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JSC Home Page 少し過激な左派的感想

2006年
ぎっちょ/がっちょ

 左利きを表す「差別語」に「(左)ぎっちょ」があります。これがなぜ差別語かというと,「右ぎっちょ」と「左ぎっちょ」で対語になっているように見えて実は「右」には使用しないからです。女と男,子供と大人などは対語が利用されていますから,「女」,「子供」は差別語にはならない訳です。

 では「ぎっちょ」と言われっぱなしの左利き者は,どうしたら反撃できるでしょうか?「目あき目くら」という言葉があります。目が見えるにもかかわらず,物事が見えていない人を指すときに使用します。ならばいっそ「利き差別者」への皮肉を込めた呼称を作ってしまおうという方が顕われました。

 左利き者を「ぎっちょ」と呼ぶ人には「がっちょ」と呼び返そうというのです。小生は早速これに賛同し,「がっちょ普及委員会」なるものを立ち上げて頂きました。「がっちょ」が「ぎっちょ」の対語になれば,「ぎっちょ」は差別語では無くなりますが,「がっちょ」と「差別語」で呼ばれる右利き者は,きっとよい感じをもたないことでしょう。

 人は己自身が嫌な思いを体験しなければ,相手に嫌な思いをし続けるものです。己を一時,弱者に置いた時,世の中の差別が見えてくるのではないでしょうか。。。さあ,「ぎっちょ」と呼びつけ,右使いを強要する理不尽な右利き者に遭遇したなら,「あなたは,立派で正統な’がっちょ’ですね」と褒め殺してやりませう。

2006.02.16
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2005年
差別と区別,あるいは平等について

 平等というものを漫然と語るのはどうかなと思います。機会の平等と結果の平等は違いますよね。左右や男女で機会の不平等があるのなら是正していかなければならないですが,結果の平等を保障しろというのは乱暴な意見だと愚考いたします。

 我慢すれば済む事というのは,我慢する側に不平等を押し付けているのです。押し付けた側は「そのくらい何でもないだろ」と思うものです。歌舞伎役者は男だけですが宝塚歌劇団に男性は入団できません。相撲協会のやっている相撲は男の舞台なんでしょうね。そして手刀をうるさく言うなら,それは右利き男の舞台だということでしょうか。であるならば力士の採用基準に右利き男である事と一札いれておけば済みますね。

 左利き相撲協会があってもいいし,女性相撲協会があってもいいし,男宝塚があってもいいのですよ。そういうものを認めないとするなら,それは機会の平等が保障されない社会だと言えるでしょう。女便所に男性を入れないのは差別だと言われない為に男性便所がある。。。と思っています。

2005.03.31
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区別と差別

 なんでもかんでも抵抗するというのは,いかがなものかという意見があります。社会の決まりごとには従うべきという意見です。

 確かに何かに仕えて生活の糧を得ているなら,その仕え先に従うのは当然と考えます。それが契約というものでしょう。社会はどうでしょうか? 社会とも契約しているとの思想もありますが,人権という普遍的なものがあるという思想もありますね。利きはどちらでしょうか? 社会との契約違反か,それとも天然の人権か。

 左右の違いとして生まれてくるのだから,それは本人に責任はありません。本人が社会を選んで生まれてきた訳じゃないからです。であるならなるべく多くの人々の権利を保障する社会が暮らしやすいと考えます。ですが社会的決まりは無視できません。大多数の幸福追求ですかね。左手で名刺を出す事から横綱の手刀まで千差万別,色々ですね。

 考えてみて,右を強要する正当な意義がないものは変えていってもいいのかなと思うのですが,如何でしょう? 区別と差別は違いますよね。

2005.01.31
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2003年
「両利き」という幻想

 私は両利きとおっしゃる人がいます。何を持ってそうおっしゃるのかは人それぞれあるようです。ある人は,左右を使い分けているからと,またある人は,ほとんどの所作を左右両方で出来るからだと。。。

