ゲルニカを忘れないで (加藤尚武)

 テロリズム攻撃のもっとも憎むべき点は、それが無差別殺人であるということである。そのビルで働く市民、その飛行機に乗り合わせた市民がすべて無差別に殺害されたということである。
 テロリストが拷問をしたときテロリストに拷問をする、テロリストが生物兵器を用いたときテロリストに生物兵器を用いることは、加害者に被害者と同じ苦しみを与えるのであるから、これは報復である。報復であるが正義ではない。「拷問は不正である」、「生物兵器の使用は不正である」という加害者と被害者に共通して適用される原則が守られていないからである。
 テロリストが無差別殺人をしたとき、空爆によって、テロリストを客人として扱うタリバンの支配下にあるアフガニスタン国民を無差別殺人に処することは、報復でもないし正義でもない。「報復」でないのは、アフガニスタン国民は加害者ではないからである。「正義」でないのは、「無差別殺人は不正である」という共通の原則が守られていないからである。

1、スペインの町ゲルニカGuernicaにフランコ将軍の側にたったドイツ飛行機 による無差別爆撃が行われたとき(1937)、世界中が憤激し、ピカソは大作ゲルニカを発表した。アメリカ大統領フーバーは「非戦闘員の殺傷が不正であること」を再確認する書簡を発表した。

2、しかし、アメリカが第二次世界大戦に参戦(1941)し、日本対する空爆
が有効な手段と見なされる段階になると「非戦闘員の殺傷が不正であること」という原則は事実上無視された。しかし「現存する戦闘行為を停止させる不可欠の手段」として正当化された。原爆の投下、ベトナムでの空爆、湾岸戦争での空爆、 ユースラビヤ内戦での空爆は、いずれも「現存する戦闘行為を停止させる不可欠の手段」として正当化された。

3、もしもテロリスト攻撃への報復という理由でアフガニスタンで空爆がなされるとしたら、もはや「現存する戦闘行為を停止させる不可欠の手段」という意味を持つことはない。「テロリストの次の攻撃に先手をうつ先制攻撃」として空爆が行われることになる。湾岸戦争での空爆、ユースラビヤ内戦での空爆が、たとえ正当化されたとしても、同じ理由で正当化することのできない、空爆の新しい適用事例となる。
 

テロリズムの無差別殺人を憎むものが、空爆という先制攻撃をアフガニスタ
ン国民に行うならば、無差別殺人という同じ罪を犯すことになる。世界はゲルニカの時代に逆流するのだろうか。ピカソの作品が訴えていたものが「非戦闘員の殺傷が不正であること」であったことを世界中が忘れようとしている。