結局 富士山登拝は断念

 2022年 7月20日 17:40:00
最後のチャンスと覚悟を決め手はいたのだが・・・。直前の週あたりからいろいろ雑用が出てきて、準備がなかなかできない。
他のことはさておき、最優先でやらねばならないのになぜか気が進まない。天候も一応OKではあるが前後が荒れ模様。前日山小屋に電話して、キャンセル。理由は体調がよくないからと。自分を叱咤すべく周りに富士チャレンジを吹聴していたので、止めたというと、みな、それはよかった。無理をしちゃいけないよ。と温かい言葉。やはり寄る年波には勝てないということか。代わりに昨日は、共用庭の草刈り。芝刈り機の切れ味が悪いので、研ぎなおすことにした。こんなところで、押さえているのが一番よさそう。

サイトをひとつ閉鎖

 2022年 6月11日 15:44:00
瓜生小地区避難所運営連絡会から離れることにしました。80過ぎると意気地がなくなりあれもこれもはとても無理。幸い、連絡会へは同じ団地から若い人が参加してくれることになったので、いまがチャンス。
wixに2年前開設したサイト「災害に備えて」も削除しました。まだまだ終活でしなければならないことがたくさんあるが、少しずつ。

富士山 最後の挑戦にむけて山小屋予約

 2022年 4月20日 19:29:00
先週、御殿場ルートの山小屋を予約。7月18日1泊2食 8000円。 ネットで調べてみると、バス時刻表はまだ更新されていないが、バスツアーは、2022年度版が予約受付中。御殿場ルートもあった。山小屋は、以前泊ったことのある「わらじ館」。わらじ館のサイトへいくと、7月もすでに予約満員の日がいくつか。これは大変と、早速行動に。体力もある程度自信がついたので、わらじ館よりすこし登った「砂走館」にしてみた。あとは天候のみ。直前で体調が悪くならないよう、自重も大切。

富士山 最後の再挑戦??・・・

 2022年 2月20日 8:48:00
すでに半年が過ぎてしまった。結局富士山には行かずじまい。高尾山健康登山は第1回満行を終え、2回目満行もあと5回を残す限り。コロナワクチン接種3回目もおわり、体調に不安はない。来週日曜日に開かれる小金井ー国立競技場30Kmかち歩きの参加申し込みも済んだ。こうなると、あきらめていた富士山登拝。御殿場ルートのやり残しが気になって来た。ほとんどのサークル活動からは引退し、今はスポーツ吹き矢に多くの時間をかけている。朝の広場練習はまだ寒いが、これも基礎体力をつけて、免疫力を強化するためと思えばつらくない。足腰が衰えないよう、これからも高尾山行きを続けよう。平日回数券を購入した。

富士山 再挑戦?・・・

 2021年 7月 5日 18:48:00
コロナワクチン接種も無事におわり、あらためて活動再開。高尾山健康登山もすでに8回。いまのところ、体の動きに不都合を感じることはない。すでに断念していた富士登山のやり残しが気になって来た。長時間のハードなコースとされる御殿場口は、過去2回計画倒れになっている。ことしは、6合目に半蔵坊茶屋ができ、気分的に安心。傘寿の大台をまじかにして、冒険をできるのはいましかない。そんな気持ちで、7月16日の宿泊をななよんわらじ館に予約してしまった。その翌週は、オリンピック自転車ロードレースの沿道整理ボランティアがあるので、ここしか日程が取れない。でも天候が心配。無理はできない。天祐を祈るのみ。

新しい生活にもだんだん慣れて・・・

 2021年 4月22日 10:48:00
年度が変わり、ひとつ所属サークルから退会した。こちらもリタイヤした直後に入会したのだから、もう20年近くになる。第2の人生を思う存分楽しませてくれたところだった。もう一つ私のボランティア活動の柱の一つだった会も、昨年度末解散した。さぁてと、これからは、第3の人生と考え、これまでとは違った生き方をしたいものだ。「老い」を楽しむ。朝起きると、少しづつ、体のどこかがこれまでとは違っている。これもまた未体験、未経験の世界である。これからどんなことが起きるか。好奇心の虫が動き出す。

活動が少しづつ消えていく・・・

 2020年11月21日 17:08:00
リタイヤしてすぐの時期に入会したボランティアグループが、ついに幕を閉じていく。竹をつかった遊具づくりで活躍した道工具など、やっと処分が終え、すっきりしたと同時に寂しさも感じる。あちらこちら、身体が許す限り動き回っていたが、若き日に目標を失い、悶々とした生活したあのつらい経験を二度としたくないという深層心理のなせるわざだった。やることが何もないことほどつらいことはない。いまでもそう思ってはいるが、これまでとは違った生き方をしてもよいなと感じさせてくれたのは、新型コロナウイルスさんのおかげである。
手元に小さなスケジュール帳がある。例年ならば、来年のものを購入するのだが、ことしはもう買わない。なぜなら、今年のスケジュール帳は、昨年末、昨年度活動予定を年度末まで書き込んだまま、一度も開くことがなかったから。今年度下期から復活した活動は、スマホのカレンダーアプリで十分管理できるものだった。ほとんどの活動が出来なくなって、なにもすることがないとおもったが、意外にもやることはいっぱいある。身の周り、家の中やまわりのことをこれまでほったらかしにしてきた。修身斉家治国平天下という言葉があるが、どうもこれまで順番をはき違えていたようだ。身をおさめ、家をととのえる。有言不実行にならなければいいが・・・。

上司だったH氏の発言抄録

 2019年 4月10日 15:33:00

おりにふれ、上司のH氏からの発言で気になることをシステム手帳にまとめ、常時携帯していた。
作成したのは、すでに本社スタッフになってからであるので、H氏は30年にわたる会社生活でもっとも影響を受けた人となる。

'85/3/7
第2OA装置事業部のなかで生技の位置づけを明確に。
一人ひとりの力が発揮できるように。

◎問題点
 寄り合い世帯  --- 事実
 POWERがない(弱体)  --- これも事実
 歴史がない --- まわりにも例がない
  1OA、プリンタ --- メカトロ中心(製造技術=設計技術)
  コン --- マイクロパッケージ
 それぞれ生技のやることがある程度明確。だが 2OAには製造部がない。新しい生技としての基盤を固めていかねばならない

◎物事の考え方について
1a. 拡がり
  仕事の種類、範囲 --- 他部門とのインターフェース、固有技術
1b. 深み
   地方日電との役割分担
    ex. 静岡日電をどうするか  統合(共通)化
2. 現在と将来
  現在は地方日電をどうするか
  将来は府中をどうするか

◎仕事の仕方
  他から評価されるような仕事の仕方を!
  人のために、他の部門のために仕事をする
   (他から評価される)→ 「行った人の評価につながる」
 仕事は断るものではない、するものだ。

◎2OA・生技のもうひとつの重要な役割
 生産部門(生産管理、資材準備、検査、地方日電)のコーディネートを行う
 組織には必ず穴が開く、問題がある。
 この穴を埋める心構えを持つべき部門は生産技術部
 技術部門の穴を埋める部門は製品技術部。

以上4つの考え方を基本に生技の役割・位置づけを考えよ。
とくに回路技術部とのインターフェースをどうするか。
自分の仕事が2OAの業務分担のなかで落ちがないかどうかを検証せよ
(業務改善プロジェクトはそのためにやると考えていた)

'85/11/15
1)もっと業務に機械化をはかれ
  ex. 原価計算
2)経営指標
  わからないときは改善を織り込め
  TOTALの数字が変わったときは必ず裏付けの数字を直しておけ
   (基準、考え方が大切)
3)仕事をするときの心得
  きちんと説明できるように表現せよ
  説明は一発勝負
  説明資料は聞く立場に立って(作る手順と聞く手順は違う)
  表現イメージは最終版で

'85ごろの発言(記録は '8/3/9)
 生産技術は技術部門へ御用聞きに行け。事業の流れ、製品の動向により仕事は変わってくる。 じっとしていてはわからない。
 「端末」事業の仕事の仕方は、
  仕事は取るものだ。自分に力があるかどうかを考えている暇もない。
  機会損失をいかに避けるか。
  以上のようにMINORな時代は無茶もできた。MAJORになったら考え方も変えていかねばならぬ。
  しかしハングリーな精神は忘れてはならない
5年先10年先の製品はどんなものか、そういうものをつくるにはどうしたらよいか。

 「穴を飛び越せ! がめつく人をとれ」

業務の境界は必要に応じて明確にせよ。そうしないと適切な評価を受けない

INPUTをいれたらかならず OUTPUTを (フォローアップの大切さ)

設計段階における原価低減において生技はどういう役割をはたすか

'85/4 (設備予算説明の際に)
◎誰のために(2OA)は利益を上げているのか
◎我々は立派な工場、生産システムを作りたい
◎いい提案が(我々に)なければ、そして他から良い提案がでれば、我々が稼いだ金は他に流れるだけだ。
◎予算フレームの数値は他の(予算値)との整合という点で重要ではあるが、設備計画は投資計画であり、 戦略的思考(思想)が必要

