クイック・リアクション  チョムスキー 2001年9月12

 

CounterPunch のサイトより許可を得て掲載)

 http://www.counterpunch.org/chomskybomb.html

 

9月11日の攻撃は大きな凶行であった。被害者の数でいえば、ほかの多くの凶行ほどではない。たとえば、クリントンはスーダンを信憑性のある口実もなく爆撃し、同国の医薬品の半分を墓石、おそらく何万人ものスーダン人を殺した(その数字はだれも知らない。というのは、アメリカは国連での聴取を阻み、だれもそれを追及することなど気にかけていないからだ)。ほかにもすぐに思い浮かぶもっと悪い事例があることはいうまでもない。しかし、これが身の毛のよだつような犯罪であることは疑いようがない。

 

例によって、犠牲になったのは主に労働者であった。ビルの管理人や掃除夫、秘書、消防士たちだ。これはおそらく、パレスチナ人やその他の貧しく抑圧された人々にとって、壊滅的な一撃となることだろう。また、セキュリティの厳しい統制につながり、市民的自由や国内の自由を損なうという影響があちこちに出てくるものと思われる。

 

この出来事は、「ミサイル防衛」という考え方の愚を劇的に暴露するものである。はじめからずっと明白であり、戦略アナリストが繰り返し指摘してきたように、もしだれかがアメリカに、大量破壊兵器も含めて、甚大な損害を与えたいと思えば、ミサイル攻撃を仕掛けるということはほぼありえないだろう。そんなことをすると、自らもすぐに破壊されてしまうからだ。もっと簡単で、基本的に阻止しようのない方法が無数にある。しかし、それでもなお、このような出来事は、そのようなシステムを開発し、配備せよ、という圧力をいっそう強めるために使われることになるだろう。「防衛」というのは、宇宙の軍事化計画を被う、うまいPR付きの薄っぺらい包み紙である。どんなに見え透いた論議であっても、恐怖におびえる国民の間ではある重みを持つからだ

 

簡単にいえば、この犯罪は、強硬な主戦論者にとっての贈り物である。彼らは、武力を使って自分たちの勢力範囲を統制したがっている。おそらくアメリカが取るであろう行動を別にしても、である。そして、そのような動きが何を引き起こすことになるのか・・・おそらく、今回のような攻撃が何度も行われ、より酷い攻撃すらありうるだろう。今後の見通しは、9月11日の凶行以前に思われていた以上に、不吉ですらある。

 

どのように反応するかについては、私たちは選ぶことができる。正当なる恐怖を表明することもできる。何がこの犯罪をもたらしたのかを理解しようと務めることもできる。これはつまり、犯人であろう人々の心情に入りこむ努力をするということだ。後者の道を選ぶのだとしたら、ロバート・フィスクの言葉に耳を傾けるのがいちばんよいと思う。長年に渡る卓越した記者生活から得た、彼のこの地の物事に対する直接的な知識と洞察は、他の追随を許さない。「押し潰され、屈辱を受けた人々の邪悪と恐ろしいまでの残酷さ」を、彼はこのように書いている。「これは、今後数日のうちに、世界が信じるよう求められるであろう、“民主主義 対 恐怖”の戦いではない。これは、パレスチナ人の家々を粉々にするアメリカのミサイルのことでもあり、1996年にレバノンの救急車にミサイルを打ち込んだアメリカのヘリコプターのことであり、クアアという村に打ち込まれたアメリカの砲弾のことであり、難民キャンプの中をめった切りにし、レイプし、殺害していったアメリカのイスラエル人の同志に雇われ、軍服を着せられたレバノン人民兵のことである」。そして、これだけにとどまるものではない。

 

繰り返しになるが、私たちは選ぶことができる。理解しようとするか、そうすることを拒み、さらにゆゆしき展開をもたらす確率を引き上げるか、である。

(翻訳:枝廣淳子)