 前者は,単に左右の仕事分担をしているだけで,右だけ使用しても左だけ使用してもできる所作を,どういうわけか左右に固定してしまっているわけです。箸は右手だが,投げるのは左手などという人は,たいていは幼い頃,右使いに強制変更(=これを右利き者は矯正と呼んでいます)された結果だと思っています。この場合ですと,生活にさして混乱は起きないでしょう。左右が自由に使用できうる体をもっているなら,それは便利だからです。

 ですが,もともと右利きであったなら,わざわざ左を使わなくてもよかったし,左使用を強要されることもなかったでしょうから,「左右の使い分け」をしている右利きは存在しないと思われるのです。ですから,この場合は左利き者の一部右使いということになると思います。つまり両利きではないのです。

 後者はどうでしょうか。左右が使えるといっても,無意識に左右を適当に交代させながら使っているのでしょうか。ある瞬間,鉛筆を右手にもっていたかと思えば,次の瞬間には左手にもっているなどということはまずありえません。そんなことをしたら能率が悪いだけです。だとしましたら,いったいどういう状況で左右を使い分けているのでしょう?

 右利き者も左利き者も訓練すれば利きとは反対を使用することは可能です。そのような訓練によって取得された能力とは,天然に備わっている「利き」とはまったく別のものですから,この場合は,「両使い」というべきでしょう。ですから「両利き」などというのは幻想だとおもっています。

 結論として,『両使いしている人はほとんどが左利きだ』と憶測するのです。

2003 07/29
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自然の摂理
 利きが存在するのは天然ですが、人類は天然のままでは生きられないように変化してきましたから、その結果である小生も、天然のままで存在はでき得ていないと思っています。もちろん自然の摂理を無視することなど、自然界に存在しているものであれば、どんなものでも不可能ですから、心配無用だと思います。

 問題はどこまで天然を生かし残し、そして文明を享受発展させるかということじゃないかなあと思っています。利きにまつわるもろもろのことはまったく天然と文明との境界線で発生している些細な摩擦だと思うのですが、これが左利きには厳しい摩擦だったりしますね。右利きにはきっと些末的出来事であって、単なる生活の派生にすぎない事象なんだと思います。だから安易に「矯正」しようとする。まるで己が真の文明人だといわんばかりに。

 信教の自由を認める文明国家を標榜している日本であれば、利きの自由も当然認められてしかるべきで、親が子供の使いを強制変更するなどという行為は許されざるべき人権侵害だと思うのです。彼等こそ野蛮人ではないかとも思っています。
2003 02/11
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2002年
無邪気、善意、無意識からの差別  子供が無邪気に悪さをした場合、大人は叱らないといけません。でないと、子供はそれが正しい行い(=善悪ではなく社会的正義)と勘違いして覚えてしまうからです。

 善意でしたことが、時には他人を傷つける場合があります。己には善意であっても、それはあくまで己の狭い智識(=知識とは違います)による独善だと、人はなかなか気が付かないものです。

 無意識に性善説に立って、物事を処理していると思う人がいますが、本人に悪意がなかろうと、その心の深い場所に刷り込まれてしまった要因による悪行には、気が付かないものです。

 これらから発生する差別は、それが本人の悪意に基づかない点で、悪意をもった差別よりやっかいだと思っています。差別している本人に差別の意識がないからです。

「悪人成仏」という思想は、けだし妙意を得ていると感じる今日このごろです。己は無意識に悪行をしていないのかと、自戒の毎日でもあります。
2002 10/07
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不作法/無作法...箸使いを考える  作法:特定集団での行動を摩擦なくするための知恵。決まり事。

1.不作法:特定集団での決まり事にさからう行為。

2.無作法:決まり事がない。決まり事を知らない、守らない。

1.と2.ではまったく違う意志なんですね。不法と無法の違いやら、滅茶と苦茶の違いなどと同じですかね。

 人類全般の作法で「右箸使い」は成立しません。韓国では器を持って食べるのは不作法だと、日本人の茶わんを持って食べる作法を非難します。日本人から言わせると茶わんをおいたまま食べるのは「犬食い」といって叱られます。まさに「作法」なんてものは、特定集団のひとりよがりなところがあるものです。