'85/(原価低減プロジェクトにて)
◎報告は前回をリセットするな(REVUPをせよ) 違いを明確にせよ
◎目標は適切か否か
  目標に対して実行がどうフォローされているか(よくわかるように)
 管理とは結果のみではない。プロセスが重要
◎アウトプット資料の作り方
  必要、十分項目をはっきりとせよ
  当面空欄でもやむを得ない
  埋めるような管理体制を徐々に作っていけばよい

'85/12/21(新潟新工場建設検討の際に)
◎多種少量の生産システム
◎キーコンポーネントの一貫生産システムをつくれ
◎少人数の工場
◎部品物流について真剣に考えよ(新工場とは別でもよい)
◎自動化の目玉は何か

'86/7/8
1)群馬日電建設に関連して
・中期計画は考え方を示すもの、その妥当性は計算で確認せよ
・内輪の検討が必要 ex.ローディング試算
 検討に際しては各種要素を織り込んで!! ex.8時間稼働か、シフト稼働か
2)出遅れた製品は取り返しがつかない
 失敗を覚悟でタイムリーな開発立ち上げをせよ
3)販売力が最重要
4)自動化について
  マクロコンセプトを考えるべきである
 2OAにとってロボットは何のために必要か
  量に対する有効度(効率) ---> 無人化、24時間稼働
  質に対する有効度(品質)

(自分のコメント)
あるべきロボットの姿目標(システムG)
実現性の検証・具体化(生技G)
評価尺度の例: ライン稼働率、システム貢献度

'88/2/16 (工場調査について)
NECが正式認定したということは,相手から見ればどういうことかよく考えよ
あたらしい業者を工場調査するときは、事前に事業部長室へ話をせよ。
(新しい業者と取引するときもおなじ)
'88/2/23
外部との仕事はケジメをきちんとつけよ。ケジメがないと信用されなくなり仕事もやりづらくなる。



現役時代のメモカード

 2019年 4月10日 15:20:00
リフォームを控えて、昔使っていた机を整理していたら、メモカードがでてきた。そのまま廃棄するにはしのびないので、ここに転記しておく。

'84/7/11
MIS(経営情報システム)本部の先輩より 「カードの活用」
・Readiness Card
 仕事をする前の下準備・・・このカードさえあれば安心できる
・仕事の仕掛Card・・・項目のみ(内容詳細はReadinessCardに書かれている)
 前日の仕掛の確認
 当日の仕事の計画 毎日更新
・Schedule Book

'84/7/11
[情報の変化]
 点の記録・・・メモ(個人のレベル)--- 発想
 線の記録・・・ノート(時間軸で発展)--- 検討
 面の記録・・・レポート・論文(関係部門への展開)--- 成果

'84/10
[仕事の整理] いままでの失敗例から
○カバンのなか
  名刺入れ(つねに補充を) 筆入れ(消しゴム、短定規、鉛筆)
  身分証明書 財布 アドレス帳
○胸ポケット
  安全手帳 管理者手帳 カード電卓 (右)
  ミニバインダー 手帳・メモノート (左)
○会議・打ち合わせ
  ノート(工場内)JAEノート(工場外)
・それぞれの機能が明確になっているか!
・必要な時に生かされているか(すぐ出せるか)
・二重管理になっていないか
'89/11/7 改訂
○カバンのなか
 システムダイヤリー(データベース) 筆入れ 財布 電卓
 pilotミニノート(覚え書き) NEC手帳(スケジュール)
○胸ポケット
 名刺入れ 身分証明書(定期券、免許証)
○会議・打ち合わせ
 ノート(工場内)
 A5システムノート 野帳 プロジェクト管理

'86/7/3
[挨拶のこつ]
 A4一枚ゆっくり話して 3分
・修飾語をあまりつけない
・早口にならぬよう→間の取り方
・かならず事前に原稿を!!
・訓練により向上する

ビジネス「五省」 作成時期不明
1.相手の立場になって「もの」を考える
1.約束をきちんと守る
1.言うことと行うことを一致させる
1.結果をこまめに連絡する
1.相手のミスを積極的にカバーする

'89/11/16
体力の衰えを精神の衰えにしないために!!
*意識的な努力・・・ おしゃれの勧め
  ・姿勢を正しく(外観、こころの持ち方をふくめて)
⇒明るく、ほがらかに、なんでも笑い飛ばしてしまう元気


やり残したことは・・・

 2019年 2月13日 17:43:00
喜寿を過ぎて早2か月、このごろ考えることがある。いろいろ好きなことをやってきたが、忘れ物はないだろうか。すでにやりたくてもできないことがあることを日々実感しているので。
ナポリにはいっていないが、日光はいったことがある。高いところが好きだから富士山には登った。東京スカイツリーは、まだ。そうだ、その前に東京タワーにまだ登っていなかった。パリ凱旋門やエッフェル塔は徒歩で上がったのに。ネットで調べてみると、土日、祝日は、階段を徒歩で上がれるそうだ。やってみよう。現役時代、本社ビル9階まで徒歩で毎日通い、その勢いで、ビル移転で33階に移ったが、そこも徒歩で上がっていたことを思い出す。善は急げ、ちょうど空いていた2月23日に決行とする。

ことしも終わり・・・

 2018年12月28日 20:48:00
年賀状をまだ書いていない。ここに書きこむ時間があればとは思うのだが・・・。50枚のはがきは無駄にできないので元旦には間に合わないだろうがなんとかしよう。ことしもいろいろあったが、ほぼ納得のいくことばかり。富士山御殿場コース登頂は断念したが、新宿青梅43キロ「かち歩き」は完歩。1昨年暮れからはじめたスポーツ吹き矢では、4段認定。ボランティア活動もほそぼそだが続けている。血圧とコレステロールの薬は毎日服用しているが、特に持病というほどでもない。77歳の節目も過ぎてこれからどんな風に生きていくのだろうか。世間では平均余命が伸びているようだが、個々の事情となると、どうなるかわからない。月並みな言い方だが、毎日を安穏に過ごせればそれでよいのかも。まさに「ラジオ深夜便」世代ではある。

身の回りの整理をしなければ・・・

 2018年 8月23日 20:55:00
現役のころの仲間から職場OB会の案内がきた。すっかり忘れていた懐かしい名前に、これは参加しなければと、スケジュールを確認すると、10月のことだが、すでに先約が。体力とともに気力も衰えているので、できるだけ控えめにしてはいるのだが、地域とのつながりでどうしてもこちらを優先せざるをえない。仕事の整理もさることながら、家人からいつも言われているのは、部屋の整理。10数年前和室をリフォームして、壁全面を収納棚にして、床の上から書類や器具を一掃したはずなのに、いまは床の上も足の踏み場のない状態。テレビで、松本零士の書斎?を見たことがあるが、まったく同様。こんなのは自慢にはならない。 座右の銘:「明日できることを今日やらない」などとうそぶいているわけにもいきそうもない今日この頃である。

要約されていない雑記帳をここに集約

 2018年 1月 2日 20:29:00
年が明けて、ホームページの更新をおもいたつ。ブログに書くか、ここに書くか迷っていたらお隣さんの存在に気付く。「要約されていない雑記帳」は、テーマごとにウェブサイトを作っていたころの名残り。いまとなってはこことダブりそうなので思い切って閉じることにした。記事そのものは、ここに移転。日付の表記が異なるので、転入生であることはよくわかる。同じ日付けのものが多々あるのは、WEB更新をまとめてやっていた証拠。いまでもそのくせはかわっていない。

トレーニングさぼり癖

 2017年10月17日 10:58:00
吹き矢を始めてから、生活パターンが大きく変わった。これまでトレーニングに行っていた時間帯は広場での吹き矢練習に。1ゲーム(6ラウンド)が約30分強。2ゲームで1時間は掛かる。トレーニングは、福祉センターでの講習会や相談会の前後にすることにしたが、このところ、それもやっていない。先日は、自宅の作業部屋で、左小指を床にあった小物にぶつけて、そのときは瞬間痛いと思っただけだったが、その後、触れると痛い状態が続く。外傷はないので、放置しておいた。痛みがきえるのに2週間。その間、トレーニングには行かない。ますます体がなまってしまう。今朝もラジオ体操をさぼってしまった。猛省、猛省。

足元がもつれる

 2017年 1月19日 15:35:00
ひさしぶりに、トレーニングルームに行ってみた。午後の予定もあり1時間ほどしかないので、筋トレコースは止めて、トレッドミルにした。前回、8KM/Hで、早歩きをしたら、何度もつま先が引っかかった。転んでしまっては危険なので、今回は7km/Hにして、ジョギングペース。ところが、15分もしないうちに、またもや爪先が引っかかってしまった。足先に注力して続けたが、30分ほどで、またもや。こんどは、安全タグに手が引っかかり、機械が自動停止。いやいや、危ない。再度スタートして、こんどは6KM/Hで、ウォーキング。なんとか、合計5kmは、終了したが、こんなに、足先が上がらなくなったとは。(靴を新調したことも影響しているかもしれないが。)これからは、ランニングマシンは、やらないことにする。そういえば勤めていたころ、会社のトレーナーが、「できればマシンよりも実地を走ったほうが体にはよい」といっていた。トレーニングルームでは、筋トレとストレッチだな。ロードでのランニングは、寒いから、温水プールでの水中ウォーキングにしよう。

