最終更新日:98年8月23日

 私の祖父は、明治35年(1902年)、秋田県湯沢市に生まれて、今年で96歳になる。私とちょうど60歳違いであり、干支が五黄の寅で同じである。

 佐竹南家の歴史の中でも少し振れたが、祖父は次男であったため、生まれてすぐに早川家の養子となった。また、最初の名前は義宏(私の名前と同じ)であったが、祖父が17歳の時に、兄が死去したため、佐竹南家の家督を相続し、名前を佐竹義輔に改名した。

 祖父は、植物分類学の大家であり、昭和51年には、昭和天皇に「ホシクサ科植物について」という題目で御進講をするという栄誉を賜っている。

 右の写真は、祖父が執筆した「花のある風景」という自伝である。(昭和59年出版)

 これによると、祖父が植物学を志したきっかけは、旧制高校のときに物理の試験に失敗して留年したことらしい。その後、東京大学理学部植物学科に進み、理学博士の学位を得ている。また、戦時中の昭和15年に中国(満州)へ、昭和18年にニューギニアへ植物調査に訪れたことも書かれている。

 65歳で国立科学博物館を定年退官した後は、山梨県の八ヶ岳の麓の原野に山荘を建てて、夏は山荘、冬は実家という生活を送る。さすがに、今では夏に1回2〜3日訪れる程度となっている。私も子供の頃、よくその山荘に連れていってもらった。

 祖父は湯沢の殿様である。祖父が生まれた佐竹南家のお屋敷があったところは、現在は市役所と小学校になってしまっている。また、祖父は我が家にあった佐竹家関係のものを湯沢市に寄贈している。(例えば佐竹南家御日記)そのためもあって、左の写真の様に、湯沢市の名誉市民の称号を送られている。

 湯沢といってもスキーで有名な新潟県の越後湯沢ではなく、秋田県の南部の山形県との県境に近い湯沢であり、お祭り(湯沢三大祭り:大名行列・七夕絵どうろう祭り・犬っこ祭り)とお酒(爛漫・両関)が名物のほのぼのとしたまちである。

 祖父は、昼間は自分で豆を挽いてコーヒーを入れて飲み、夜は梅酒と焼酎と水のスペシャルブレンドを適量たしなんでいる。どうもこれが長寿の秘訣らしい。

 また、祖父は、50歳を過ぎてから車の免許をとって、山梨県の山荘まで往復したり、70歳を過ぎてからワープロにトライしてみたりと、チャレンジ精神旺盛である。(車は最近まで乗っていたが、さすがに今はやめている。)

 さらに、お金や名誉に欲がないようである。叙勲の話があったときも、「勲一等でなければいらない」と断ってしまったとのことである。


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