 自由に物事を処していくなら、どういう所作がその場に最適なのかと知恵をしぼるのが、他者への思いやりだと思います。多勢に追随するもよし、多勢を変革へ導くも良し。すべては貴下一人一人の自由意志なんですね。

 ただし、熟慮もせず、場所柄もわきまえず、脳天気に「不作法/無作法」と他人を罵倒するのは無知だと笑われるから、気を付けたいですね。
2002 06/07
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「使い」の成立  左右の利きが均等に発生していると仮定した場合、どうして世の中には右使いが多いのだろうか? こんな仮説を考えてみました。

 100人の赤ん坊が生まれた。半分は右利きで半分は左利き。彼等の周りには文明が存在している。衣食住という人工物がある。道具というものもある。そのほとんどが右使いに便利にできている。なぜ右使いに便利になっていったかは後でのべますが。。。

 右利きの50人は素直にそのまま右使いになっていった。残りの左利きの赤ん坊達は学習の過程で己の利きや躾する親たちと格闘したことでしょう。その結果は右使いから左使いまで正規分布したと仮定するのです。おおざっぱに約せば25人は両使いになり12、3人は右使いと左使いになるのです。なお、両使いは右便利道具を利用するときは右使いになるのはゆうまでもありませんね。

 つまり、100人の文明人がいればそのうち12、3人は左使いという結果になると思っています。

 さて、文明の初期段階では衣食住や道具は少なかったことでしょうし、左右の格差もなかったと思われます。そして戦争を『発明』した人類が武器を持ったとき、左使いは圧倒的に不利だったと思います。武器を差し出したほうにほとんどの人は心臓があったからです。右に武器を持ったほうが生き残れた場合、その集団の子供達は当然右使い武器を使う教育をされると思います。こうしてあちらでもこちらでも右使い部族が優位になっていったと思うのです。武器が右使いになれば、おのずと生活用品も右使い用が増えていくと考えるのが素直だと思います。

 結果、文明が発達した社会ではどこでも右便利道具が一般的になっていった。そのような環境で育った赤ん坊達は、最初の仮説になると思うのです。
2002 04/29
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「利き」と「効き」  左右とも効きは同じような状態で、なおかつどちらかというと本能的に使ってしまう、、、それが「利き」だと思うのです。左右で能力差があるのではなく、どちらも能力に差異はないが、「利き」があったほうが生き残れると思うのです。

 たとえば目のまえ左右均等位置に敵があらわれた。左右どちらに避ける空間もありどちらにもさらなる敵がいない。そんな状況を考えてみます。利きがなければ左右どちらに避けてもよいわけで、一瞬の選択する間ができてしまう。その一瞬が命取りになるかもしれません。ですが「利き」が働けば、とっさに左右のどちらかに避けることができますね。

 本来は左右均等に発生しているであろう利きがなぜ人間には右にかたよったのか。。。これは生物学というより社会学の分野のような気がしています。ですから右利きと思っているひとたちの多くが実は後天的に「右使い」しているだけだという可能性もあると考えています。彼等は非常に危険な生活をしているかもしれないのです。左使いしている「左利き」と確信している小生などはむしろ幸せなのかもしれませんね。
2002 04/29
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字は本来右で書くようにできているし、右で書く方が書き易い 『日本語文を書くときには』と「注釈」つきで同意します。ただし、「本来」字は右で書くものかどうかには賛意できかねます。それは利きが先に成立したあとに文字が発明されたと思うからです。圧倒的多数である右利きにとって書きやすい文字。。。それは左利きにとっては書きにくい文字でもあります。

