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パワー・オブ・ワン (ひとりの力)
次なる産業革命への7つの挑戦

レイ・アンダーソン著

枝廣淳子/河田裕子共訳

 海象社 

紹介

パワー・オブ・ワン

本書は、アメリカの世界最大の商用カーペット会社インターフェイス社のレイ・アンダーソン会長が書いた本です。

会社を興し、たまたま仕方なく読んだ本から環境に目覚め、インターフェイスを「環境に取り組む世界のモデル企業」に作りあげ、成功を収めたものの、株価の急落から苦境に突き落とされ、業績の低迷からふたたび立ち上がり、まえよりも確かな成長を刻み始めた現在まで――波瀾万丈の胸打つ物語です。

会社で具体的に何に取り組んだのか、その結果はどうだったのか、そこから何を考え、どう展開してきたのか――レイ・アンダーソン氏はまったく自分や会社を取り繕うことをせずに、うまくいったことは喜び、うまくいっていないことは対策を考える、その過程を赤裸々に見せてくれます。

拾い読み(67ページ〜より)

私たちの一生はあまりに短いため、長く続いてきて、まだまだ続いていく映画のわずか二〜三コマに過ぎない。私たちが地球上に存在している時間があまりに短いので、この映画を十分に見ることはできない。次の場面さえ見られないし、ましてどんな結末に向かっているのかなど、わからない。しかし、私たちが登場しているほんの何コマかが、映画の結末に計り知れない影響を与える可能性がある。

NASAのある科学者が、初めて人間が月に降り立ったアポロ11号の話をしていたとき、「アポロ11号は、九〇%の時間は、軌道から外れていたんだよ」といっていたのを思い出す。生死を左右するほど重要な、途中での軌道修正があったからこそ、月に到達できたのだ。途中で軌道を修正したことが、その結果を決めたのである。私は、地球が、いや人類が、軌道から外れており、途中での軌道修正を絶望的に必要としている、と堅く信じている。

読者の皆さん、大胆にもいわせていただけば、略奪者仲間の皆さん。私たちは、最初の産業革命が始まって以来、自分たちの技術によって、この四〇分の一秒の間に、多くの害を与えてきた。そして確かに、世界のこちら側、つまり先進工業世界には、莫大な富と繁栄、経済成長をもたらしてきた。しかしそのために、地球にどのようなツケを回しているのだろう?

常識的に考えれば、「今日私たちが技術を使っているやり方」だと、そこから生じる害も経済成長も、無限に続くことはありえないことはわかるだろう。最後の四〇分の一秒のやり方をずっと続けることはできないのだ。最初の産業革命は、持続不可能なものだ。そこから目をそらしつづけてはいけない。私たちの有限の地球が供給できるもの、そして我慢できるものには、限界があるのだ。

大学の経済学入門クラスで教わったように、すべての富は、突き詰めれば、地球に由来するということが真実ならば、限りある地球に対する犠牲を累積しながら富を創り出すことは、持続可能なプロセスではないはずだ。一九五二年ごろに経済学で教わったことは、考え直す必要がある。「世代を超える暴虐」の長い腕を伸ばして、私たちの子孫から盗み取った富は、本当の富と呼べるのだろうか?

もしそれが、地球に備蓄してある資本を食いつぶして作った富だとしたら?長い期間、このようなやり方で、つまり自分の資本を食いつぶしながらビジネスや家計を続けていくことができるのだろうか?この富の概念は、私たちの子供たちに受け継ぐもので、安全なところに保管しておいてほしいと私たちに託されたにもかかわらず、今日の不節制のために浪費されているもの、と表現したほうがより適切だろう。(中略)

では、太陽から派生し、蓄えられた地球の有限の資源から、どれだけの生産を地球がしてくれると期待できるだろうか?限界があるということは自明である。したがって私たちは、資源をもっと効率的に使って富を創造することを学ばなくてはならない。そしてゆくゆくは、太陽から現在入ってくる収入を利用して、富を作り出せるようにならなくてはならない。

そうでないと、いつまでも過去の遺産を食いつぶしながら生活することになり、最後には、貯えが枯渇して、将来の世代に何も残らなくなってしまうだろう。そうしなければ、私たち、つまり私たちの子孫は、間違いなく、救貧院送りとなる。これも、生態系の崩壊である。人間の知性によって、私たちはずいぶん遠くまで進むことができるが、結局のところ、いくら知性があったとしても、無から何かを作り出すことはできないのである。

