なぜアメリカは憎まれるのか? われわれは誰のために泣いているのか?

 

涙はとまるのか?

   ジョン・ゲラッシ 2001年9月21

 

私は泣かずにはいられない。世界貿易センターの災厄で愛する人が見舞われた悲劇的な運命についての胸を引き裂くような話をある人がテレビで語っているのを見た私は、涙をおさえることができなかった。しかしそのとき私はいぶかしく思った。ノリエガ将軍を探し出すという口実でわが米軍がパナマのエル・チョリージョ界隈で約5000人の貧しい人々を殺したとき、私はなぜ泣かなかったのであろうかと(訳注1)。わが米国の指導者たちは、将軍がどこか別のところに潜んでいることを承知していたにもかかわらず、エル・チョリージョの住民が米国のパナマからの完全撤退を望むナショナリストであるがゆえに、彼らを殺したのである。

 

 さらにひどいことに、わが米軍が200万人のベトナム人−そのほとんどは罪なき農民である−を、その指揮者であるロバート・マクナマラ国防長官自身が勝てないであろうことを知っていた戦争で殺したとき、私はなぜ泣かなかったのであろうか? ある日私が献血にいくと、列の私より3人前でひとりのカンボジア人がやはり献血の順番を待っているのに気づいた。それで私は思いだした。わが米国が、ポル・ポトが「われわれの敵」(結局その人々が「キリング・フィールド」を止めたのであるが)に敵対しているがゆえに、武器と資金を渡すことにより彼の100万人虐殺を支援したとき、私はなぜ泣かなかったのであろうか?

 

 その晩泣き出すのを何とかこらえようとして、私は映画を見に行くことにした。私はフィルム・フォーラムで「ルムンバ」を選んだ(訳注2)。そしてやはり私は気づいたのだ。わが米国政府が当時のコンゴで唯一の高潔な指導者の殺害をお膳立てすることによって、のちに貪欲で悪辣で残忍な独裁者となったモブツ将軍が地位を引き継ぐのを助けたとき、私は泣かなかったということに。さらに私は、CIAが、第二次大戦で日本の侵略と戦い、自由な独立国をうちたてたインドネシアのスカルノ大統領の失脚をお膳立てし、スハルト将軍が彼に取って代わるのを助けたときも、泣かなかったのはなぜだろうか? スハルトは日本の軍政の協力者であったし、政権獲得の際には少なくとも50万人の「マルクス主義者」(人々がせいぜい喜劇役者グルーチョ・マルクスしか知らない国において)を殺戮したのである。

 

 昨晩も私はテレビを見ていて、被害者の遺族が今は亡き夫が生後2カ月の息子と遊んでいる写真を見せているのを見てまた泣いてしまった。しかしそのとき私は数千人のエルサルバドル人の虐殺がライ・ボナー記者によって『タイムズ』紙に写真入りで描かれていたのを思い出した。さらにそこでのアメリカ人の尼僧や修道女のレイプや殺害を思い出した。そうした凶行はすべて、CIAによって訓練され、資金援助を受けたエージェントによって行われたのである。しかしそのニュースを聞いた当時、私は泣かなかった(訳注3)。そのうえ私は、その政治的見解を私が嫌っている法務次官の妻であるバーバラ・オルソンがいかに勇敢であるかを聞いたときにさえ泣いたのである(訳注4)。しかし私は米軍がカリブ海の小さな楽園グレナダに侵攻して、罪なき市民たちを殺害したときにも泣かなかった。グレナダの市民たちは観光客用の飛行場を建設することによって生活を向上させようと望んでいた。その飛行場を米国政府は彼らがロシアに基地を提供しようとしている証拠とみなしたのであるが、それは米国が島を制圧したときに完成した(訳注5)。

 

 なぜ私は現在のイスラエル首相であるアリエル・シャロンが、サブラとシャティラの難民キャンプにいる2000人の貧しいパレスチナ人の虐殺を計画し、命令したとき、またその同じシャロンがイルグンやステルンのギャング・テロリストとともに、ベギンやシャミルと同様に首相となり、宿泊していたダビデ王ホテルを爆破することによって英国士官の妻子を殺害したときに、泣かなかったのであろうか?

 

 人は自分のためにのみ泣くのだと私は思う。しかしそれはわれわれに同意しない誰かへの復讐を求める理由となるだろうか? それがアメリカ人の望んでいることである。確かにわが国の政府はそうするし、メディアの大半もそうである。われわれはほんとうに、われわれが自由であり彼らが自由でないと主張するがゆえに、われわれの利益のために世界の貧しい民衆を搾取する権利があると信じているのだろうか? それでいまやわれわれは戦争に向かおうとしている。われわれは確かにわれわれのあれほど多くの罪なき兄弟姉妹を殺害した連中を追いつめる資格があるという。そしてもちろんわれわれは勝つだろう。ビン・ラーディンに対して。タリバーンに対して。イラクに対して。あるいは他の誰に対しても。その過程でわれわれはまたもや罪なき若干の子どもたちを殺すだろう。冬に備える服を持っていない子どもたちを。満足な住居を持っていない子どもたちを。なぜ自分たちが有罪なのかを学ぶ学校に行っていない2歳や4歳や6歳の子どもたちを。たぶん福音伝道者のフォールウェルやロバートソンは、彼らがクリスチャンでないがゆえに彼らの死は良きことであると主張するであろうし、おそらく国務省のスポークスパースンらは世界に向かって彼らはあれほど貧しかったからいまや(死によって)苦しみから解放されたのだと言うであろう。