吹き矢 始めました

 2017/ 1/ 3(火)
昨年11月から、吹き矢をはじめた。足のほうがカラキシだめになってしまったので、最後の砦、呼吸ぐらいは丈夫にしておきたいとおもったから。カラオケもよいと聞いたが、生来の音痴なので他人迷惑。腹式呼吸は、自律神経を整えるにもよいとか。特に息を吐くときが大切、と早朝のラジオで医者がいっていた。
吹き矢には基本動作というものがあり、これは、息を吐くときの姿勢を重視している。たしかに基本動作をきちんと守ると、安定し、矢の命中率も上がってくる。これは、自分に合っていると、納得。ただ、正式なスポーツ競技となると、器具が高価。年金生活者には、ちと辛いものがある。ネットで、吹き矢の創始者樋口さんを知る。このかたは、用具の自作を進めている。サンプルをわけていただき、自作を始める。矢の材料であるポリプロピレンフィルムが、なかなか見つからない。#40(厚さ0.04mm)が最適らしい。様々なラッピングフィルムのなかで、ちょうどよい物をダイソーでみつけた。筒は、ホームセンターでアルミパイプを探す。外径16mmと15mmがあり、15mmのものが、内径 13mm でちょうどよい。ただこの径のものは、1m長しかない。16mmなら 2mものもあるのだが。競技会でつかう公認用具は、120cm だが、自宅練習では、100cm でもよいだろう。自宅練習では、命中率は気にせず、姿勢、吹き方などを慣らすつもりだから。

後期高齢者として新年を迎える

 2017年 1月 3日 15:35:00
箱根大学駅伝も終わった。地元、国士館大学は頑張ったけれど結果は痛々しい。自分の人生も同じようなものなのかもしれない。止めようと思っている年賀状も、自己の反省とこれからの1年のために続けているが、不本意な結果を再確認することになるのがつらい。そう感じながらも、新しいスケジュール帳に、富士山登拝の再チャレンジ計画をいれてしまった。無理だろうとは思うのに、まだまだやれるかもしれないと自分を信じたくなる。後期高齢者というのはそんな存在なのだ。高齢者の自動車免許は取り上げるべきだと言っている自分が恥ずかしい。

ユーチューブ

 2016/ 7/13(水)
このところ、ipadを寝床にもちこんで楽しむのがyoutube。検索をかけると、役立つ情報がいっぱい入ってくる。そうなると、データを保存したくなる。いつでも見れると安心していると、いつの間にか消えてしまっていることも多いので。ダウンロードの方法もいろいろ。realtime downloaderとやらをつかったこともあるし、craving explorerをつかったこともある。最近気にいっているのが,google chromeの拡張機能。tampermonkeyとやらが便利。microsoftも edgeにかわったようだし、ブラウザーもieを使うのはやめにするか。たしかに ipadでは safari、lubuntuでは firefox を使っていて、なにも不都合はない。

富士山チャレンジ5回目御殿場口ルート断念

 2016年 7月13日 17:10:00
体調からかんがえて最後のチャンス。今年を逃したら、もう登れない。そう考えて準備をしてきた、御殿場ルート。ゆっくり、のんびり「ななよんわらじ山荘」にたどりつけば、よし。ご来光はそこで拝み、頂上は神社参拝だけ。しかし、気持ちとちがって、体のほうが調子悪い。朝のウォーキングで、10分もジョギングすると、モモが痛み出す。毎晩風呂で、足指のストレッチをしているが、朝起きた時は、しびれ感がある。トレーニングルームで、時速9kmで走っても30分もたない。7kmのウォーキングで30分が限界。これでは、健脚向きといわれている、御殿場コースは、むり。折しも、15,16日と予定がはいってきたので、山荘にはキャンセルの電話をいれた。(まだ登れるのではないかという気持ちは残ってはいるのだが。)
スタミナ訓練は、近所でもできるだろう。まずは、朝のウォーキングを再開することだ。家人が心配するといけないので、スマホのフォルダを購入した。 

ラジオ深夜便

 2015/ 8/15(土)
この歳になると、睡眠も浅くなる。若いときの民放深夜放送とは違った感覚で、うとうとしながら、明日への言葉などを聞き流し楽しんでいる。この放送が、要約筆記者の入力訓練にとても役立つ。話題が時期を得ており広範囲にわたっているので、一般教養として役立つし、様々な話し方から、要約技術をきたえる訓練になる。以前は、過去の放送をダウンロードできたが、いまは出来なくなった。そのかわりというか、「らじるらじる」というインターネット放送とradikoolという録音ソフトを組み合わせれば、MP3ファイルを作成できる。便利な世の中になったものだ。

富士山チャレンジ4回目須走口ルート

 2015年 7月31日 17:10:00
一昨年のトラブルが尾をひき、昨年の富士山登拝は、計画はしたが、直前に断念。剥離骨折の予後処置を丁寧に行なわなかったため、足底筋膜炎になっていた。足首、足裏マッサージをつづけ、何とか今年は復調の予感。3月の多摩ロードレースには5キロに参加。6月24日足慣らしの意味で、高尾山へ。1時間弱で頂上まで歩き、足の方は異状を感じなかった。登りは大丈夫とわかり、次は長時間歩行の確認。ちょうどスケジュールが抜けたところに、リアル帰宅訓練(ナイトウォーク)の記事が新聞に。早速参加し、午後11時新宿西口を出発。甲州街道、多摩川ロードコースを歩いて午前7時諏訪の公園到着。途中休憩も相当あったので、歩行速度は平均5km/H。やっと自信がつき、昨年断念した須走口コースの山小屋を申し込む。 さすが、寄る年波にはかてず、標準時間より大幅にかかったが、想定内の時間で、本7合目の山小屋につき、ゆっくりと足を休める。翌朝、4時40分ご来光をむかえる。4度目の正直。ご来光
今回のチャレンジは達成されたという満足感にひたる。ただ、足の疲れは、予想以上。一晩泊まったのに、頂上への歩みは、一歩一歩重い。久須志神社で、高齢者記帳を終え、剣が峰にゆく元気はなく、下山へ。ただ、これも想定内。「無理をしない」と決めてはいたが、無理をする気力がないのが実態。4回目の慣れで、コースの確認をしておかなかったため、下山コースが、別にあることをきづかず、のぼりとおなじルートをおりてしまい、30分以上損失。気をゆるめると、足下がすべり、ころんでしまう。30分ごとに休憩をしっかり入れて、なんとか、けがなどすることなく、吉田口富士山五合目に。天候に恵まれたのが、最大の要因だが、今回は、ほぼ予定どおりにことが運んだ。これで、富士山のコースは、御殿場口のぼりだけとなったが、来年は、どうするか。

要約筆記者

 2013/12/31(火)
住んでいる市の登録要約筆記者になっているが、自分自身、能力からみて忸怩たる思いがある。今年の要約筆記者養成講座の運営スタッフとして参加してみて、これから要約筆記を学ぼうとしている人たちのレベルが高いので、なおさらその思いを強くしている。 障がい者への思いだけでは、要約筆記者にはなれない。(もちろん、障がい者理解は前提ではあるが)
法改正により、ますます要約筆記のニーズは多くなり、活動の場が広がるとき、加えて質の高さも同時に要求される。 いまの私にできることは、要約筆記者養成が出来るよう、お手伝いすることなのだろう。

2013年後半は散々

 2013年12月31日 20:28:00
富士山から戻ってすぐ、団地夏祭りの準備に入る。そこで、魔の瞬間が。公園の一角に、祭りのポスターを張り終わって戻るとき、植え込みをかき分ければよいのに、ちょっと調子にのって、飛び越えた。そして、段差にひっかけて、横転。ちょっとしたねんざだと思った。痛みも少なくなったので、午後からは、自転車で、買い物に20キロの遠出。その晩、痛みがひどくなり、腫れてきた。翌日、医者に行くと、丁度、お盆休み。3日後に、再び訪れると、剥離骨折の診断。以後、1か月、ギプス生活。安静にとは云われたが、夏祭りの世話役でもあるので、のんびりできない。自分では用心しながら過ごし、やっとギプスがとれ、普通に歩こうとすると、足が完全になまってしまっていた。半日も立っていると足裏が痛くなる。 朝のジョギングもできなくなった。東京国体のボランティアスタッフも辞退、秋の「新宿―青梅40キロかち歩き」も不参加。来春3月には、多摩ロードレースがあるのだが、結局、申し込みせず。

富士山登拝(富士宮ルート)

 2013年12月31日 20:28:00
富士山登拝は、一応成功。前日、富士宮駅近くで1泊。朝一番の登山バスで、5合目に、雨が降っていたが、誰も戻る人はいない。 5合目で、1時間ほど時間調整する予定だったが、じっとしていると寒いので、直行。
昼飯時に山小屋へよったら、予約がなければ中には入れないと。パンと飲み物を買い、軒先で食事。途中、岩陰で風をよけて一休み。 出発の2週間ほどまえ、自転車で前転してしまい、右手小指を痛めたところが、段々感覚がなくなってくる。 やっと、予約しておいた、万年雪山荘に着いたのは、3時近く。体を温め、ようやく人心地がしてきたが、腕の感覚は、まだなくなったまま。
でも布団の中で、手を温めているうち、朝起きるころには、戻って一安心。明け方、雨があがったとの人声がして、ご来光が拝めるかと、喜んだが、また雲が出てきて、残念。また、頂上へ向かい、高齢者記帳をする。前日の雨で、大砂走りは、砂ほこりもなく、快適。10時には、御殿場口新五合目に到着。
富士山は、山じゃない、という人がいる。たしかに、美しい景色、爽快な気分に浸れるわけではない。でも、そこには予期せぬこと、ドラマがある。また、のぼってみたいとおもうのは、私だけではない。今年、登拝した高齢者は1600名だとか。そのうち、私より高齢者は990名。

ジョギング復活?

