「失言」

雲の切れ間から覗いている太陽の光が、そろそろ梅雨が明けることを知らせていた。
何日も続いて鬱陶しかった雨も上がったことだし、受験勉強の気晴らしも兼ねて、
俺は宇賀谷家へ行くため、早々に家を飛び出した。
 『珠紀様なら、居間にいらっしゃいます』
そう美鶴に聞いたら俺は、そのまま居間へと直行する。
 「邪魔するぜー」
声を掛けて襖を開けると、居間の中には、いつもと違う雰囲気が漂っていた。
部屋の中央に置かれたテーブルの前に座って、真剣な顔で雑誌を眺めている珠紀。
縁側に腰掛けて、クロスワードパズルに没頭している拓磨。
拓磨の持っている雑誌を覗き込むようにして、パズルの答えを教えている慎司。
よく見る光景には違いないんだが、何となく違和感がある。
まずは珠紀だ。普通に雑誌を眺めているように見えるが、あいつの周りには、
目には見えない、ピリピリとした冷たい空気が、漂っているような気がする。
そして、拓磨と慎司も。いつもだったら、俺がムカツいて怒鳴り散らすほど、
珠紀に纏わり付いたまま、絶対に離れようとしないくせに、
今日に限って、何であんな遠くに座ってやがるんだ?
 「おっ、何が載ってんだ、その雑誌」
いつもとは違う雰囲気に、一瞬躊躇ったものの気を取り直し、居間の中へと入っていった。
珠紀の傍に座って、雑誌を覗き込む。
我関せずをアピールしていた縁側の二人組みは、俺の言葉に、あからさまに身体を固くする。
 「真弘先輩、良いところに来てくれた。もぉ、この二人、ぜんっぜんアテにならないんだもん」
珠紀は、満面の笑顔で俺を迎えてくれたが、棘のある言葉に、多少の引っ掛かりを感じる。
 「真弘先輩だったら、どれが好きですか?」
いつもの珠紀と違うことを不信がっている俺に、まるで気付いていない様子で、
珠紀は持っていた雑誌を掲げてみせた。
 『サマー・コレクション 今年の流行はこれだ!! 最新水着特集』
チープで使い古されたようなタイトルが、ポップな色使いでデカデカと書かれたページ。
目のやり場に困るようなちっちゃな布キレを着けた美女たちが、こっちを見て微笑んでいる。
 「どれ・・・って言われてもなぁ」
口の中でもごもごと言葉を返しながら、俺は珠紀から雑誌を受け取った。
暫くの間、数ページにも渡る男の煩悩を刺激するような特集ページに、
充分目の保養を満喫した俺は、ある疑問が頭を過ぎって、雑誌から視線を外す。
 「んで、俺にこんなもん見せて、どうしたいんだ?」
 「来週、美鶴ちゃんと買いに行く予定なんです。梅雨明けしたら、すぐに水泳の授業も始まるし。
 だから、真弘先輩の意見を参考にさせてもらおうと思って・・・」
 「お、お前、こんな水着、授業で着るつもりか?」
紅陵学院にも、一応プールはある。夏になったら、体育の授業が水泳にだって切り替わる。
ついでに言うと、学校指定の水着は、ない。華美にならない程度なら、どんな水着でも自由だ。
だからって・・・。
 「普通、こんなの着ねーぞ!!競泳用のとか、色々あんだろ」
頭に浮かんだ珠紀の水着姿が、さっきまで見ていた雑誌のモデルたちとダブる。
 「やっぱり、そうですよね。タンキニとかなら良いかなぁ、って思ったんですけど・・・。
 去年はどうだったのか、拓磨たちに聞いても、覚えて無いとか、知らないとか言って、
 教えてくれないし。真弘先輩のクラスは、どうだったんですか?」
俺から返された雑誌をパラパラ捲りながら、珠紀は恨めしそうな視線を、縁側の二人に向ける。
 「本当に知らないんですよ。僕が村に戻って来たときには、もう水泳の授業は終っていました」
ずっと無関心を決め込んでいたはずの慎司が、こちらを振り向いて言い訳を口にする。
横にいた拓磨も、肩を竦めると、観念したようにこちらを向いた。
 「俺だって覚えてない。記憶に残ってないんだから、普通の水着だったんだよ、きっと」
少し怒った口調で、拓磨が言う。珠紀にしつこく尋ねられて、閉口していたのかも知れない。
俺が同情の視線を向けていると、目が合った拓磨は、まるで楽しいことを思い付いたとでも
言うように、ニヤリと笑う。
 「他に覚えてるのは、プールの周辺で、真弘先輩に逢うことが多かった、ってことくらいだ」
 「んだと、拓磨!!俺がいつ、そんなことしてた、ってんだよ」
 「全クラスの水泳の時間割、全部把握してた、って祐一先輩から聞いたっすよ」
祐一のヤロー。余計なこと、言いやがって!!今度帰ってきたら、一発ぶん殴ってやる!!
 「まぁまぁ、二人共、喧嘩は止めてください。でも、真弘先輩。
 珠紀先輩の水着姿が見たいからって、学校まで押しかけてきたら、本当に捕まりますよ」
 「するか、んなこと!!」
珠紀の水着姿は見たい。想像よりも、実物が見てみたい。だが、覗きは犯罪だ。
 「夏休みに入ったら、学校のプールも、一般に開放されるんですよね。
 それなら、卒業生でもプールに入れますよ。夏休みになったら、一緒に行きませんか?
 あっ、プールも良いですけど、みんなで海へ行くのも、楽しそうですよね」
今まで黙って雑誌を眺めていた珠紀が、楽しそうに夏休みの計画を口にする。
良かった。俺の悪行については、気にしてないらしい。
 「でも、海で競泳用の水着って、悪くはないですけど、何となく浮きますよね。
 やっぱり、可愛い水着、欲しいなぁ。真弘先輩なら、どういうのが良いですか?」
珠紀が開いているページには、ヤローの目が釘付けになりそうなほど、大胆な水着が並んでいる。
そんな水着で海になんて行ったら・・・。ダメだ。他のヤロー共になんか、絶対見せたくねー!!
 「そ、そんな水着、珠紀にはムリだろ。
 だいたい、そういう水着は、胸の大きな女じゃなきゃ、似あわね・・・」
 「・・・・っ!!」
やべっ!!言葉選びに失敗した。そう気付いて、言葉を途切れさせる。
だが、真っ赤な顔で震えている珠紀を見て、時既に遅し、であることを、俺は悟った。
 「真弘先輩のバカ!!」
 「あーあ、真弘先輩もか・・・」
珠紀の怒鳴り声に被さるように、拓磨の呟く声が聞こえたような気がする。
それから、俺は縁側に座って、空を見上げていた。
居間からは、パラパラと雑誌を捲る音が、絶え間なく聞こえてくる。
 「あー、良い天気になってきたなー」
 「もう、梅雨明けですね、きっと」
 「今年の夏は、暑くなりそうっすね」
男三人、縁側に並んで座りながら、珠紀が発する冷たい空気に、耐え忍んでいた。
 

完(2010.08.01)  
 
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