 

 だからどうしたというのか? われわれはいまでも望むがままのやり方で世界を支配できるのではないのか? あなたや私を大規模に監視することを可能にする新しい法令をつくって、わが最高経営責任者(CEO)たちは、グローバリゼーションに刃向かう民衆は永久に服従させられるとほくそ笑むであろう。もはやシアトルやケベックやジェノヴァのような暴動は起こらない。ついに平和がきた。

 

 次のときまで。次回は誰がやられるのか? エル・チョリージョで罪なき両親を殺害されたあとも生き延びて成長した子どもたちか? 医師である父母をわれわれが「民主的なコントラ」と呼ぶ一群のギャングたち−CIAのハンドブックでその国の貧しい人々により良き生活を与えようとした唯一の政府を破壊する最良の方法は教師、保健医療従事者、政府の農園の労働者を殺すことであると学んだ連中−によって殺されたニカラグアの少女か?(訳注6) あるいは共産主義者と民主的社会主義者とナショナリストの区別さえわからないニクソン政権の国務長官ヘンリー・キッシンジャーの命令で家族全員を殺されたと確信している、怒りがおさまらぬチリ人か?

 

 われわれが収益を維持するために世界を支配しようとし続ける限りはいずれ誰かの復讐をこうむるかもしれないということを、われわれアメリカ人はいつになったら学ぶのだろうか? われわれが現状維持のために恐怖を用いている限りは、いかなる戦争によってもテロリズムを根絶することはできないであろう。

 

 私はテレビを見るのをやめたので、泣くのをやめた。私は散歩に出た。私の家からほんの4軒先であった。そこの消防署の前で群集が花束をおき、蝋燭に火を灯していた。消防署は閉鎖されていた。いつもにこやかに近所の人たちに挨拶していたあのすばらしい消防士たちが、あの火曜日に第一タワーの犠牲者を助けに駆けつけたときタワーが倒壊して下敷きになって以来、閉鎖されていたのである。私は再び泣いた。

 

 私はこの文章を書いたとき、それを送るまいと自分に言い聞かせた。おまえの学生、同僚、隣人たちがおまえを憎み、あるいは傷つけるかもしれないと。しかしそのとき私は再びテレビをつけた。パウウェル国務長官が語っていた。あれらの子どもたち、貧しい人々、米国を憎む連中に対して戦争を仕掛けてもいいのだと。なぜならわれわれは文明人であり、やつらはそうでないのだからと。それで私はあえてこの文章を公表することにした。たぶんこれを読んで誰かが私に尋ねるだろう。なぜ世界でこうも多くの人々が、米国によって味あわされたことを米国人に味あわせるために、いともたやすく死ぬ覚悟ができているのであろうか、と。

  

ジョン・ゲラッシ

政治学教授

ニューヨーク市立大学クイーンズカレッジ・大学院

 

訳注1:1989年の米軍パナマ侵攻については、ノーム・チョムスキー『アメリカが本当に望んでいること』益岡賢訳、現代企画室1994年、77頁などを参照。なお、米国の保守派知識人も「アメリカ帝国主義」を批判していることについては、チャルマーズ・ジョンソン『アメリカ帝国への報復』鈴木主税訳、草思社2000年、を参照。

訳注2:映画「ルムンバ」(邦題は「ルムンバの叫び」)は2000年フランス・ベルギー・ドイツ・ハイチ合作。監督はハイチのラウル・ペック。暗殺されたコンゴ初代首相パトリス・ルムンバ(19251961)の悲劇を描いた名作。ケネディ政権がモブツ陸軍参謀長(後の大統領)を介して暗殺に関与したと示唆している。2001年9月現在、東京のBOX東中野で上映中。

訳注3:エルサルバドルについてはチョムスキー前掲書51頁以下を参照。

訳注4:バーバラ・オルソンは共和党寄りのコラムニストで法務次官の妻。運悪くハイジャック機に乗り合わせた。ツインタワーにぶつかる直前まで夫と携帯電話で連絡をとり続け、機内の客がテロリストに立ち向かう様子を伝えた(萩谷良氏のご教示)。

訳注5:1983年の米軍のグレナダ侵攻については、チョムスキー前掲書33頁参照。

訳注6:ニカラグアについては、チョムスキー前掲書60頁以下を参照。

     (戸田清訳)2001年9月30