佐竹南家入湯400周年(02.10.14) 


 今年は佐竹氏が常陸国から秋田に国替えとなって400年にあたる。我が佐竹南家もその時、湯沢に配置されてから400年である。その辺りの歴史については写真の後に載せておく。ちなみに、表題にもある入湯とは湯沢に入るということである。

 佐竹南家第三代の義種が城代として湯沢に移ってきたのが慶長七年(1602)で、今年は400年目にあたるということで、記念の祝賀会が行われた。

 その祝賀会に私の父と私が招待された。約270名の出席者を集めての盛大な祝賀会では、南家佐竹太鼓の勇壮な演奏で始まった。

 会場は、湯沢グランドホテルで、会場の両脇には絵どうろうがかざられていた。

 また、鎧と兜もかざられていた。

 祝賀会の実行委員会の伊藤雄太郎会長、鈴木湯沢市長のご挨拶があり、

 その後、父が記念品をいただき、そのお礼の挨拶をした。

 途中からは、父も私も各テーブルを回って、出席していただいた方々といろいろとお話をした。

 何ヶ所かでの記念撮影のうちのひとコマ。

 祝賀会の最後には有志で記念撮影。今回の祝賀会では、皆様に本当にお世話になりました。

 翌日は、急遽、ゴルフコンペに飛び入り参加することになり、初めて湯沢でゴルフをしました。

 佐竹南家入湯の頃の歴史

 佐竹氏が最も活躍した時代は、二十代義重(よししげ)とその子義宣(よしのぶ)のときであります。義重は「鬼義重」と称された戦国武将で、多賀谷、岩代、芦名、宇都宮氏などの周辺の大名を帰属させ、常陸、陸奥、下野にわたる一大領国を形成し、戦国大名佐竹氏を確立させました。その義重も天正十四年(1586)、まだ十七歳の義宣に家督を譲って隠居します。

 二十一代義宣は、父の代から親交のあった石田三成や上杉景勝との関係をさらに強め、豊臣秀吉にも近づけるようになりました。天正十八年(1590)には江戸氏の水戸城を攻め落とし、翌年本拠を太田城から水戸城へ移しました。そして文禄四年(1595)には全国第八位にあたる五十四万石の朱印状が下付され、豊臣政権下における近世大名としての地位を確保しました。

 ところが慶長三年(1598)豊臣秀吉が亡くなると、徳川家康と石田三成の対立が表面化し、互いに打倒計画が進められていき、ついに慶長五年(1600)九月十五日、美濃国関ヶ原において徳川、石田両軍の大決戦が行われました。この戦いで勝利した家康は戦後処理として、自分に味方した者への優待、石田方に加わったものに対する処分の大名裁定を行いました。義宣は三成と親交があり、また江戸に近い常陸国の大名として関東に大きな影響力を持っていたことから、秋田への国替えを命ぜられました。この命令が下されたのは、戦いから二年後の慶長七年(1602)でした。

 義宣が入国した経路については諸説があって定かでありませんが、湯沢にはそれにかかわる一つの伝説があります。「義宣公は供を従え秋田へ向かったのですが秋田の地は知るよしもなく不安でなりませんでした。そして山また山の道中にすっかり疲れ果てていました。ところがちょうど関口村の高台にさしかかったとき、北西に広大な土地が開けているのを見て御機嫌を直したといいます。それ以来この坂を『御機嫌坂』と呼ぶようになりました。」

 国替えに伴って多くの家臣達や寺院なども移動してきました。義宣は交通上の重要な所や戦国時代からの城下町などに、一門と呼ばれる藩主直分流の家や重臣を城代として配置し、家臣団を指揮させて政事と軍事の両面を担当させました。湯沢には佐竹氏一門の南家三代義種(よしたね)が城代として入りました。南家とは宗家十七代義舜(よしきよ)の三男義里を祖とし、佐竹氏が常陸太田に本拠を構えていたとき、その城の南に住していたことから南家と称されるようになりました。

 義種が湯沢に入ることになった理由として、佐竹南家系図には次のように書かれています。「義宣遷封の時、義種は部下を率いてさきがけて秋田に下って国事を監督した。その迅速な態度に義宣は大いに喜んで、義種の居城については希望に任せるとの仰せであった。そこで義種は、湯沢は最上氏や伊達氏に近く領内南部の要所であり、上方で兵乱がある時はいち早く駆けつけられる所として湯沢城を望んだところ、許されて居城することになった。」

 義種が湯沢城代であったといっても、山上の城に居住していたわけではなく、当初から麓に役所と住居を兼ねた館を構えていました。ちなみに、この城は義種が亡くなった翌年の元和六年(1620)、幕府の一国一城令によって取り壊されてしまいました。そして、この御屋敷を中心に町割がなされました。武士の居住区は内町と称され、市街地の東側一帯に定められました。湯沢の家臣団は侍、歩行、足軽を合わせて約三百人で構成されていました。町人の居住区は羽州街道沿いの定められ外町と呼ばれました。

(佐竹南家と御日記 湯沢市教育委員会発行より引用)


 


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