「進路希望」

……カタン、カラカラカラ。……カタン、カラカラカラ。
静かな図書室の中で、鉛筆の転がる乾いた音だけが響いていた。
 「……真弘、煩い。勉強をするか、本を読むかしないなら、もう帰ったらどうだ。
 珠紀はどうした? 今日は一緒ではないのか?」
自分だって今まで眠っていたくせに。
不愉快そうな顔で文句を言う祐一に、俺は心の中で舌を出す。
 「今日は担任と面談なんだとさ。遅くなるから先に帰れとは言われてんだけどな。
 どうせ帰っても暇だし、終わるまでここで待つことにした」
 「それでか。何を手持ち無沙汰にしているのかと思えば。
 先程から鉛筆を転がして、いったい何をやっていたんだ?」
そう言って、俺の手元を覗きこんでくる。机の上に置かれた未記入の用紙。
 「進路希望調査票? オマエのか、真弘?」
 「んなわけ、ないだろう。拓磨のだよ、拓磨の。アイツが”うんうん”言って
 悩んでたから、俺が変わりに書いてやるって取り上げてきた」
その答えに、呆れているのか、可哀想な後輩を憂いているのか、
何とも複雑な表情を浮かべる。もしかして、俺をバカにしているのか?
滅多に感情を表に出さない祐一の、何とも言い難い顔から視線を戻し、
まだ何も書かれていない調査票を眺めた。
 「いざ書こうと思うと、何にも思い浮かばないもんだな。
 祐一は? 去年、何て書いた? まあ、オマエのことだから……」
 「俺は大学進学とだけ書いた。守護者としての知識を学び、活かす術を会得する。
 それらが全て、鬼切丸の封印維持に繋がると、幼い頃から教えられていた。
 それ以外の選択肢があるなど、考えたこともなかったからな」
鬼切丸が破壊されていなければ、今でもその選択肢しかなかったさ。
封印を維持することだけが、俺たちに課せられた使命。
俺たちの……いや、違うな。祐一や拓磨、大蛇さんの使命だ。
俺の使命は違う。維持することではなく、封印そのものになる運命だった。
 「そう言えば、真弘は何て書いた? 去年の調査票」
 「あー、俺か? アメリカ縦断しながら一攫千金、目指せゴールドラッシュ。
 それから、宇宙飛行士になってグラマーな火星人と結婚、ハッピーライフ」
担任から何度も催促されて提出した進路希望調査票。
俺には進むべき路なんてない。来るべき時が来たら、生命を差し出すだけ。
どうせただの幻だ。紙に書かれた夢物語。それなら思い切り楽しい方が良い。
第一希望も第二希望も、適当に書いた。真面目に書いた処で意味は無い。
それが悔しくて、三つ目だけは真剣に書いたんだ。最大級の俺の希望。
 『生きる!!』
その三文字を力強く書いた。
祐一の呆れきった顔が、学校に呼び出された時の大蛇さんの顔と重なる。
俺の事情など何も知らなかった大蛇さんが説教する間、
その後ろに座っていたババ様は、最後まで何も言わなかった。
ただ無言で、俺の書いた調査票を眺めていた。
すべてを知っていたババ様に、俺の心の叫びはどう映っていたんだろう。
どうすることもできない運命に、少しは憂いてくれたのか。
……そんなわけないよな。あの人が一番、運命に縛られていたんだから。
懐かしくも苦い思い出を脳裏に蘇らせていると、廊下を走る足音の後に、
勢い良く図書室の扉が開かれた。
 「ああ、やっぱりここだった。俺の調査票、さっさと返してください。
 もうすぐ面談の順番が来ちゃうんすよ」
飛び込んで来た拓磨が、真っ直ぐに俺たちの方へと歩いてくる。
 「心配すんなって。ちゃんと書いておいてやったからよ」
 「随分と悩んでいたようだが、書けたのか?」
意外そうな声で祐一が覗きこんでくる用紙を、二人に見えるように掲げてみせた。
 「任せろ!! 俺は拓磨のことなら何でも判る。コイツの進路なんて簡単だ。
 拓磨は身体を使う仕事以外、向いてない」
胸を張ってキッパリと言う俺の手から、拓磨が紙を奪い取る。
よく見やがれ、それがオマエの進路だ。
 「だからって、なんすか、これ? 野球選手、サッカー選手、……投げ遣り、選手?」
 「投げ遣りなのはオマエだ、真弘。それを言うなら槍投げだろう」
 「悪い悪い、間違えた」
あはは、と笑う俺を睨むと、祐一が手渡す消しゴムを受け取り、
書かれていた文字を消しに掛かる。
 「あっ、何しやがる。せっかく書いたのに。オマエの進路は俺様が決めた。
 ありがたく思え」
 「嫌っすよ。こんな小学生の卒業文集みたいな進路希望。
 書いてて恥ずかしくないんすか?」
 「拓磨、それを言っては可哀想だ。その調査票は、去年の真弘なのだからな」
 「うるせーぞ、祐一。オマエは希望通りに、さっさと大学でも何処でも行っちまえ」
肩を震わせて笑う祐一の背中を、思い切り叩いてやる。
再び真っ白になった進路希望調査票を前に、拓磨が頭を抱えて唸りだした。
 「しっかり悩めよ、後輩。決められていない未来なんて、ワクワクすんだろ」
決められた運命ではなく、自らが選び取る未来は、正直怖くもある。
だからって、立ち止まってなんかやらない。
目の前に開かれたこの路を、真っ直ぐに突き進んでやる。今度こそ、俺の意志で。

完(2015.02.15)  
 
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