 2013年 5月13日 18:28:00
今年の夏も、富士山登拝を決めた。一年さぼるとそのまま、登れなくなる気がしたから。
コースも後半がハードときく富士宮ルート。昨年、ご来光に間に合わなかったことへの雪辱。
そのためには、まず体力を。近所付き合いもかねて、ラジオ体操を始めたので、そのままジョギングルートへ。 10KM70秒で、昨年は60秒をきることへの挑戦だったが、いまは、70秒を維持するために、四苦八苦。

やっとサイトの整理が終了。

 2013年 3月27日 14:48:00
ほったらかしのブログやHP。数えてみたら19も。HPは2つに。ブログは4つにまとめました。 つぎは部屋の整理だが・・・。所属サークルも、20年、5年と節目を迎える。一区切りをするにはちょうどよさそう。 いま注力しているのは、「めかい」と「字幕」。いずれも市民講座で、評判がよかったテーマ。

富士登山プリンスルート。

 2012年 8月 1日 21:48:00
リタイヤして10年。5年前に断念した富士登山を再度計画。休業していた、御殿場コースのナナヨンわらじ館が復活したという。富士宮口五合目からはいり、宝永山の馬の背を通って御殿場口頂上へいくというコース。宝永山のルートは意外にきつかった。(皇太子は軽々とのぼったらしい)。わらじ館での宿泊を決めていたが、赤岩八号館までいける感じではあった。初めてのときとは、まったく異なり、宿泊客は数名。夜具もゆったり。ご来光は、頂上で迎えようと、夜間出発したが、時間をあまくみたせいか、結局間に合わなかった。 下山コースは、須走口。砂滑りをたのしむが、岩をねらって踏んだためか、スパッツのゴムが切れてしまった。

横書き文字

 2012/01/25(水)
自分の文字のへた、汚さを棚に上げていうのも気が引けるが、漢字や、ひらがなは、本当に横書きに向いていない、とおもう。 とくにひらがな、草書体がもとになっているのだから、当然ともいえるが。文字の手本などをみても、横書きに適した字体という意識はないようだ。 その意味で、若い女性がつかっている丸文字。これは注目に値する。読みやすいという点では天下一品。ただ速くかけるかというと・・・。
考えてみれば、明治初期、世間ではいろいろな文字がつかわれていたのを、文部省がいまの字体に統一してしまった。 当時は日本語の横書きなど一般的ではなかったので仕方がないが、判読性、書写速度の両面から、科学的に研究された文字を開発する学者先生がいてもよいのだが。 それともパソコンの普及で、手書き依存度が下がってしまい、検討の対象にもならなくなったのだろいうか。 私はといえば、自分流の文字を作りたくって、手書きフォント作成ソフトを購入したのだが、そのまま、パソコンのなかで眠っている。

いろいろありました。

 2012年 1月14日 18:16:00
ことしの賀状のタイトルには迷ったが、「一陽来復」。毎年お祭りしている早稲田穴八幡宮のお守りに書かれている4字熟語。幼少の頃、戦後の混乱の中を生き抜いてきて、やっと高度成長を謳歌。いつまでもこの幸せが続くわけはないとは思っていたが・・・。古希を迎えて、もう一度、初めからやり直すのも悪くはないかもしれぬ。
過去は忘れて・・・とは思っているが、部屋の片づけは、年を越しても一向に進まない。「ときめき」理論もわたしには通用しそうにない。物を見るとなんでも「トキメイテ」しまうのだから。

要約筆記入門講座

 2011/02/11(土)
9年前に、受けた入門講座。今度は自分が講師役をすることに。 現場経験は少ないし、入力速度も速くない。ただ、年の功というべきか、人前で話すことは、比較的慣れてきた。ネットから入手した知識もそこそこ。受講された方も比較的年配のかたで5名。パソコン講習会と同じ雰囲気で、話ができる。
ということで、準備もなしに、やってしまった。担当の方が、立派なテキストを用意してくれたので、それを利用。自分自身の体験をまじえて、参加者にも実感してもらえるよう、進めてみたが、いかがであっただろうか。要約筆記の世界に、ぜひかかわってくれたらと思う。かつての私のように。

ジョギング、ウォーキングその後

 2011年 2月11日 21:37:00
昔でいえば紀元節。午前中、時間がとれたのでトレーニングルームへ。利用記録を見るとちょうど300回目。昨年暮れより、調子がよかったので、今日もとおもったが、なぜか、左足膝が痛い。 少し気になって、無理しない程度に。結局、10km/h で前半30分。7.5km/hウォーキングで20分。最後の10分をまた10km/h。通して1時間で9kmは走れた。
だが、夕方から、膝にいたみが。やはり無理はできないのかなあ。 3月の「かち歩き」は、ぜひ完歩したいから、自重、自重。

字幕って???

 2011/01/12(水)
通訳としての要約筆記は、自分にとって荷が重くなってきた。そのかわりに比重が増えたのが、字幕関連。 リアルタイム処理ではないので、じっくり空いた時間を活用して取り組める。
この間も、高齢者向け啓蒙劇に字幕をつけたいという話が、地元ではないが社会福祉協議会から あり、協力しはじめたが、その劇を演出する監督さんが、字幕をつけると、劇の芸術性がそこなわれるとか、こちらとしては理解できない理由で、結局実現できなかった。
しばらくして、別の社協から、こんどは、ろう者が作成した映画に、字幕をつけるというはなし。捨てる神あれば拾う神あり、と内心喜んだが、よく聞いてみると、映画では、ろう者が手話で会話をしているので、 上映時に、手話通訳者が、読み取り通訳をし、それを、文字化してスクリーンに表示してほしいらしい。字幕ではなく、まさに要約筆記であった。
ろう者、難聴者をとりまく、情報保障環境は、まだまだ道半ば。

漢字練習帳

 2011/01/01(土)
悪筆なのに、要約筆記なぞに興味をもって・・・。身の程知らずではあるが、うまくなりたいという気持ちだけは、昔からもっていた。若いころは、ひらがなが苦手だったので、ペン字の練習テキストを買ったりした。そのうち、字が汚いのは、本質的なものであることに気づいた。ゆっくり時間をかければ、それなりに書ける。速く書こうとすると、とたんに字が崩れる。自分で書いた文字も3時間後には読めなくなるほど。でもどうしても治らない。読めない字を解読することに快感を覚えるから。会社にいたとき、他人の書いた読めない文の解読を頼まれたことも多々あった。 他人に伝わらない文字は、文字ではない。そのとおりではある。なぜ、私の書く字は、他人に読めないのか、観察してみた。1)続け字が多い。(自己流の草書なので、書き順が重要)2)文字の大きさが一定しない 小さな文字と大きな文字では3倍以上の差があることがある。3)字画の省略がおおい(熟語として理解できそうだと感じると、途中からつぎの字に移ってしまう)
 これらを治すため、小学生向けの漢字練習帳(8マス)を使っている。OHP向けには26mm角。ノートテイク向けには13mm角で。書く文字は、中学生の高校入試向けの漢字ドリル。熟語の読み、書きの練習を兼ねることができる。 しかし、効果のほどは???。練習ではきれいに書けるが、現場に出ると・・・。結局、自己チューの気質が治らない限りは、他人が読める字は書けないのかも。

要約筆記を知って10年。

 2011/01/01(土)
定年退職直後の4月。地元で開かれた要約筆記入門講座に参加してから、もうすぐ10年。早いものだ。字がうまいわけではない。(というよりひどすぎる。)パソコンで入力するから、下手でもよいと思っていたが、キー入力もまったく上達せず。むしろ若い時出来ていたこともできない。技術的には、まったく能力なしだが、なぜか続けてこられた。 サークルでの居心地がよほどよかったのだろう。昨年から、地域に要約筆記派遣制度ができあがった。念願のものであるが、また、期待も大きく、責任も重大。今の自分になにができるのだろう。新年を迎えて、自分に問いかける。

ジョギング、ウォーキング

 2010年12月25日 21:37:00
久しぶりに10KMを60分以内で完走できた。トレーニングルーム内でのことだが。記録をみると、9月2日以来。一時は10km/hで30分走ることもできなくなり、年齢が原因しているのではとも思ったが。 11月に参加した「かち歩き」でも、風邪が完治しない状態での参加だったため、途中棄権。6時間30分台での完走を狙っていただけに残念。本日、春の日程連絡が来た。3月11日。これにはぜひ、絶好調で臨みたいものだ。69歳の誕生日を過ぎて、なにかと体力の限界を感じることが多かったが、きょう、とくに疲労感もなく10km走れたことで、自信をとりもどした。 トレーニングルームの利用回数も、9年間で290回を超えた。これからもこんな調子で・・・。

