あなたに届けたい

 

 

 わたしは、沼津に来て、二度目のクリスマスを迎えようとしています。今年も町は、11月からすでにクリスマスの飾り付けが始まりました。アーケード街や上土通りは、歩道のクリスマスイルミネーションを競い合い、仲見世通りでは大クリスマスツリーが、人目を引いています。

 この頃になると、以前に暮らしていた富山との違いを思い知らされます。空は曇天、雨も次第にみぞれ混じりになり、雪が近いことを予感させる北陸の11月。そして、部屋の中は日中も光が差し込まないので、薄暗い日々が続きます。「光がほしい」というのが毎日の実感でした。しかし、沼津は冬こそ明るい。その違いの中にクリスマスの光もくすんでしまうかのようですが、暮らし続けると、明るい沼津でも「光がほしい」と願っておられる方が沢山おられることに気づかされます。

 クリスマスは、だれのための日なのでしょうか。子どもたちのため、恋人たちのためでしょうか。

 クリスマス物語の中で、最初にイエス・キリストの誕生が知らされたのは、野宿していた羊飼いたちでした。淋しさの中の彼らに神さまの光が届けられたのです。そのことを思うとき、クリスマスこそ、自分の生活に光を求める人のためにあることを痛切に思います。

 昨年、華やかなクリスマスのお祝いの中で、ガンと戦う一組のご夫婦がおられました。教会にもクリスマスにはお出かけになり、楽しい一時を過ごされたこともありましたが、今年はそんな余裕もありません。苦しみと悲しみのどん底に突き落とされ、失意の中におられました。

 その方へお届けした一枚のはがきをご紹介させていただきます。そして、同じ言葉をあなたにも届けたいのです。

 

 Nご夫妻へ

 お加減はいかがですか。クリスマスイブの朝を迎えました。教会の方からNご夫妻が、これまでにキャンドルサービスに参加してくださっていたことを聞きました。

 教会のクリスマスは静かに過ぎていきます。それは、世の中のような華やかさを求めず、飼い葉桶の中に生まれたイエス・キリストに目を注ぐからです。

 「力を捨てよ。知れ、わたしは神」という聖書の言葉があります。これは、貧しさや孤独の中に生まれたイエス・キリストを知るためには、自分で生きようと力んでは駄目だということを語っています。

 病気だから今年はクリスマスも祝えない、と、そんなに自分の思いを力ませないでください。苦しみを知っている神さまは、神さまの方から近づいてくださいます。

平安を祈ります!  

(沼津朝日「言いたい放題」 2002年12月8日掲載)