「二人の距離」

お茶を乗せたお盆を手に縁側までやってきた私は、後少しのところで立ち止まってしまった。
縁側では、柱に持たれかかったまま、転寝をしている祐一先輩がいる。
その姿は、まるで一枚の絵を見ているようで、近付くことすら躊躇ってしまう。
あまりに綺麗で見惚れてしまったということもあるのだけれど、
祐一先輩の隣にいる自分を想像すると、どこか不釣合いな気がして怖くなった。
そう思って立ち尽くしていた私の横を、白い物体が走り抜けていく。
 「ゆういち!!おいなりさんだよ」
人型に変身したおーちゃんが、いなり寿司の乗ったお皿をお盆に乗せて、
祐一先輩のそばで嬉しそうにはしゃいでいた。
 「ダ、ダメだよ、おーちゃん!!お昼寝の邪魔しちゃ・・・」
 「いや、問題ない。実は、少し前から目を覚ましてはいたんだ。
 ただ、お前がそこに佇んでいたので、声を掛けそびれてしまった」
目を開けた祐一先輩は、優しそうな微笑を私に向けてくれる。
その笑顔にようやく勇気付けられた私は、何とか祐一先輩の傍に近付くことができた。
 「・・・お前がそういう顔をしているのは、俺のせいか?」
 「えっ?」
祐一先輩との間にお盆を置いて腰を下ろした私は、先輩の言葉に顔を上げる。
私、どんな顔、してるの?
 「たまき、さみしい? ぼくばっかり、ゆういちとなかよくしてるから?」
祐一先輩の傍で、美味しそうにいなり寿司を口に運んでいたおーちゃんが、
心配そうな顔をしてそう言った。
 「ううん、違うよ。淋しいのとは・・・、少し違う」
春が来たら、祐一先輩は大学へ通うために、この季封村を離れてしまう。
今のように逢いたいときに逢えなくなるのは、淋しくないと言ったら嘘になる。
でも、私の心を占めている思いは、淋しさとは少し違う。どちらかと言うと、不安。
大学には、私の知らない世界が広がっている。
祐一先輩の心の中にある私という存在が、どんどん消えていってしまいそうで・・・。
祐一先輩の隣が似合う、祐一先輩に相応しい女性が、大学にはいるような気がして・・・。
そんな捕らえどころのない不安が、私の心を覆い尽くす。
 「そうか。お前は違うのだな。俺はずっと、淋いと思っているのだが・・・」
そんな心の闇と対峙していると、祐一先輩が呟く声が聞こえた。
慌てて顔を上げた私は、力なく微笑む祐一先輩と目を合わせる。
祐一先輩も、私と離れることに、淋しいと感じてくれていたの?
 「私だって!! 祐一先輩と離れるのは、とても・・・とても淋しいです。
 でも、それを口にしたら、先輩が困ってしまうから・・・」
 「あぁ、そうだな、すまない。だが、思っていることは、きちんと口にした方が良い。
 我慢することに、意味はない」
それでも、口にしてはいけない気がした。
遠くになんて、行かないで欲しい。私の傍に、ずっといて欲しい。
私が祐一先輩を想う気持ちは、留まるところを知らず、何処までも求めてしまう。
そうして、どんどん我侭になった私は、きっと先輩を困らせてしまうことになる。
 「俺は、淋しいと思うのと同時に、実は楽しみにしていることもある」
私が、祐一先輩の言葉に何も答えられないでいると、先輩は付け加えるようにそう言った。
 「楽しみ・・・ですか?」
やっぱり、大学に通って新しい世界を知ることを、祐一先輩も楽しみにしているんだ。
その言葉を聞いた私は、祐一先輩との間に、少し距離ができてしまった気がして、更に不安になる。
 「来年、お前は俺と同じ大学を受験してくれると、そう言ってくれた。
 再び同じ学校に通える日が来ることを、楽しみに待ち続ける俺がいる」
楽しみにしているのは・・・私とのこと?
また一緒に同じ学校に通えるまで、楽しみに待っていてくれると、そう言ったのですか?
驚いている私に、何も心配する必要はないと、笑顔一つで安心させてくれる。
 「私、頑張ります。だから、待っていてください。絶対に、同じ大学に受かってみせますから」
 「その日が来るのを、楽しみにしている。
 役に立てることがあるのならば、いつでも俺を頼ってくれ」
 「はい。あの・・・判らない問題があったら、電話しても良いですか?」
 「当然だ。たとえ夜中であって、気にすることはない。いつでも電話してくると良い」
 「そんなこと言うと、毎日、電話しちゃうかも知れませんよ」
 「それでも構わない。俺の時間は、お前とともに流れているのだからな」
そう言って、祐一先輩は、私の頭を優しく撫でてくれた。
そのとき、私と祐一先輩の間に置いてあるいなり寿司の乗ったお盆を、
おーちゃんが居間へ運び始める。
パタパタと戻って来たかと思うと、今度はお茶の乗ったお盆を居間へと運ぶ。
 「おーちゃん? 何してるの?」
 「これ、じゃま!!」
そう元気良く答えたおーちゃんは、お盆をすべてテーブルに乗せたことを確認すると、
そのまま居間を出て行ってしまった。
 「確かに、この方が良いな」
おーちゃんに気を取られていると、すぐ近くに祐一先輩の声が聞こえてくる。
慌てて振り向くと、私たちの間の距離が縮まっていた。
さっきまでお盆が置いてあった空間が、まるで無いに等しいほどに・・・。

完(2010.05.09)  
 
 ☆ このお話は、秋羽 仁 様へ10000HIT突破記念に贈らせていただきました。
   おめでとうございます。 あさき
 
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