万引きと本屋

 2008年4月25日 21:37:00
本日の読売朝刊「編集手帳」に南方熊楠が書店で立ち読みした話が書いてあった。私も貧乏で、好きな本が買えず、学校の帰りに立ち読み、やっと小遣いをため購入したときには半分近く読み終えていた。 そんな私が、夢をみた。本屋でほしい本を盗もうとして、おやじさんに見つかった。ごめんなさい。とあやまったとき、目が覚めた。ああ、夢でよかった。じつはそのころ、盗癖があった。学校のだれもいない教室で、友達の机の下に小さくきれいなセルロイドの石鹸箱があった。つい、ほしくなって盗んでしまった。翌日クラス会で友達が「石鹸箱がなくなりました」と報告。わたしはもちろん、知らん顔。 でも、この夢の一件から、見つかったときのあの思いはしたくないと、心に誓った。その後も悪の道への誘惑はいくつかあった。でも、本を読んでいたおかげで、理性が勝つことが出来たといまでも信じている。 手帳は、書店での万引きの被害と親の対応にも触れていたが、親を心配させてはいけないと、子供心に思ったのは50年ほど前の出来事。それほどむかしのことではない。

携帯ホワイトボード

 2008/03/24(月)
以前、サークルの講習会で制作したB5二つ折り携帯型ホワイトボードが壊れてしまった。中央の折り目で紙が切れた。
表面も荒れてきて、ペンで書いたあとの消しあとが薄汚れてしまう。そこで、張り替え。インターネットで調べたら、おもしろいものが。A4タイプ50枚で1400円。 お試しセット3枚で300円。割高だが、A4なら、余裕がある。さっそく取り寄せてみた。 非常に薄いもの、静電気でくっつく構造。下紙が真っ平らではないので、やはり接着は必要だが、この貼り付けがむづかしい。皺が寄ってしまったがなんとか使える。

字幕つきプラネタリウムも終わって。

 2008/03/24(月)
19年度後半は、忙しかった。パソコンボランティアの活動が始まったからでもあるが。要約筆記もその日だけがんばればよいというのでなく、事前準備が必要な企画が盛りだくさん。 個人的には、そのほうが好き。いろいろ工夫したり悩むところが楽しい。ただ、アイデアが実を結ぶものは少なく、ほとんどが水面下に沈んでしまう。それらの積み重ねが、新しいアイデアに結びつくことを思うと無駄ではない。
プラネタリウム字幕は、発見の連続。光の暗いプロジェクタが欲しいなど、やってみなければわからない。

悲しいお知らせです(???)

 2008/03/18(火)
せっかくのチャンスだったのだが、不勉強がたたって、またもや要約筆記者登録試験に不合格。
パソコンのほうは、手が思うようにうごかず、自信がなかった。そこで、手書きコースで受験したのだが・・・。
結果は、筆記試験で、平均点を大幅に下回り、不合格。たぶん落ちたのは私だけかも。一般常識はあるつもりで、勉強を全くといってしなかったのが敗因。そのころ他にいろいろ行事があってやれなかったというのはいいわけ。 でも、地域での活動の場はまだまだたくさんあるから。

孫に遊ばれる?

 2008年1月29日 17:48:00
近くに住む長男一家、共働きで、幼児は託児所(いまはそう呼ばないらしいが)。インフルエンザの疑いがあるとかで、 我が家にやってきた。寝かしつけたり、あやしたり、オムツを替えたり、家内は大忙し。私の担当は、遊び相手。 危険のない程度で、私の持ち物をいじらせる。オモチャらしからぬものなので興味津々。 パソコンのスィッチなど、一番触られたら困るところを触りたがる。母親が言うには、それは本能的なものだとか。 3日間のベビータイフーン。振り返ってみると、わたしのほうが遊ばれていたような・・・。

10年日記

 2008年1月15日 22:38:00
昨年、めずらしく大掃除を手伝った。箪笥の上からでてきたのは、埃をかぶった10年日記。通販生活で紹介されたものが、一般書店ですこし安く売られていたので購入したのを おもいだした。案の定、3日坊主。開いてみると2002年1月1日定年直後の元日に記入がある。これからの生活についての抱負など。しかし後が続かない。とぎれとぎれになって、その年の8月で、ぱったり。 翌年は記入ゼロ。2004年は12月に1回。つぎが2007年1月5日。今年は購入してから7年目。ということで元旦から書き始めたが、今日みてみると1月3日で終わっている。やはり3日坊主は直っていない。

結局富士登山は断念

 2007年7月30日 18:12:00
予定では、いまごろ帰りのバスでぐったり。のはずだったが、富士山に行かなかった。 理由のひとつに、避けられない会議が29日に開かれることになったからではあるが、正直な気持ち、体力的に自信が無くなっている。1週間ほどまえ、トレーニングルームで、9km/Hを30分、10km/Hを10分走ってみたが、翌日から腰の周りに痛みがでる始末。 7月参院選挙が1週間延びて、29日になってしまったのも理由のひとつ。選挙のほうは期日前投票できるが、政見放送のビデオ字幕付き上映会が28日になり、その準備で山登りの支度をする暇もない。 あれやこれや理由をつけたが、わかったことは、この年になると、やりたいことすべては無理。なにか選択し、あきらめるものがある、ということ。 太く短く生きたいとは思っているが、好きなことが出来るように、体を大事にしなくては。そのため、ちょっと好きなことは我慢する。 そうおもいながらも、竹とんぼを削りつづける。(竹とんぼ依存症になってしまったか。キーボード依存症のほうは?)  

今年もそろそろ半ばに

 2007年5月25日 23:03:00
忙しい忙しいといっているうちにもうすぐ6月。年賀状での決意表明を思い出した。富士山にもう一度登らなければ。こんどはお鉢めぐり。前回はJTBツアーだったが、一人でも行けるかしら。電車・バスを乗り継いで河口湖5合目までを試算してみると、バスツアー料金と大して変らない。どちらが楽か。 一応7月29日で、山小屋の予約は取っておいたが。4年のブランクで体力は相当落ちている。7月参院選挙が終わるまで、何かと忙しくなるが、トレーニングだけは欠かさないようにしたい。   

高齢者と自転車

 2007年1月2日 14:42:00
昨年12月、65歳の誕生日をむかえ、近所のかかりつけ医で、節目検診。幸いにもどこも異状は無く、至極健康。毎日、自転車で市内を飛び回っているのが、よいのかもしれない。定年のとき、中古で購入した自転車、すでに数回のタイヤやチューブ、ブレーキワイヤーなどを交換してきたが、ギヤーやフレームの磨耗がひどくなったので、交換することにした。多摩NTを走るには6段変速は絶対必要。買い物にもつかうので、かご、後部キャリーも必需品。となるとなかなか見つからない。やっと若葉台のホームセンターでみつける。¥15800、安いですね。これで、健康が保たれるならいうことなし。いつまでも、自転車に乗ることが出来るよう、交通安全の懐中お守りを身につけている。   

山びこ学校

 2006年8月25日 13:55:00
本屋に立ち寄って物色していたら岩波文庫「山びこ学校」が目に入った。
中学校で先生に紹介され夢中で読んだ。確か映画にもなった。当時のベストセラー。山形県の山村の中学生の作文集だが、冒頭の作品、「雪」は、いまでもそらんじている。「雪がこんこんと降る。人間はその下で暮らしているのです。」それだけ。都会育ちの私が、はじめて自然と人間との関係を意識した瞬間であった。いまは夏。暑さが身にこたえる季節だが、冬になると、必ずこのことばが思い出される。もう一度、文庫を開いて冒頭をさがす。あった。おなじ詩が。作者はとみると、石井敏雄。すっかり忘れていたが、私と同名。そういえば、当時この本を読んだとき、同じ名前の人が冒頭を飾っていて、誇らしげな気持ちになったような気がしたのを思い出す。この本にはもう一つ思い出がある。図書館の本なのだが、返却するのが惜しくなり、そのまま、拝借してしまった。何度か読み返すうちに、表紙がこわれ、自分で、布張り製本をした。これも初めての経験。成人し、結婚してもダンボールの隅にしまい、決して処分したりはしていない。いまも家のどこかにあるはず。でも探すのが大変。手にとった1冊をもち、カウンターにむかったのはいうまでもない。   

ノートPCのふたがこわれた。

 2006/08/19(土)
サークルに入って、PC要約筆記用にと購入したモバイルPC。昨夜、2台接続の実験をしようと、ふたを開けたら、ノブがポキリ。購入後丸3年だが、満身創痍の状態。なにか自分の身代わりになってくれているのかと。
外部接続のキーボードは、音がうるさいとの声もあり、すでに入棺。もうしばらくは、予備機として頑張ってほしい。

