クリスマスの喜び

 

 

 ここ数年、沼津教会の有志が仲見世通りで12月24日午後にキャロルを行っている。キャロルというのは、クリスマスの讃美歌を歌いながら、家々を回るもので、キリスト教のクリスマス行事の一つである。

 沼津仲見世商店街振興組合のご協力を得て、気持ちよく歌わせていただいている。約1時間、皆さんもよく知っている讃美歌、たとえば、「きよしこの夜」などを歌うと、通る人たちの口元も誘われるようにして、同じように動いているのが見て取れ、「クリスマスおめでとう。クリスマスの喜びがあなたにも届きますように!」と心の中に祈りが溢れてくる。

 クリスマスは喜びの日である。しかし、その喜びに辿り着く人は決して多くはないのではないだろうか。

 今年出版された新しい絵本「クリスマスってなあに?」(いのちのことば社)は、保護された戦争難民の子アッシアが見たクリスマスシーズンの町の風景を描きながら、クリスマスってなんだろう?と問いかけている。

 戦争のない町には、クリスマスと名の付くものが溢れている。そして、何だか知らないけれども、ワイワイガヤガヤ忙しい。そんな中でアッシアは、友だちにクリスマスってなあにとたずねると、クリスマスを知らない人がいると笑われ、クリスマスは「ママが、クッキーをやいてくれるの」「サンタクロースが来るんだ」「おばあさんが金貨をプレゼントしてくれる」と次々と子供たちの答えが返ってくるが、難民のアッシアには、クリスマスが何なのかが分からないのです。

 おそらく作者は、戦争で家族を失い、平和が失われているアッシアには、ママやおばあちゃんやサンタクロースを通しての喜びが伝わってくることはないという悲しみを心に留めているのでしょう。

 しかし、聖書の中のクリスマス物語を先生から聞き、三人の博士の一人が、アッシアのようなこげ茶色の肌をしていたと教えられ、クリスマスの劇の博士役がアッシアにこそぴったりだと先生が語ってくれたとき、アッシアにもクリスマスが何なのかが分かるのです。「クリスマスはみんなにとってよろこびの時」と。

 クリスマスは、どのような状況の中にある人にも神の喜びが伝わるというところまで分かってはじめて喜びの日であることに辿り着くことができるのです。そして、その秘密を解く鍵が聖書に隠されています。

 11月のある日、片浜中学の3年生から教会に電話がありました。学校の総合学習で教会を見学したいとの申し出でした。うれしい求めです。しかし、ちょっと心配です。がらんどうの礼拝堂を見て何かを感じてくれる建築学的感想よりもそこで行われるクリスマス礼拝やキャンドルサービスの中で聖書に触れていただいて、神さまの中に生きている自分を発見してくれたら望外の喜びなのですが…。

 

(沼津朝日「言いたい放題」 2004年12月10日掲載)