「散歩」

鬼斬丸が破壊されてから半月ほどが経ったある日。
夕飯の片づけを終えた私は、夕涼みを兼ねて散歩に行くことにした。
初めは神社の中だけのつもりで出てきたのだけれど、気付いたときには河原の辺りまで足を延ばしていた。
 「んー、さすがにこの時間だと、少し肌寒くなってきたかな」
土手を降りて水辺近くを歩いていると、水に触れた空気が肌へと冷たく当たる。
季封村を訪れたばかりの頃は、夏の名残のように暖かかった風が、今はもう寒く感じられた。
あれから随分と長い時間が、経ったような気がする。
あの壮絶な戦いから、まだそれほど経っていないと言うことが、とても不思議に思えてしまう。
あれほど怖い思いをして、死すらも覚悟して戦っていた日々を、
今はもう、すべて忘れてしまったかのように、平和な日常を取り戻し始めている。
 「でも、忘れられないものも、あるよね」
私の中に眠っていた玉依の力。鬼斬丸を封印するための力。
こんな凄い力を持っていたことに、今でも本当は、信じられないでいる。
あの戦いの中、私はこの力を何とか覚醒させることに成功し、少しはみんなの役に立てたと思う。
だけど、封印の対象となる鬼斬丸は破壊されてしまったのに、この力だけは私の中に残されたまま。
その理由を考えると、少し怖い。いつかまた、この力を使うときが来るのかも知れない。
そんな心の中に過ぎる不安とともに、私は玉依の力を身の内の奥深くに閉じ込めることにした。
もう二度と、この力を使わずにすむように・・・。そんな願いを込めて封印する。
月を見上げながら、深く息を吸い込み、そして長く吐き出す。
まるで余分な何かを、すべて出し切ってしまうかのように。
何だか儀式めいたことをしている気がして、少し可笑しくなった。
すっかり身体も冷えてきちゃったし、風邪を引く前に帰らないとね。
そんな風に思いながら、水辺を離れて土手の方へ向かうと、斜面に座る黒い人影に気が付いた。
 「だ、誰!!」
突然の出来事に驚いて、つい声を上げてしまう。
 「ったく、やーっと気付いたのかよ。だいたい、んなとこに突っ立って、何やってたんだ、お前?」
聞き覚えのある声に、私は漸く警戒心を解くことができた。声の主は、私の大好きな人。
 「真弘先輩こそ。こんな所で、何してるんですか?」
 「それを言うのか、お前が!! ったく、呑気な奴だよなぁ。
 俺んところに、美鶴から電話があったんだよ。夕飯の後から、お前が見当たらなくなったって」
そうだった。神社までのつもりだったから、何も言わずに出てきちゃったんだっけ。
 「とりあえず、話は後だ。ほら、帰るぞ」
真弘先輩は、立ち上がって服の汚れを叩くと、そのまま私に手を差し伸べる。
いつからそこにいたのだろう。繋いだ真弘先輩の手は、少し冷たくなっていた。
真弘先輩に引っ張り上げられるようにして、土手の上に戻った私たちは、そのまま家へと向かって歩き出す。
とくに会話らしい会話はしなかったけれど、繋いだ手が徐々に暖かくなっていくのを感じるだけで、
幸せな気がした。
その時、目の前に揺れる二つの影が目に留まる。私たちの歩調に合わせるように先導して歩く影。
まだ戦いの最中にいた頃、一度だけ、こうして寄り添う影を見ながら、二人で歩いたことを思い出した。
実際の二人の間には距離があるのに、まるで手を繋いでいるように見える影が嬉しくて、そして羨ましくて。
あの頃の自分を懐かしく感じながら、繋いでいる手を、ギュッと強く握り締めてみる。
真弘先輩が傍にいてくれることを確かめるように・・・。
 「ん、どした?」
真弘先輩が不思議そうに声を掛けてくる。
私はすぐに反応が返って来るのが嬉しくて、つい顔が綻んでしまった。
 「んだよ。楽しそうじゃねーか」
 「・・・なんでもないですよ」
首を振ってそう答える私に、真弘先輩は一瞬呆れた表情を浮かべたけれど、
それ以上は何も言わずに、またゆっくりと歩き始める。
それから暫くして、今度は私が口を開いた。
 「ねぇ、真弘先輩。私一度、両親のところへ行ってこようと思います。
 誰に聞いたのか、今回のこと、両親の耳にも届いたらしくて、とても心配してるんです。
 今、日本に戻ってるみたいで・・・。だから、きちんと説明してきます」
夕方、母から電話をもらったときには、とても驚いた。ずっと外国にいると思っていたから。
今回の鬼斬丸の一件を聞き付けた両親は、慌てて日本に一時帰国してきたらしい。
電話では、両親が暮らす外国へ、私も一緒に連れて帰る、と言っていたけれど・・・。
そんなことは絶対に嫌。私は、この季封村で、真弘先輩の傍で、ずっと生きていきたい。
玉依姫の特別な力を行使するのではなく、春日珠紀としてこの村でできることを、ちゃんと探したい。
そして、いつか真弘先輩と一緒に・・・。そんな女の子としての夢だって、実現させたいと思っている。
私の希望を、きちんと説明して、認めて貰らおう。
 「・・・いつ、行くつもりなんだ?」
 「早い方が良いと思うから、明日にでも・・・」
電話での話し振りからすると、すぐにでも外国へ行く準備が整ってしまいそうだった。
そうなる前に、私の希望を伝えなければ・・・。
 「・・・そっか」
私の答えに、真弘先輩はたった一言、そう返しただけだった。
それからまた、特に言葉を交わすこともなく歩き続けた後、今度は真弘先輩が声を掛かる。
 「・・・それで、次はいつ、こっちへ戻ってくるんだ?」
 「もちろん、すぐにでも。私の家は、ここにありますから」
 「・・・そっか。なら、いい」
真弘先輩は、ポツリとそう答えると、それきり何も話さなかった。
月明かりが二人を照らす中、ゆっくりと家に向かって歩き続ける。
目の前に揺れる黒い影は、前に見た時よりも寄り添っているように見えた。

完(2010.05.16)  
 
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