PC購入価格

 2006年2月19日 22:34:00
箪笥の引き出しから、古い領収書、保証書がみつかった。 そのなかにパソコン関係があったので書き出してみる。
PC-8001 本体   151,000円  販売店:日本電気文化センター  購入日:S56(1981)年9月10日
ディスプレイ    PC-8050 37,440円 カセットレコーダー RM-210  8,800円 購入先:日興通信(株) 発送日:S56(1981)年9月28日
カセットテレコを何につかうのかですって? データやプログラムのロードアンロード用ですよ。なにしろメモリーは16Kですから。 8k増設するのに1万円したような。
5FDドライブ  PC-8031-2W 188,000円 接続ケーブル? 8033 14,450円 カラーDSP 8052 97,900円 計 300,350円 購入先:システムイン町田(デンセイ) 購入日:S57(1982)年12月25日

ここまでの投資総計は 497,590円 よく家人が許してくれたものだ。(でも漢字は使えない)

そして、DOSの時代に。
PC-9801UV11 本体   185,500円 PC-KD853 カラーDSP 82,600円  購入先:パスコットイン静岡  購入日:S63(1988)年9月9日 合計:   268,100円
まだ、ちゃんと動きますよ。
いまでも、パソコン本体を購入する価格は 16万以下と決めているのは このときのトラウマ。
”キーをたたいてブラウン管の文字を見る。9月10日はパソコン記念日”。25年前の出来事です。   

キミコ方式

 2006年1月29日 20:52:00
図書館でたまたま見つけた「カットの描き方」という本。 サークルで小冊子を作成する際、イラストがうまく描けなくて困ったものだから 興味があったのだが。中を開いて読んでいるうちに著者の思想に感動。早速借り出して 自宅で一気に読む。本来は「カットの描き方」を説明しているのだから、実行してみなければ いけないのだが、コラムや解説記事が面白くてたまらない。同じ著者の本をアマゾンで調べたら ユースドがある。即発注したのが一昨日。今日は「はがき絵の描き方」が届いた。 インターネットでも多くの人がキミコ方式を実践して成果をあげた例が報告されている。 30年以上前から提唱したもののようだが、なぜこれまで知らなかったのだろう。 この方式をマスターすれば、イラスト描きも苦痛でなくなる気がする。 これでまた、やりたいこと、やらねばならぬことが一つ増えた。時間がますます足りなくなる。

竹とんぼの話題

 2006年1月22日 18:28:00
近くのコミセンを久しぶりに覗く。竹とんぼのお師匠さんが戻ってきていた。 年賀状に、今年は競技用竹とんぼに挑戦したいと書いたが、正夢になる。決意をあらたに、ということでもないが放置していた竹とんぼコーナー。 いつまでも工事中というわけにはいかないので、ブログに模様替え。 これなら、ちょこちょこ身辺情報がかけるかな????? 

新プロバイダーに変更

 2005年12月06日 16:19:00
プロバイダー変更についてNTTから連絡がきたので、NIFTYに解約を申し入れる。 おりしも自分の誕生日。niftyのIDはすでに15年間使っているので、手放すのは惜しいのだが、固定IPアドレスを使いたいので 安価にサポートしているasahi-netに切り替えることにした。 電話でNIFTY窓口に伝えると、来年2月までまてば、解約料が無料になる。また、ダイアルアップ契約 に変えれば、NIFTY-IDはこのままで、メールも使える。料金は260円程度との親切な話し。 来年2月24日nifty利用16周年まではこの手でいこう。 

合格発表日新人勧誘

 2005年03月08日 16:19:00
44年前を思い出した。その前の年、当然合格すると思っていたのに不合格。臥薪嘗胆の一年、こんどこそと思っても不安げに掲示板を見据えて、自分の番号を幾度も確かめた。インターネットでも合格者発表はあるそうだが、やはりキャンパスに出向き、自分の目で確認するのが一番。
12時になると、係の人がパネルをもって掲示場所にあらわれる。受験生が集まり、嬉しそうな歓声、だまって立ち去る若者。なにも大学合格だけで人生が決まるわけではない。でも、やはり受験するからには合格したほうがよい。高校時代、国体に出場する選手を、名物校長が応援していったことば。「勝ったがええ、勝ったがええ、勝ったほうがええ」。「参加することに意義がある」としたり顔にいわれた戦後教育のなかで、新鮮に聞こえた記憶がある。
せっかく合格したのだから、青春を謳歌しなければ。4年間の運動部生活。あの体験を多くの人に、そんな気持ちで、40歳以上、年の離れた若者といっしょに入部勧誘の看板をもった。スナップはこちら。

OBOG会

 2005年02月20日 01:50:00
学生時代のクラブのOB会打ち合わせに参加した。運動部といっても同好会に毛の生えたようなクラブだったので私のようなものでも卒業まで在籍することができ、いまこうしてOBづらが出来る。わたしの代は、1年次だけで部員11名、残念ながら2名物故したが、いまでも9名いざとなれば全員集合。ところが、今の現役は、全年次あわせて4名。50年以上つづく伝統を絶やすまいとがんばっている。感心なものだ。振り返って我が身は年金生活者。たいしたことは出来ないが、雑用ぐらいはできるかも知れない。

スタイルシート

 2005年02月15日 17:54:10
BOOKOFFの500円均一セールで入手したスタイルシート辞典第3版を参考にこのページを変えてみた。これまでのは、geocities時代の日記メニューのタグを流用していたので煩雑だったがこんどはスッキリ。記事の書き込みも簡単。たぶんレイアウトの変更も本文をいじらなくてできるだろう。
あと、やりたいのは更新履歴の表現。なにかクールな方法はないかな。

画面解像度800*600

 2005年02月13日 21:56:38
Mebiusの主要用途であるPC要約筆記では、IPtalkというAPを使うが、これは画面サイズを800*600にすると具合がいい。これまで1024を標準に設定していたが、改めて800*600でフォントサイズの設定などをしてみると、最近とみに進んだ老眼にははなはだ快適。ではと、webサーフィンをしてみるとこれが困る。HPビルダなどでつくられたものはサイズがガチガチに決められているので横スクロールが余儀なくされる。
そういう自分のサイトも問題がおおい。style sheetをうまく使えるようになりたい。まずはここから始めるか。
ところで、久しぶりにnifty forumにいってみた。PCフォーラムは3月でなくなるようだ。fmodem,ffa,fnec など懐かしいサイトがまだ形だけは残っている。当時のログは私もFDで1000枚近く捨てないでもっているが、3modeのFDDが見かけなくなったので読み取ることもむづかしい? 

PC学習班。

 2005/01/16(日)
サークルのなかで、PC学習をはじめて1年になる。自分は、なにも出来ない内に、船にのってしまい、この一年がまったくのブランク状態。メンバーの人たちは、しっかりやっているので、なんとかくっついていかなければ。
キーボードがこわれたので、もう一度親指シフトにチャレンジ。

わが街 ながやま5-30

 2005年01月12日 01:19:00
ここに移って、すでに20年以上すぎた。入居当時、青壮年で、会社で家庭で、大活躍されていたひとも、そろそろ休息のころ。小さな子どもが遊ぶ姿をみるのは、正月か夏休み。別居しているお子さんが、孫をつれてあそびにくるときだけかも。
しかし、いまシニアが逆に大変元気。

PC新体制

 2005年01月02日 23:10:23
昨年暮れにツクモからペン4マシンを購入。最近のマルティメディア対応強化をはかることにした。数年間お世話になった、Pen2マシンFMVdeskpowerは、知人に譲り渡しそちらで余生を送ってもらうこととした。ということで、現在の家族(マシン)構成をもとめると、

世帯主: e-machines Pen4 2.8G Mem:1G HDD:160G OS:XP HE sp2 CD-R/DVD±RW
 妻: mebius SX1-H1 CPU:crusoe TM5600 Mem:368MB HDD:20G OS:XP HE SP1
長男: NEC Mate #1 Pen2 OS: 2000 sp4 CD-ROM
二男: NEC Mate #2 Pen2 OS: 2000 sp4 CD-R
三男: clie PEG-TJ25 PalmOS

各マシンの居所と主要用途
e-machines: [1階作業場]マルチメディア (ビデオ変換) データ保管,資料作成
         Printer,Scanner接続,
mebius: [主人のデイバッグ]PC要約筆記、PCサポート,PDA母艦
Mate #1:[1階作業場] サウンド処理、Daisy
Mate #2:[2階洋間] hamePage技法訓練
Clie: [主人のジーンズのポケット] PDA (HP200LXの後継用途だが、まとまった記事は野帳を使う)コクヨのLEBEL BOOK \150 が手放せない


もう大晦日

 2004年12月31日 20:43:46
今年は、慌ただしく、しかし充実した一年でした。清水の舞台から飛び下りる気持ちで参加したピースボート。IDカードが行方不明になったり、奥歯が折れてしまったり、オプショナルツアーを申し込んでおきながら入金手続きをしなかったため参加できなかったり、いろいろとありましたが、無事に帰れてなによりです。地震、津波、いろいろありますが、当たり前でいられることの大切さを感じます。外は雪。まだ年賀状を書いていないのでいそがなければ。

デスクトップマシンも購入

 2004年11月13日 21:31:00
internetで手配していたe-machinesがツクモから届いた。pen4で大容量HDDが欲しかった。画像処理には pen2クラスではどうにもならないので。memoryを512追加し1Gにしたので、スピードでは満足できるだろう。HPを試しに見てびっくり。これまでとはまるで違う速度。一瞬にして画像があらわれる。

HP200LXもついに引退?

