「いつか」

目の前に広がっているのは深い闇。
どちらが上で、どちらが下かも判らない。登っているのか、落ちているのか、それさえも・・・。
まるで自分の身体すら、ここにはないような、曖昧な感覚。
ここは何処だ?俺は、ここで何をしている?
意識を集中させてみると、闇の底から微かに声が聞こえた。
 −−−もうすぐだ。もうすぐ、約束は果たされる。我が命をもって成し遂げられる、そのときが。
 姫よ、これで、我は許されるのか。今度こそ、皆の下へ逝くことで・・・−−−
まるで、何かに縋るような強い懇願の声。その声に反応するように、全身を恐怖が支配する。
嫌だ、ここにはいたくない。俺にはまだ、遣り残したことが、たくさんあるんだ。
俺はまだ・・・、死にたくない!!
 「うわっ」
そこで目が覚めた。どうやら、夢を見ていたらしい。
 「ったく、夢見が悪いったらないぜ」
勢い良く起きあがろうとすると、全身がバラバラになるような痛みが走る。
 「いってーな、くそっ。何だよ」
思い出した。数日前、ロゴスの連中、そう、あの鎌野郎と戦ったんだっけ。
そして、また、負けちまった。ババ様が止めなければ、今ごろ俺は・・・。
 「そうだ、鬼斬丸!! 封印はどうなった?」
周囲の気配を確認しても、特に異常は感じられない。
おかしい。あの時、確かに封印は破壊されたはずなのに・・・。
 「どうなってるんだ?」
そのとき、床に転がしたままになっている目覚まし時計が、目に入った。
時計の針は、12時を少しだけ回っている。外の明るさからいって、昼の、だよな。
 「あー、くそっ。ホントだったら、ババ様んとこ、報告に行かなきゃ、なんねーんだぞ」
痛む身体で何とか立ち上がると、制服に着替え始める。
 「あのバカのことだ。今ごろ、泣きそうな面して、弁当突付き回してんだろーな」
脳裏に浮かぶのは、珠紀の顔。笑っている珠紀。怒っている珠紀。そして・・・泣いている珠紀。
今まで見た、色んな珠紀を思い浮かべる。やっぱり、あいつには、笑ってる顔が一番似合ってる。
 「お前は、ずっと、笑ってろよ。そしたら、俺だって・・・・笑って・・・」
小さく呟くと、暗い気分を振り切るように、思いっきり頭を振る。
 「何考えてんだ、俺ってばよ」
きっと、夢見が悪かったせいだな。そう思いながら、学校に向かうため、家を後にした。
 「ったく、いつんなったら、買ってくれんだよ。やっぱ、欲しいよなぁ、バイク」
バイクだったら、学校までなんて、あっという間なんだぜ。
近所のおばさんが、自転車で通り過ぎるのを横目で追いながら、大仰に息を吐く。
 「買ってくれる、買ってくれるって言いながら、何年経つと思ってんだ、くそぉー!!」
親父もお袋も、”いつか”、”いつか”って、はぐらかしてばっかでよ。
更にブツブツと文句を言いながら、学校までの道のりを歩く。
本当は判ってるんだ。”いつか”なんてもんが、来ない、ってことくらい。
バイクなんて危なっかしいもん、親が認めたとしても、ババ様には無理だ。認めるはずがない。
もし、俺が事故でもおこしたら・・・。大怪我くらいなら、守護者の力で、何とでもなる。
でも、死んじまったら、それこそ取り返しのつかない事になっちまう。
俺の命で、世界の存続が決まるんだからな。
 「俺の人生は、”いつか”で、できてるようなもんだよな」
いつかバイクを買ってもらう。いつかアメリカへ行く。いつか、いつか・・・。
叶えられない”いつか”で、俺の中を一杯にする。そうしていないと、不安と恐怖で立っていられなかった。
もう少し、もう少し。まだいける、まだ大丈夫だ。いつか、あれが叶うまで。いつかこれをやったら・・・。
そうやって、手に入ることのない夢を追うことで、この世界に俺という存在を繋ぎとめていたんだ。
あいつが来るまでは・・・。珠紀。ズカズカと、心の中にまで入り込んでくる女。あいつが、俺を変えた。
俺は、初めて本気で叶えたい”いつか”を、手に入れたんだ。
 「お前が、この先もずっと幸せに笑っていられる未来を・・・。そんな”いつか”を、俺は、お前にやるよ」
この”いつか”だけは、絶対に叶えてやるさ。
 「そんなお前を、横で見ていられない、ってのは、ちょっと残念だけどな」
そう遠くない未来に思いを馳せながら、俺は走り出した。珠紀に逢うために・・・。

完(2009.10.17) 
 
HOME  ◆