減少しつつある資源は、長い時間軸で考えれば、ずっと減っていって、最後にはゼロになるだろう。地球にはまだまだ、おそらく五〇億年以上の時間が残されているだろうが、私たちの種にはもっとずっと少ない時間しかないことは確かだ。

この問題全体を悪化させることも、経済学入門クラスで学んだことだ。経済学入門では、「基本的な経済問題」は、私たちそれぞれの持っているものと欲しいものの差であるとし、この差はなくなることがありえないので、すべての経済的「進歩」を推し進める、と定義している。つまり、私たちは何を持っていようと、さらに欲しくなるということだ。これが人間の本質なのだ。このように、一人一人がより多くを欲し、より多くを手に入れるために努力することに加えて、人口は増加し続けている。

そして、地球の限られた収容力から、すなわち蓄えられた自然資本から、取って取って取りつづけるのではなく、また、地球の有限の吸収源に私たちの毒を捨てるのではなく、必要性や欲求を満たすための新しい、持続可能な方法を見つけなければならないことが明らかになる。地質年代の視点から見たときに、これ以上明らかなことがあるだろうか?

私たちは、自分がいたいと望む場所からではなく、自分が現在いる場所から、サステナビリティに向かう長い旅の第一歩を踏み出さなくてはならない。しかも、科学者によると、「そのうち」ではなく、「すぐに」歩き始めなければならない。そして、最初の産業革命の破壊的で貪欲な、消費しつくすような技術を解体しなければならない。このような技術に換えて、次なる産業革命のもっと温和でやさしい技術を導入し、技術を解決策の一部にしなければならない。ビジネスや商業、そしておそらくこの文明もすべて作り直し、富を創造し(おそらく富を定義し直し)、地球に隠れているものから取り出したりせずに、必要を満たし、欲求を満足させ、皆の生活水準を上げる道を探さなければならない。

「訳者あとがき」より

私が最初にレイ・アンダーソン氏にお目にかかったのは、2000年5月に東京国際フォーラムで開催された「日米欧環境派経済人・知識人会議」の席上、会議のチーフ同時通訳者としてであった。

その前から、ワールドウォッチ研究所のレスター・ブラウン理事長の口から、たびたびアンダーソン氏の名前や取り組みはうかがって近しく感じていたので、思わず「お久しぶりです!」と挨拶しそうになってしまった。

チーフ通訳者としてスピーカーとの打ち合わせを何度かさせていただいたが、アンダーソン氏の頑固なまでに毅然としながら人懐っこい温かさでまわりの人を和ませてくれる雰囲気が素敵だった。私が心中に描いている「本当に偉い人の3つの条件」にぴったり合う方だ!とうれしくなった。

この会議でアンダーソン氏は、「環境に優しいことは、ビジネスにもよい結果に跳ね返ってくるという実感」の根拠――たとえば、1999年の一年間で廃棄物を半減し、1億2400万ドルを節約したとか、2000年の節約分は1億3300万ドルまで増えているとか、このような取り組みのおかげでこの5年間に営業利益が27%増加しているとか――を具体的に話してくれた。それとともに、どのような取り組みを行っているのか、「サステナビリティ」というエベレストよりも高い山を7つの面から登っている、その7つの面とはどういうものかを惜しみなく教えてくれた。

アンダーソン氏のこのような取り組みやその背景が『Mid-Course Correction』という本にまとめられていることは、早くから知っていた。環境の分野で、まだ日本に紹介されていない「必読書」が何冊もあるが、この本もその一冊であった。

企業トップが「自分は何を考え、どう進んできたのか、その結果はどうか」を率直に綴った本書は、企業での取り組みが大きなうねりとなりつつある日本に、大切な羅針盤(コンパス)と希望を与えてくれるに違いない。まず紹介したい本だ、と強く思っていた。(中略)

素敵なアンダーソン氏の素敵な著書を日本に紹介する一助となれたことを本当にうれしく思う。

そして、米国でこの本の原書『Mid-Course Correction』を出したあとのインターフェイスの苦境とその原因、どん底から這い上がさらなる上昇へ向かいつつある足取りについても、ぜひありのままを知ってほしい、と日本語版刊行のために最終章を書き加えてくださったアンダーソン氏に心からの感謝と敬意を込めて。

2001年11月

枝廣淳子   


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