 2004年10月30日 15:49:00
ピースボートにせっかくもっていったのですが、早い段階で、画面のヒンジが折れてしまった。接続回路が切れるといけないので、そのまま、使用せず放置。結果として、内蔵バッテリーも切れてしまい、帰国後、バッテリーを交換したが、ROMが消えたため、日本語環境も無くなっている。残念だが、PDAに乗り換えることとし、CLIE PEG-TJ25(red)をWEBで購入。これも、数ヶ月前から、品薄で、値上がり状態。機能的にはほぼ満足だが、keyboardがないことと、NoteTakerがないので、活用シーンは、多少変化するかも。 PCツールの「紙2001」が、NOTETAKERに酷似。PDAに移植してくれないかなあ。

19日に帰って来ました。

 2004/10/25(月)
結局、船の中では、要約筆記の出番は一つもなかった。難聴の方は数人いらっしゃったが、要約筆記のことは知らないし、説明してもあまり関心がなかったよう。「その分は戻ってきてから」と、この場で公言しておきながら、昨日の学習会は体調をくずして欠席。
ちょっと、自分ながらふがいない。

来月から10月まで、日本を離れます

 2004/06/24(木)
PC要約筆記の仲間が地元にでき、本当は今が一番大切なとき。でも、その前に決意したことなので敢えて実行。ここのところ、PC要約のことを考える時間がほとんどなくなっているが、「その分は戻ってきてから」と、この場で公言をしておく。 
ところで、いまごろ気づいたのだが、PC要約の英語表現=CAN 三田フレンズの掲示板に、私の質問のすぐあと回答してくれていたのですね。「ふぁいん」さん、「おかだ」さんありがとうございます。

中学校時代の同期会(2004/5/22)

 2004年05月23日 19:30:00
4年に一度、オリンピックの年に開かれる同期会。幹事の方の熱心なお誘いで、参加。恩師の先生方も、相変わらずお元気。
50年前、1クラス65名の悪童たちが8クラス、12人の先生で、面倒をみてくれたのだが、先生たちもまだ20代だったとか。
すなっぷは、こちら

geocitiesから引っ越してきました。

 2004年03月05日 00:00:00
行動パターンもだんだん固まってきたので、HPを再編成しました。やはり、URLにtonogusaの文字がないと落ち着かない。アクセス数は、geocities時代からの継続です。

NIFTY加入 14周年

 2004年02月24日 00:00:00
niftyからお祝いのメールが届いた。加入14周年とのこと。味なことをしてくれる。逆算すると、1990/2/24。森永ビルの本社9階にいた時代だ。隣の部のパソコン友達だった青年から勧められ、会社のパソコンで、nifty-serve & compuserve にオンライン入会したことは覚えている。当時、まだPCVANといっていたNECは、書面による入会しかできなかった。その後、PCVAN、日経MIX、cominet-sendai,biglobe,highway とメインプロバイダーは、変わっていったが、なぜか、niftyのIDだけは、手放さなかった。nifty-forumの情報に魅力を感じていたからか。しかし、SIG/CUGの魅力を満喫できたのは、PCVAN。物流SIGのオフミーティングで、新東京郵便局を見学したり、DBソフト桐のユーザーのオフミでは、PCVANとNIFTYのグループが、同一時間、同一場所で待ち合わせし、ニヤミスしたり。 20年ほど前、わたしがPCに夢中になっていると、同僚が、冷やかに、「会社では、データがあるからPCが役立つが、退職したら、パソコンにいれるデータがない。そんなことを覚えてもむだ」といっていた。PCが単に、データ処理するだけでなく、人と人をつなげるものだ。と思ったが理解してもらえなかった。インターネットの時代になり、つきあい方も変わってきたが、パソコンが、生活の一部になっていることはたしか。 あの同僚は、いまどうしているだろう。

「PC要約筆記」を英語では?

 2004/2/8(日)
以前から気になっていたが、先日、図書館で、「聴覚障害者のための図書館設置基準? IFLA」という小冊子があり、そこに明確に定義してあった。以下引用。
computer-assisted note taking (パソコン要約筆記)
a system whreby a note taker types on a computer keyboad what is being said during a meeting. after a short lag time,the notes are displayed on a projection screen or a moniter.

なお、 computer-assisted Real-time captioning (パソコンによる同時字幕)というのもあり、これがPC要約ではないかと思ったが、
a systen whereby a highly skilled court reporter uses a shorthand machine and a computer to translate spoken language into written text. the verbatim text may be read on a video monitor or on a projection screen immediately.
ということなので、明らかに異なる。 単純にいえば、「要約」は、note taking 「全文記録」は captioningであり、表示方法は、関係ないようだ。

40GBのFATが壊れた。

 2004年02月08日 21:11:15
ショックから、1週間。なんとか、気持ちは立ち直った。1月31日、音声ファイルを、もっとも容量の大きいディスクに、移していた最中、突然エキスプローラのフォルダー表示がおかしくなり、そのまま固まる。
再起動してみると、ドライブが一つしかない。40GBのDドライブはどこへ行ったのか。何度、再起動しても同じ。意を決して、FDISKで調べると、ハードディスク2は、存在はするが、未使用状態。
前回データをCD-RにBACK-UPしたのは、昨年の正月ごろ。1年以上の活動の記録が、消えてしまった。今年は、夏には、海外に見聞をひろめて再出発したいとは、思っていたが、本当に一から出直し。
覚悟を決めては、みたが、やはり未練はのこる。こういったときは、じたばたしないこと、と暫く静観。幸い、メールは、別のノートPCのほうに切り換えた直後だったので、日常の生活には問題がない。2日後に、あらためてデータ復旧の方法はないか、とinternetで調査開始。やったFINALDATAをみつけ、お試し版で、ディスクを検索してみる。なんと、消えた文書ファイル、画像ファイルが、出てくるではないか。地獄からの生還とは、このことか。すぐ、プロレジで購入契約。正式版をダウンロードし、見つかったファイルを復元してみた。みごと、成功。finalDATAさまさまである。それにしても、前から気になっていたにも関わらず、40GBを一つのドライブでつかっていたのはまずかった。

PC環境の変化

 2003年11月02日 16:29:00
10月より、PC廃棄処分の仕組みが変わった。これを機に大幅整理。現在の状況は、NEC 9801UV11 (MS-DOS6.0) 1基(催しでも、PCゲーム機として健在)。FMV6350DX2(98SE) もっとも稼働率が高い。CD-RW,230M-MO,CARD reader,scanner,printer,WAcom-tabletと接続機器も多数。NEC mateMA56H (98SE) 1基 これは音声処理用(アプリケーションは入っていない)。 以下ノート型 compaq contura410cx(linux) 1基loginIDを忘れてしまい、実用不能。しかし、小画面ながらX windowがはじめて動いた機械だけに、捨てるにはしのびない。Mebius SX1-H1 (XP HE) 1基 移動用はすべてこれ。最近、負荷が増えたせいか、不安定。NEC versapro VA26H (98SE) 2基 うち1基は、バッテリー回路が故障しており、電池駆動はできない。ACアダプターもアキバで調達したgatewayのもの。PC勉強会用。最後は、PDA。座右の友というより最良の秘書である、HP200LXが、老境にはいったかこのところ、安定感に欠ける。そこでというわけではないが、昨日仲間入りしたのが、 Palm Vx (palmOS3.5) これもすでに製造中止機種ではあるが、HP200と人気を二分しただけのことはある。食わずぎらいだった、手書き入力(graffiti)は、ストレスを感じさせない逸物。
すでに手元から離れたPC。(人の手に渡ったもの○。壊れて廃棄処理したもの▲。壊れたまま手元にあるもの▽) ○PC-8001,○CompaqDeskPRO590,○NEC Handy98,▲NEC 5200-05 5"FDD type ,▲NEC 9801Np23? ,▲Compaq armada, ▲Compaq deskpro 5199?,▽HP200LX 2基。

「字が話す 目が聞く」

 2003/10/11(土)
(新樹社刊 上村博一著) 書店に注文したのが、届き、一気に読む。要約筆記講習の講師のかたが、講義用に書き溜めたものをまとめたものだという。話し言葉を、即時的に文字に変え、それを目で読み取ることの難しさ。自分が要約したロールをしばらくたって内容を忘れかけたころ、読みなおして(もちろん、勉強会のものであるが)内容が断片的で、情報保障にまったくなっていない。要約筆記ではなく「省略筆記」だという現実に、苛立ちさえ感じていたが、「字が話すように」という、新しい目標設定(私にとって)は、救いである。目で聞いてくれる人たちのために、楽しく字で話したい、それにより、まずは、その場に参加する喜びを共有したい、「参加の保障」「情報の保障」といった、大それたことは、(いまの私には)できないが、喜びを共有するためのお手伝いだったら、できそうな気がしてきた。