 小生が、過激派と宣言しておりますのも、そういう発想の転換を目指したものからきているのです。右利きから左利きが右使いできるのが「便利」と見られているが、逆に右利きが左使いしなければいけない状況がほとんどないという現実も無視できないのです。

 意識させられるという状況。右利きには必要ないとおもわれる感情。そういうものを励起させられる環境。それを差別と考えています。

 小生の利用する駅では現在車いす利用者用の昇降機設置工事をしております。ですが、左利き用の自動改札機の設置予定はないそうです。いったい、車いす利用者のほうが左利きより多いのでしょうか? それとも左利きは改札ぐらい右手を使えとおっしゃるのかな。(右手の不自由な方も含めてです。ちなみに小生は右手先の感覚がほとんどなくものをつかんだりするのは不自由なんです)
2002 03/03
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左利きはライフスタイルではない  フレッシュアイよりディレクトリ(リンク集)掲載メールがきました。

■掲載カテゴリ
ライフとカルチャー/ライフスタイル/左きき
http://www.fresheye.com/directory/life/lifestyle/left.html
サービス反映日: 3 月 6 日(水)

 だそうです。「きき」は生活様式信条なんかじゃないんだけどな〜。 「ライフとカルチャー/ライフスタイル/右きき」が成立しないなら「左利き」だって当たり前のことで成立しないと思うのです。趣向や信条で「左利き」をやっているわけじゃなく、自然(じねん)の理(ことわり)として生きているだけ。それだけのことが「ライフスタイル」になるんですかね。まったく差別です!

 こういうディレクトリーサービスで抜け落ちているカテゴリーに「社会/弱者」や「社会/差別」があります。こういう問題はデリケートなものだから、商業サイトでは忌避してますね。『楽しいことばかり』のインターネットだけでは、社会の改善発展などないと思いますが、「福祉」といえば「ボランテア」が対で、これも福祉の裏にある弱者救済や弱者発生の原因除去といった問題提起はさけているのです。
2002 02/26
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ぎっちょう「ぎっちょう」の絵「ぎっちょ」の語源には色々あります。小生がこれかなと思う説は、平安時代の宮廷遊戯「毬杖(ぎっちょう)」(=杖で球を打つホッケーのようなものといわれています。)に由来するというものです。

 遊戯中、左打ちをすると、相手は打ち返すのが中々困難でした。ゆえに左打ちする人を特別に「左ぎっちょう」と言うようになり、やがていつの間にか「ぎっちょう」だけになり、さらに縮めて「ぎっちょ」になったと言う説です。

 写真は京都の旅館「元奈古」の玄関にありました板絵です。絵では『まっとうな?』右打ちを描いています。裏側にも描かれていると旅館ご主人は申しておりましたが、残念ながら、左打ちが描かれているのか確認できませんでした。次回はぜひ確認したいと思っています。
(2002年4月に確認してきました。残念ながら裏は楽器の絵でした。)

2002 01/22
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まうす
もてマウス  写真は愛用の「もてマウス」という2ボタンマウスです。これはボタンの位置が左右ではなく上下にあります。

 上のボタンが「左ボタン」、下の黒い小さなボタンが「右ボタン」にあたります。

 ボタンを左右ではなく上下に配置するという発想がすばらしいと思いました。これですと、左右どちらにおいてもボタン設定を変更せずに左右で共用できるわけです。

 左が上という配置が特に良いですね。(^^)

2002 01/22
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2001年
器用(=奇様?) 「器用」と言われる時、「奇様(きよう=奇怪な様)」と見られてる場合があります。人は、見なれない者を見ると、本能的に、自己防衛するようです。

 ニューヨークの惨事後、テロ犯人がムスリムというだけで、すべてのムスリムが極悪非道の獣とうつった挙げ句に、テロ首謀者(=ターバンを巻いた写真が露出していますが)と間違えて、シーク教徒(=彼等は宗旨によって、ターバンを巻いている)を殺害してしまった合衆国人がいました。ムスリムへの恐怖から十字軍という極悪非道に走り、果ては植民地支配までしてしまった、キリスト教ヨーロッパ人達。偏見と差別は、今でも続いています。

