「コーチ」

真弘先輩が高校を卒業してから、放課後は一人で帰ることが多くなっていた。
図書室の主だった祐一先輩の後を継いで、暫くは本を読んだり、受験勉強をしながら、
放課後の時間を図書室で過ごしている。
拓磨とは同じクラスだから、時間が合えば一緒に帰ったりもしていたけれど・・・。
最近は、『用事が出来た』と言って、授業が終ると同時に、教室をすぐに出て行ってしまう。
 「みんな、受験勉強とか、してるのかなぁ」
一人だけ遅れをとっているような気がして、少し心配になってくる。
真弘先輩も、土日は忙しいからと、あまり逢ってくれなくなっていたし・・・。
 「・・・まさか、浮気してるとか?」
学校からの帰り道、トボトボと一人で歩いていると、つい不安が口をつく。
 「ううん、真弘先輩に限って、そんなこと・・・」
あり得ない。首を振ってそう否定しようとしたとき、後ろから声を掛けられた。
 「俺に限って、何だ?」
 「ま、真弘先輩!!」
振り向くと、少し不機嫌そうな顔をしている真弘先輩が立っている。
 「お前なー。一人で帰るときは、あんまり遅くなるなって、言っておいただろう」
目の前でブツブツと文句を言っている真弘先輩の声が、私の耳を素通りする。
驚きのあまり、何も言えずに、真弘先輩の姿を凝視してしまう。
久し振りに逢えたことが嬉しくて感動したとか、そんなことではなく・・・。
Tシャツにハーフパンツ。汗と土で汚れた顔。
そして、片手にサッカーボールを抱えている姿が、まるで・・・。
 「今、もんのすごぉーく、バカにされてるような気がするんだが・・・。俺の気のせいか?」
 「き、気のせいですよ。私、まだ、何も言ってません!!」
不信感たっぷりの視線を送ってくる真弘先輩に、私は思いっきり首を振った。
言えない!!小学生にしか見えないなんて・・・。
 「そんなことより、どうしたんですか?サッカーボールなんて持って・・・」
慌てて話題を変えるように、真弘先輩が手にしているサッカーボールに、視線を向ける。
 「あぁ、これか。聞いて驚くなよ。俺様は、サッカーのコーチに任命されたんだ!!」
胸を張って、誇らしげに言う真弘先輩は、満面の笑みを浮かべていた。
 「サッカーチームとか、季封村にありましたっけ?」
 「いや、そういうんじゃねーよ。今度の日曜日にな。小学校でクラス対抗戦ってのが、あるんだと。
 強豪クラスのライバルチームが、すごい助っ人を入れたらしくてよ。
 何とか巻き返しを図りたくて、運動神経抜群で才能溢れるこの俺様に、白羽の矢を立てた、ってわけだ」
 「・・・コーチ・・・ですよね?」
小学生に混ざって走り回っていたら、区別が付かないかも?
 「んだよ。俺様のコーチとしての才能を疑うってのか?
 ここ一月ほど練習に付き合ってやってるけどな。みんな、すっげー上手くなったんだぞ!!
 ライバルチームが入れた助っ人もコーチだって話だが、そんな奴、俺様の敵じゃねー」
そう言って笑う真弘先輩を見ていたら、初めは呆気に取られていた私も、つい、つられて笑ってしまう。
なんだ、そっか。土日も忙しい・・・って、子供達を相手に、練習していたからなんだ。
 「それももう、終わりだけどな。日曜の試合が終れば、コーチの俺様も、お役ごめんだ。
 お前、日曜日は応援に来るか?一日くらい、受験勉強休んだって、平気だろ?」
 「もしかして、それで話してくれなかったんですか?」
逢えないことが淋しくて、何度も真弘先輩の家に電話を掛けた。
土日が忙しくて逢えないならと、平日にお夕飯に誘ったりもした。
その時の真弘先輩は、何となく疲れている感じがして、気になって理由を尋ねても、
いつも話をはぐらかされてばかり。てっきり、遅くまで勉強をしているのだと思っていたのに・・・。
 「あぁ。平日は授業で邪魔されるからな。受験に必要な勉強は、土日にやるんだろ。
 こういう事で、あんま、お前の邪魔、したくねーんだ」
 「そんな風に気を使われる方が、嫌です。それに、真弘先輩ばかり楽しんでるのも、ズルイですよ。
 私だって、真弘先輩と一緒に、色んなことがやりたい!!だから、次からはちゃんと、話してくださいね」
受験勉強ばかりで、せっかくの二人の楽しい時間を、棒に振るなんて勿体無いです。
 「ズルイってお前・・・。あー、もう、判ったよ。これからは、ちゃんと言う」
私の言葉に、真弘先輩は観念したように、そう言ってくれた。
約束ですよ。私を置いて、一人で先に行ってしまわないでください。
 「日曜日も応援に行きます。真弘先輩の勇姿は、絶対に見逃せません。
 とびっきり美味しいお弁当を持っていきますから、楽しみにしていてくださいね」
 「俺の勇姿って・・・。コーチだから、ベンチにいるだけだぞ。まぁ、弁当は期待してる」
本当に判ってるのか?という呆れ顔で、真弘先輩はもう一度溜め息を吐く。
---------- そして日曜日。小学校の校庭で、サッカーのクラス対抗戦が行われた。
応援にやってきた私は、観客席から真弘先輩の勇姿を目撃することになる。
ライバルチームの助っ人コーチが拓磨だったことが発覚し、
 「拓磨になんか、絶対に負けねー!!」
と叫んだ真弘先輩が、小学生のチームメイトに混ざって、コート中を走り回っていた。
 「真弘先輩、コーチが試合に出るなんて、卑怯っすよ!!」
拓磨の制止の声が、青い空に吸い込まれるように、響いていた。

完(2010.06.20)  
 
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