講習会受講者選考試験に不合格

 2003/09/20(土)
9月8日 多摩障がい者スポーツセンター(国立市)で行われた選考試験の不合格通知が、9月12日に届く。正直、通知が来るまで、合格すると思い、スケジュール表を来年3月まで埋めていた。結果を知り、選考の内容を振りかえってみると、不合格になるのは、当然と納得。あらためて、足元を固めねばと思う。

日記スタート

 2003/09/27(土)
本日 第1回のPC勉強会が行われた。参加者5名。すでに、現場経験もある人もいて、頼もしい。
これを機会に、HPに自己の軌跡をのこし、挫折からの脱却を期したい。

日記を振りかえって

 2003年09月07日 20:40:10
メールアドレスをいうのが面倒なので、名刺をつくった。せっかくだからと、HPのアドレスも。ここも、誰かが見ているかも知れない。有言不実行がどのくらいあるかをチェックしてみた。

・団地のためのサイトとする予定:これは、勝手な思い込みだった。face-to-faceの付き合いにHPは不要。飲み会、歩こう会と、イベントが盛り沢山。
・MOUS試験:これは受験料が高いので、止めた。講習会を自分で開いてみて、資格は要らないことを実感。
・PC強化:新品購入はしていないが、Cerelon 633 クラスの中古をDESKTOP1台,NOTE 2台 入手。これで常時完全稼動windowsPCが5台になった。相談会も開ける?。10月のPCリサイクル実施をひかえ、旧型PC3台を処分。
・サークルHP:これは一応完成している。ただ、最近更新頻度が鈍っている。
・富士登山:これは、成功。怪我もなし。

ということで、2勝2敗1引き分け。
これからは、このHPをすこし充実させたいし、テーマ別の個人HPも完成させたい。(すでにURLは確保済)

富士山に登ってきました(報告)

 2003年09月01日 13:10:00
報告が遅くなりましたが、初登頂しました。カメラ、ビデオなど記録機器は、壊すとこわいので、持参せず。ツアーの記念写真のみ。予後の足腰の痛みも、特になく、日ごろの鍛錬?の成果があったか。しかし、高山病は、つらい。頂上では、寒いのと、頭がおもいのとで、早く降りたい一心。あまり、感慨はなかった。 くだりは、5合目まで、一気に休憩なし。2Hで降りてしまった。山中湖の「紅富士の湯」が、気持ちよかったのは、老境にはいったしるし?。 初登頂記念絵手紙

富士登山にチャレンジ(予告)

 2003年07月18日 00:53:00
7月27、28日に、バスツアーで、富士登山にいく。退職時にもらった、JTB旅行券1万円を消化するため。 東京タワーと富士山には、死ぬまでに1度は登っておきたい。退職したら、ぜひと思っていたが、昨年はサークル活動に夢中。気がついたら1年が過ぎていた。ことしも忙しいが、このチャンスを逃したら・・・。とまずは予約してしまった。きょうは、軽登山靴ほか最低限の装備を購入。5万円を超える出費。過去に、スキー、ゴルフと道具を揃えると、その後やれなくなる事情が発生してきた。こんどは、どうかな。無事帰ってこれたら、また報告します。
昨日、事前ウォーミングアップとおもって、トレーニングルームで、60分9kmを走ったら、今日、左ひざが、すこしおかしい。用心、用心。

愛する200LXの災難

 2003年06月15日 15:47:00
すでに生産中止から1年、わが愛するHP200LXは、依然健在。これなしで、諸活動はまったく機能停止になってしまう。スケジュール、メモ帳、家計簿、データベース。5年以上前の記録が、即座にみれる。どこにいても、記録、検索自由自在。そんなLXにとんだ災難が・・・。
先日、デイバッグのふたを閉めずに、バス停に走っていったら、うしろでコトリと音がする。振りかえると、200LXが、コンクリの道にころがって、メモリーカードが抜けだしている。そういえば、その前は、ひざの上から落とし、電池カバーのストッパーが折れてしまったばかり。電池カバーは、ガムテープでとめるようにしたので、今回は、無事。
乱暴な主人に使われるこのPDAも大変だなあ。メモリーカードをもとにもどし、祈るような気持ちで、電源をいれると、普段とかわらない、メニュー画面があらわれた。すごい!!。すごすぎる!!!。走りながらカバンからコンクリートの道路にほうりだされて、どこも壊れず正常にはたらくパソコンが、これまであっただろうか。NECがかつて発売したHANDY98以外には知らない。
これからも、座右の友として、おっちょこちょいの主人につきあってほしい。

明日は、ノートテイク 初出動

 2003/06/15(日)
緊張しています。あいかわらず、文字は汚く、読みづらい。
自分流の崩し字を多用する。 学生時代、職場時代のメモ書きから、脱皮できていない。 でも、利用者には申し訳ないが、なにより経験が大事、と考える。

旧職場のOB会

 2003年04月28日 14:47:22
退職後1年がすぎ、直接的には昔の仕事とはまったく無縁の生活をおくっている。
OB会の案内がきたので出席してみる。各位、おいてますます盛んなり。
写真スナップはここ

なんとか形ができてきた

 2003年02月23日 00:50:23
サークル関連のHPは、一応、形を整えることができた。昨年の活動を、年賀状にまとめたとき、感じたが生活パターンも形ができてきたよう。体調は、ほぼ順調。
トレーニングルームで、10KMを70分かけて走ってみた。 事後のストレッチのとき、足指がつりそうになった。もうすこし、じっくり走り込まないと、3月の市主催のロードレース出場はむり?
HP200LXは、PDAとして軽快に働いてくれている。ただ、キートップが相当折れ初めている。老眼が進んで文字が読めなくなるまでは、付き合ってもらおう。
画像処理や、音声処理もいろいろやりたくなった。今のマシンでは、ちょっと力不足。でも先立つものがない。我慢、我慢。

いろいろやりたいことがあって・・・

 2003/02/23(日)
要約筆記への配分は、4分の1ときめているのだが、少し比重が増えている。それだけ、難しいということか。サークルでの活動は、いわば学校の授業のようなもの。集中的に学習するには、塾が必要? ホームページや、資料・教材が、私にとって、塾のような存在。

日記スタート

 2002/10/03(木)
tripodサイトを「要約筆記」関連の情報を載せたHPとする。
HP作成工数短縮のため、出来合いメニューを最大限に活用。
気分マークは、トピックに似合わないので、内容分類別に定義を変更する。

ピンク:サークル
緑:PC要約筆記・三田フレンズ
黄色:HomePage
青:
赤:
白:
ねずみ:その他

納期がせまってきた

 2002年09月01日 18:46:23
上期中につくると約束したHPはまだ完成していない。
所属サークルは、4つだけなのだが、いろいろ忙しくなった。
ある意味では現役時代より責任重大。組織の場合は、かならず代替手段が用意されており、団体責任が問われるだけだが、いまは、完全に個人の問題。

ひさしぶり

 2002年06月24日 23:39:17
freeになって、はや6ヶ月。求職活動は続けているが、サークルのほうも、たのしくなってきた。
これまで知らなかった世界が、いろいろ。
参加したサークルのHP作りを手がけるが、オリジナルで、完成したものは、まだ一つもない。

ようやく定年退職

 2001年12月31日 20:22:08
12月30日づけて、37年間の会社生活に別れをつげる。まだ、実感はない。これからのことを考えねばならないが、まずこのページを復活させなければ・・・。
一念発起して、MOUS試験を受けることにした。PC関係で、なにかするにはやはり資格が必要のよう。MOUSについて調べたが、まさにAPの使い方を頭にたたきこまないといけないよう。本当は、そんなマニュアルをみればわかることを細かく覚えるよりマニュアルの見方さえわかればよいというのが、持論だが、ここは我慢して、60の手習いにチャレンジ。急に目が遠くなったのが気になる。

引っ越しました

 2001年03月26日 23:18:30
団地の理事になりました(当番制ですが)。120世帯の小さい団地ですが、15年以上も住んでいると、それなりに離れがたいものになってきます。今年定年を迎えるわけで、いまさら引っ越すわけにも行かない。というわけで、団地内のコミュニケーションの場として、ホームページをつかえないかな、とおもいたちました。となると、サンノゼ通りでは、場違い、
ハートランドに引っ越してきました。
アプリコットという木は、どんなものか知りませんが、4488 は、「じじばば」と読めるので、高齢化が進んでいる当団地にぴったりです。

こんどは、帯状疱疹。

 2001年03月10日 15:33:09
前回の書き込みが、2年前。 やはり、病気で、自宅軟禁。つれづれなるままに、ホームページでも、という心境。

99年8月28日

 1999年08月28日 17:20:59
HPをあわてて開設してから、はや1ヶ月。 その間、体調に大きな変化が・・・。 深夜2時までおきていても、なんともなかったのが、突然の頭痛。 1時間の会議が、絶えられない。 PCの画面にむかうと、ぐいぐいといった感じで 頭がしめつけられる。 病院で、精密検査を、おこなってもらったが、 外科的な異常は、みあたらない。とのこと。 結局、心理的なものだといわれ、鎮痛剤を処方してもらう。 ボケーっとしていると、確かに楽。 難しいことをかんがえると、とたんにぐいぐい。 30年以上続けてきた、生活パターンにいよいよ別れの時がきたのか。