クリスマスに問う
沼津友の会という集まりがあります。羽仁もと子が始めた家庭生活合理化運動「友の会」の静岡県東部での組織です。羽仁もと子が考案した家計簿も百年を迎え、テレビでも紹介されたのでご存知の方も多いのではないでしょうか。
その沼津友の会での12月例会では、毎年クリスマス礼拝を守り、招かれてこんな話をしてきました。「クリスマスの出来事は、離婚騒動の中で始まりました…」と。すると、皆さんは、びっくりされたようでした。クリスマスといえば、聖なる日という印象があるので、下世話な離婚騒動などクリスマスにふさわしくないという先入観が働いていたからでしょうか。しかし、クリスマスの出来事こそ、わたしたちの世界の中に入り込んで来た神の出来事ですから、わたしたちの生活の醜さや恥部と無縁ではありえないのです。
聖書が伝えるクリスマスの物語は、マリアとヨセフが婚約したことから始まります。ところが、婚約中にマリアが身ごもったのです。それが神さまのなさったことだとは思わなかったので、夫ヨセフは、ひそかに縁を切ろうと決心したのです。ここがまさに離婚の危機の場面でした。
この夫ヨセフの決断は、正しさと優しさの入り混じった苦渋の決断でした。なぜなら、当時の法律では、不貞を働いた女性は死刑という厳しい処罰であり、婚約中といえども、この法律が適用されたからです。愛するマリアを死刑にするわけにもいかず、かと言ってこのまま結婚するわけにもいかず、悩んだ末にひそかに離婚しようと考えたのです。
ところが、ここに強引に神さまが関わってきます。マリアと結婚しなさいと命じるのです。ヨセフにしてみれば、離婚は、神さまだって分かってくれるに違いないとの思いで決断したと思います。けれども、ヨセフの思いを遥かに越えた神さまのお考えが別の形で広がっていたのです。それが、マリアから生まれる子こそ「罪」から救うお方の誕生であるとのクリスマスのメッセージなのです。
しかし、クリスマスの核心部分である「罪からの救い」という点が、多くの方には一番分かっていただけないところだと思いますが、「罪」を神に対する思い込みと考えてみてください。現代は、思い込みが激しさを増してきていないでしょうか。自分自身の生活でも世界の動きの中でも、自分が正しいと思い込み、更に、神も自分と同じように考えているに違いないと思い込み、突き進んでいます。この姿こそ、すべての混乱の根源なのです。
そんな人の思い込みに対して、神は、このような人間の罪をご自分の身に受けて苦しんでくださる救い主イエスをわたしたちに与えてくださって、わたしは、あなたの思い込んでいる神とは違うと迫っているのです。
(沼津朝日「言いたい放題」 2003年12月17日掲載)