「前へ進む」

宇賀谷家の居間。
和室にはあまり似つかわしくない華やかな飾り付けが、あちこちに施されている。
テーブルの上には俺の大好物ばかりが並べられ、中央には特大のケーキまでもが
蝋燭に火を灯したまま鎮座している。
隣には満面の笑みを浮かべて俺を見ている珠紀。
周囲を見回せば、拓磨や慎司、大蛇さん、大学の夏休みを利用して帰省していた祐一までもが、
やっぱり嬉しそうな顔をして俺を眺めている。
珠紀の向こう側には、これから何が起こるのかと興味津々の顔でケーキを見つめているアリア。
飲み物を配っていた美鶴も、俺を囲む輪の中に加わった。
照れ臭そうにみんなの顔を見回していた視線は、最後にまた笑顔の珠紀の前で止まる。
 「真弘先輩、どうかしたんですか? 火が消えちゃいますよ」
笑顔を残したまま少し首を傾げて、珠紀が俺に問う。
まさか嬉しさを噛み締めいていたなんて、恥ずかしくって言えるか!!
 「な、何でもねーよ。お前たちが俺様の生誕祭を祝ってくれるっつーからな。
 余韻に浸ってたんだ。こんなん久し振りだし」
照れ隠しに口から出た言葉が、実は本心だった事に気付いて少し驚いた。
目の前に置かれたケーキの上には、一と九の形をした蝋燭。
そして『おたんじょうびおめでとう』と書かれたチョコレートの板が、
いちごとクリームを背にして乗せられている。十九歳を祝う誕生日ケーキ。
ガキの頃は誰かの誕生日があると、こうしてみんなで祝いの席を開いたっけ。
慎司が村を去り、美鶴の顔から笑顔が消えた頃には、もうこういうことはやらなくなった。
男ばかりが集まって、さすがに誕生日会もないからな。
それでも家では親父とお袋が、俺のために誕生日を祝い続けてくれた。
今日と同じ様にケーキが用意され、毎年一本ずつ増えていく蝋燭を立てて……。
増えていく蝋燭。一本、また一本。それは俺がまだ、この世界に留まることができたという証。
一年、何とか持ちこたえられた。来年は判らない。封印の力は年々弱まっていく。
俺はいつまでこの場に立ち止まっていることができるのか。
増えていく蝋燭は、俺が生きていられたことへの喜びの象徴。
お袋がケーキに蝋燭を立て、親父がそれに火を灯す。二人の笑顔が俺に向けられる。
俺が一年を過ごして成長したことよりも、俺が一年踏み留まれたことへの喜びに溢れていた。
だけど今年は違う。俺はこの場に踏み留まってきたんじゃない。前に向かって進んできたんだ。
 「……真弘先輩?」
珠紀の心配そうな声が聞こえて我に返る。
もう一度周囲を見回すと、他のみんなも不思議そうな顔で俺を見ていた。
 「あ、あのさ、珠紀。招待してもらってるのに悪いんだけど、後二人、人を呼んでも良いか?」
 「それは良いですけど。他にどなたを?」
 「……親父とお袋。いい年して両親が参加する誕生日会ってのも恥ずかしいんだけどな。
 だけど多分、あの二人が一番、俺の成長を喜んでるんじゃないかと思ってさ」
小さな声で呟く俺の言葉に、珠紀は一瞬きょとんとした表情を浮かべ、すぐに笑顔で大きく頷いた。
 「もちろんですよ。あっ、それならこうしませんか。お誕生日会は真弘先輩の家でやるんです。
 お料理も飾り付けも持って行って、そこで盛大にやりましょう。ねっ、みんなもそれで良いよね?」
楽しそうに言う珠紀に、他のみんなも了承し、すぐに立ち上がって準備を始めだした。
 「おい、良いのかよ? せっかく用意したのに」
 「良いんですよ。私も考えが足りませんでした。真弘先輩のご両親が、
 一番この日を喜んでいますよね。真弘先輩にとって、特別な誕生日なんですから」
珠紀のやつ、気付いていたのか? だからこうして盛大に祝おうとしてくれたのか。
 「真弘先輩、はい、これ」
火の灯った蝋燭ごとケーキを持ち上げて、俺の前に差し出した。
片付けをしていたみんなも、俺と珠紀を見守っている。
 「後でもう一度やりますけど、ここでも吹き消しちゃってください」
美鶴が気を利かせて、部屋の明かりを消す。
ここまでお膳立てされたら、吹き消さない訳にはいかないよな。
俺は大きく息を吸い込むと、一気に蝋燭の火を吹き消した。
 「お誕生日、おめでとうとざいます」
珠紀の言葉に被さるように、拍手が部屋の中を満たしていった。
 「サンキュー。確かに、一番嬉しい特別な誕生日だ」
暗がりで誰の顔も見えなかったせいで、俺は素直な気持ちを言葉に乗せた。
もう一度部屋に明かりが戻ってきた後は、みんな出掛ける準備に取り掛かる。
料理を移し替えている珠紀の横で、摘み食いをしながら声を掛けた。
 「あのさ、珠紀。後でもう一度やる時には、蝋燭を一本、ケーキに立ててくれないか」
鬼斬丸が破壊されて、俺の時間は動き出した。俺が前へ進み始めて、これが最初の誕生日。
一本目の蝋燭は、俺が一歩前へ進んだ証だ。これからも蝋燭の数を増やし続けていく。
俺はまだまだ前へ進む。進み続ける。俺はもう立ち止まらなくても良いんだ。

完(2012.06.17)  
 
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