「怪我」

 「ずりー!!すっげー、ずりー!!」
昼休みの屋上。
吸い込まれそうな青空の下、俺の発した不満の声が、所狭しと響き渡っていた。
 「拓磨だけ、ずりーぞ!!」
 「そんなこと言われたって、知らないっすよ」
ことの発端は、4限目にあった体育の授業。
バスケットの試合中、拓磨が手にしたボールを、相手チームの同級生が奪い取ろうとした。
その際、勢い余って激突されそうになった拓磨は、相手を受け止めることより避けることを選んだ。
人一倍力の強い拓磨は、相手の勢いを相殺できずに跳ね返して、怪我をさせちまうことを恐れたんだろう。
無理な体勢で避けた結果、その場に引っくり返り、足を捻るというドジを披露した。
同じ体育館で授業を受けていた珠紀が、拓磨を保健室へと連れて行き、
たまたま不在の保健医に代わって、手当てまでしてやったらしい。
 「だからって何で、わざわざ珠紀が連れて行くんだよ!!」
 「私、保健委員なんです。男子の委員は欠席だったし、保健の先生もいなかったから・・・」
困ったように微笑む珠紀は、そう言って拓磨を庇護する。
怪我した拓磨を放っておけなかった・・・って、珠紀の気持ちは、判らないでもない。
けど、俺にはそれすらも、気に入らなかった。
だいたい守護者の力を持ってるくせに、怪我くらいで保健室になんか行ってんじゃねーよ。
拓磨のヤロー、保健医がいないことを知ってて、わざとやったんじゃねーだろーな。
・・・わざと? そうか、その手があったか!!
俺は良いことを思い付いたと有頂天になりながら、次の体育の授業中にそれを実践した。
サッカーの練習中、思い切り派手に転んでみせた俺は、膝から血が流れるくらいの怪我を負う。
ジャージまで破れて、見るからに痛々しい。これなら珠紀だって、治療くらいしてくれんだろう。
 「おい、珠紀!!怪我しちまったから、保健室へ連れて行け!!」
体育の授業が終わり、俺はそのまま珠紀の教室までやってきた。
 「やだ、真弘先輩、どうしたんです、それ!! 先輩のクラス、保健委員とかいないんですか?」
俺の声を聞いて教室から飛び出してきた珠紀は、心配そうな顔で俺を保健室まで連れて行く。
やった!! これでこそ、痛みを我慢してまで怪我した甲斐がある、ってもんだ。
順調に計画が進んでいることに喜んでいた俺は、一つだけ誤算があったことに気が付いた。
俺たちが持っている守護者の力。軽い怪我なら、すぐに傷は塞がっちまう。
保健室に着いた頃には、俺の怪我はほぼ完治していた。
消毒液で血を拭き取っちまえば、もう傷口すら残っていない。
 「ちぇっ、間に合わなかったか。やっぱ拓磨みたいに、捻挫とかしなきゃ、ダメそうだなぁ」
捻挫だったら、表面からじゃ判んねーもんな。ってことは、やっぱりあいつも、わざとだったのか!!
---------- ペチッ。
俺が拓磨の怪我を思い出していると、珠紀が俺の頬を軽く叩く。
顔を上げると、瞳にうっすら涙を溜めて、明らかに怒っている顔の珠紀が、目の前に立っていた。
 「真弘先輩、その怪我、わざとやったんですか?」
 「いや・・・これは・・・その、なんだ」
バレた!! いや、そんなことより、何でこいつ、泣いてたんだよ。
焦った俺は、何とか言い訳を口にしようとするが、何も思い浮かばず、しどろもどろになる。
 「どうして、そんなことするんですか?」
 「それは・・・お前に・・・治療してもらいたかった・・・つーか。・・・拓磨が羨ましかったんだよ!!」
俺はやけくそ気味に、そう怒鳴る。くそっ、言っちまったじゃねーかよ。
 「そんなの、ダメです。私、真弘先輩が怪我したり、血を流すところなんて、もう見たくないのに・・・」
 「んなの、怪我の内に入んねーだろ。どうせ、すぐに治っちまうんだからよ」
 「すぐに治ったって!!・・・怪我をしたんですよ。痛くないわけ、ないじゃないですか。
 こんな風にジャージが破れて、血がたくさん流れて・・・。こんなの、絶対に、痛くないわけ・・・」
『痛くないわけない』。ポロポロと涙を零しながら、珠紀は何度もその言葉を繰り返す。
確かに、怪我して血が流れれば、痛い。俺たち守護者だって、痛みを感じないわけじゃねーからな。
でも、俺は忘れていた。こんな怪我の痛みなんかより、珠紀に泣かれる方が、もっと痛かったんだ。
俺の心が、ズキズキと音をたてるほど、痛くなるってことを・・・。
 「悪かったよ。ちょっと調子に乗りすぎた。謝るから、機嫌直せって・・・」
 「それなら、もうしない、って約束してください」
珠紀は、俺の謝罪の言葉を聞くと、拗ねた口調でそう言った。
どうやら、そうとう怒らせちまったらしい。軽く息を吐くと、俺は言葉に心を混める。
 「・・・判った。約束する」
 「約束を守ってくれたら、本当に怪我したときだけ、治療してあげます」
約束の言葉を口にする俺に、珠紀もようやく機嫌を直してくれた。
その翌日、休日にも関わらず、俺は朝から宇賀谷家の玄関先に立っていた。
 「爪を切りすぎて、痛いからよ。治療してくれ!!」
応対に出てきた珠紀の目の前に、深爪した指を差し出しながら・・・。
 「わざとじゃねーぞ」
ソッポを向いてそう付け加えると、珠紀は楽しそに笑った。

完(2010.04.17)  
 
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