪さを告白する。
 「真弘先輩ほどじゃないですけど・・・。ちょっと苦手です」
そんな私の答えに、きっと笑われてバカにされるのだろうと覚悟していたのに、
真弘先輩は予想外な言葉を口にする。
 「じゃあ、しっかり勉強しとけ。俺様専属の、通訳になれるくらいにな」
 「えっ・・・それって・・・」
どういう意味ですか?そう尋ねようとすると、小さな、本当に小さな囁く声が、私の耳に届く。
 「いつか・・・、連れてってやるからよ」
アメリカへ。真弘先輩と一緒に・・・。
私は嬉しくて、何か言おうとするのだけれど、何も言葉が浮かばなくて。
ただ、真っ赤な顔でそっぽを向いている真弘先輩を、見つめることしかできなかった。
 「お前達、未来に目を向けるのは良いことだが・・・。少しは、足元も見たらどうだ?」
それまで黙っていた祐一先輩の冷ややかな声に、私たちは慌てて教科書に目を落とした。

完(2010.08.15)  
 
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