 けさ、世界同時中継で、先のテロ事件の追悼チャリティーコンサートを見ていましたが、最後のほうで、「ごっとぶれーすあめりか」を合唱していました。バックにはローマ法王の祈り。。。ううん、テロの犠牲者すべてが、そして、アメリカ合衆国人すべてが、クリスチャンだといわんばり。

 少数者への迫害とは、こういう善意からうまれる場合がしばしばあるから、恐ろしいです。右への改造も、きっと、親族の善意からきているのでしょうから、哀しいですわ。
2001 09/22
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左利きに優しくないMacOSX MacOSは、マウスボタンが一つで使いやすかった。オプションで2ボタンマウスを使っているが、マウス付属のドライバーで左右ボタンを入れ替えられたし、フリーソフトで左カーソルも使えた。が、MacOSXには、対応製品がない、しかも2ボタンマウスをつなげると、右使用に固定されてしまい、左右の入れ替えオプションさえない。「退化の戒心」でもしたかな? これじゃあ、Windows以下だよ。
2001 09/01
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記憶『矯正』された記憶がないという言う人がいます。だからトラウマになっていないと。。。ですが、物心がつく前に「改造」されていたら、記憶にはなくても、心の深い闇の部分にマグマとなってしこりは残っている可能性は否定できないでしょう。

 お気楽には生きているのでしょうが、ふと見る「左利き」になにがしかの共振をしていまうのは、きっと深い世界からの疼きかもしれません。右利きの方が「右利き」を見ても、そのような共振はしないでしょうね。「利き」が同じというだけで団体を作ってしまう左利き者とは、そういう生き物かもしれません。健気に生きています。
2001 07/15
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グリップ テレビジョン宣伝、女性が握るもの全てに右手のグリップが刻まれていく。。。そう、お酒の宣伝。  勝手にどうぞ! 小生は、選択しないだけの問題ですわ。。。でもね、これが他の製品に広まるのは困る。メーカーさん、左利きを見捨ててもいいのかな、、、いいんだろうね、きっと。

 茶道(=さどう)といいながら、左道(=さどう)じゃない。これも、左利きのお手前は、『左勝手』というそうな。 そちらこそ、『右勝手』じゃないですか。ふん。
2001 05/16
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器用ね「左手で字を書けるなんて、器用ですね」と、右利きの多くから、まだまだ言われる。
「あなたこそ、右手で書けるなんて、器用じゃないですか」と言ってやりたい。
2001 05/12
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クリックアイコン 何気なく、ウエッブページ上のリンクにマウスを持っていくと、そこには、決まって右手が出てきます。ブラウザで、このリンクアイコンを左手にカスタマイズできるものを、小生は知らない。。。あるのか?
2001 05/11
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デファクトスタンダード 最近、電算機の話をする時、たいていの場合、それはWindowsPCの事だという前提があるようです。Macのことなんか脳裏に浮かばないのでしょうね。
 先日も、とあるウエッブサイトでのコメントにいらつきました。「ブラウザがどううたら、こうたら。。。」とあるのですが、前提はWindowsPCらしい。ブラウザの配慮をする前に閲覧に使用している機械の配慮をしなさい、と思いました。

