絵どうろう 


 祖父の一周忌で湯沢を訪れた際に、湯沢市の市民プラザに飾ってある絵どうろうを見に行った。通常は、旧暦の七夕の頃(8月5日〜7日)のお祭りのときに、街に飾るものである。お祭りでは、夜になると絵どうろうがひときわ夜空に映えて、とても風雅な光景になる。

祭りの由来  七夕絵どうろうまつり  (市民プラザのパンフレットより)

 昔、むかし、徳川様は元禄の頃と申しますから、今では三百年くらい昔のことでございます。

 京の街でも左大臣家として、とりわけ由緒を誇っておられました鷹司家から、このみちのくは湯沢、佐竹南家五代目の御当主・義安様の御もとに、それはそれは美しい姫君がお輿入れになられました。

 御年、十四歳。幼い姫君を遠いみちのくにお嫁入りさせるとあっては、京の都での心配もいかばかりでございましたことか。心やさしく匂うばかりのお姫様には、ともかくもふたりのお腰元をつけてのお輿入れであったと申し伝えられております。

 あくる年、十五歳。いつの間にか「京都奥様」と呼ばれ、この土地の人々からもこのうえなく慕われるようになられた姫君さまではございましたが、さすがに住みなれた都に寄せる思いのたけは尽きることがなかったようでございます。

 その年の陰暦は七月七日、七夕の夜。満天の星を眺めやりながらの都をおしのびになる姫君の淋しそうなお姿には、おそば近くの誰もが皆こころを痛めたということでございます。都からおともなされたふたりのお腰元は、せめてもの心づくしにと、絵灯ろうをお屋敷の軒端にかかでげ、ひと夜しみじみと都の風雅をしのびながらお姫様をお慰め申し上げたとのことでございます。

 こんなことがありましてからは、「京都奥様」のお幸福を願うこの町の人々は、誰からともなく七夕の夜がめぐり来るごとに、家々の軒端に、あるいは青竹にとこの絵灯ろうを飾りつけるのが習わしになっていったということでございます。

 このようにして「京都奥様」と呼ばれ、この町の人々からこのうえなく親しまれました姫君は、やがて、「保寿院」と称され、このみちのくで五十七歳のご生涯を全うされたのでございました。

 全国は、津々浦々で、毎年華やかにくりひろげられる「星祭り」のなかでも、とりわけ、みやびでしみじみとした情趣をたたえていると言われる、このみちのくは湯沢の「絵どうろうまつり」には、このような美しい物語と、それを二百数十年にわたって受け継いできた私たち祖先の心やさしい歴史が秘められているのでございます。


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