 うんちくを語るサイトにも、「何故、こうなっているかというと、不便だからです。。。」 ふ〜ん。何故かなと思ったら、利き手である右手で使いにくいから、こうやって配慮されている、という説明がありました。
 これを書いた人は、傲慢でなんと愚かなんだろうと思いました。常識って、傲慢なんですね。
2001 03/17
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よくあることだけど
『あるある大事典』。。。見ないで正解だったようです。『所さんの。。。』より酷かったという評判もありました。ま、よく”あるある”左利きへの偏見でしょうね。いまさらです。もう腹も立ちません。すっかり、ゴルフ場の総理なんでしょうね。「あ、それ、娯楽でしょう。ちゃんと、対処してますよ、実験もアンケートもとったし、なにが問題なんでしょか?」
2001 02/14
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2000年
20世紀がもたらした差別 20世紀は、大衆消費社会の光芒だったように思う。それまでは、あつらえ文化であって、一部特権階級しか消費を享受できなかった。それが、科学文明と資本主義の発展で、大衆が消費できる大量生産を生み出し、いわゆる定番やら、既製品を生み出した。そういう社会では、効率と利潤が原動力になっているので、少数者への配慮などなされない。結果、定番や既製品、規格品といったものは、多数に迎合しはするが、規格外や個性といったものが無視されてしまう。社会も国家も規格化されていき、それは、おのずと右利き(=左脳優先=数理、合理、言語分野優先)社会となっていった。
 社会主義の基本にある弱者救済という考えさえ、国家レベルでは無視されていき、とうとう国家社会主義国家は殆ど消滅してしまった。さらなる資本主義の暴走があるなら、21世紀は、もっと酷い差別社会になるだろうね。「消費」はけっして幸福のすべてではないし、むしろ消費は有害かもしれない。消費能力で、人間の価値を計る社会から脱皮しないと、持たざるものへの差別は消えないだろうね。
2000 12/25
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不器用 右利き道具を使っていたから、不器用に見えたというが、そういう人は、元来不器用じゃないの? ってな意見があった。そうかもしれないね。それは右利きが、左利き道具を使ってみても、同じだろうな。ならさ、駅の自動改札なんてものも、別段、左右どちらに設置しようが設置者の勝手で、もしも、左に設置されていて、大勢の右利き利用者から不便だと抗議されたとしたら、この意見の持ち主は、こういうのだろか? 『あなたたちは、不器用なだけです。左手で処理できるように訓練しなさい。』 大変立派な意見だと思うし、一見正論に見えます。でも、よく考えてみてください。器用な人達ばかりだったら、器用な人は存在しないという理屈を。不器用な大多数がいての、器用者なんじゃないでしょうか。そうだからこそ、利用者の大多数であろう、不器用で、右利きのお客様の利便を計って、右側設置にしている駅が多いのじゃ無いですか?
 こういう論理の摺り替えには気を付けたいです。
 車椅子の方々が公共設備で不便されているのは、彼等が『不器用』だからじゃないと思いますよ。「俺様に出来ているんだから、出来ないやつは、不器用なんだ。だから、社会の不具合に不満など言わずに、それに適合するように努力せんかい。怠けもの!」と聞こえてしまうのは、小生の根性が弱いからなんでしょうか? こういう強者の論理というものは、自分は人生を厳しく生きていけるんだから、君たちも努力して当然なんだよと、個人のレベルに問題を摺り替えてしまう恐さを持っています。個人のレベルで解決されないから、差別撤廃を叫んでいるのです。  強者であればこそ、弱者をいたわる社会になっていないと、結局、貴方自身も、さらなる強者によって陵辱されることでしょう。その時は、「俺は不器用だったんだ」と諦めるしかないのです。
2000 12/17
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テレビジョン番組
 以前、「所さんの目がテン」という番組で、左利きが取り上げられました。最後に所ジョージ氏の発言があり、それは、右利き優先社会を肯定した酷い言葉でした。それもあり、このての番組=左利き特集=なるものをあつかう制作者側に「左利き」への偏見が根強いものだと感じました。かりにも放送という公共物をつかっての発言なのですから、録画番組でもあり、当然、しかるべきチェックがあるものと、期待していた小生が甘かったと、がく然としたおもいがあります。  今回は、「あるある大辞典」なる番組が「左利き」を企画されているとの事。さてはて、どうなることやら。
2000 12/16

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*許可なくこのページの文書及び画像音声の転載使用を禁じます。(2000.12.26~) kame's Home Page
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