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ガンジー 奉仕するリーダー

ケシャヴァン・ナイアー著   たちばな出版 

序文

ガンジー 奉仕するリーダー

同じ世代のインド人がほとんどそうであるように、私自身もガンジーが暗殺さ れた1948年1月30日に夕方、自分がどこで何をしていたかをまざまざと覚えてい る。

私は、パンジャブ州パティアラ市にある自宅から歩いて10分ほどの公園でスケー トをしていた。日が暮れたので家へ帰ろうと歩いていると、二人連れが自転車で 通り過ぎながら、「あの老人が亡くなった」と言っているのが聞こえた。

「だれが死んだのだろう?」

五分後に家に着くと、ラジオがついており、家族は皆泣いていた。戸口にいる 私にだれかが、「ガンジーが殺された」と言った。

ガンジーが暗殺されたとき、私は15歳だった。わが家ではガンジーは崇拝され ていたが、私自身は特に何の魅力も感じてはいなかった。

ガンジーの重視する欲望の自制や、人々がほめそやす彼の高徳さなどは、英国 式のパブリックスクールに送られ、頭の中はクリケットと映画と学校の課題しか ないような少年の視座には入っていなかったのである。

インドの指導者の中では、のちにインドの初代首相になったネルー――ハロー とケンブリッジで教育を受けた都会的で洗練された人物――が、自分にいちばん 近い気がしていた。

しばらくそんな感じだった。ところが19歳で私は病気になり、2年間を病床で 過ごす羽目になった。読書の時間には事欠かない生活だった。

ネルーの自叙伝を読んだとき、ネルーが自らの理想に打ちこむガンジーにどれ ほど感嘆していたか、ガンジーがどれほど強靭で勇敢だったかを知った。ネルー はこう書いている。

「裸の体に腰巻きだけというあまり印象的ではないいでたちにも関わらず、ま わりの者が喜んでついていきたいと思うほどの王の尊厳と威厳がガンジーにはあっ た」

そのころまでの私は、ガンジーに関して、控え目にいっても上っ面しか知らな かった。しかし、本を読み始め、学び始めた私は、ガンジーは聖人ではなかった ことを知った。

「ガンジーは聖者である」と持ち上げるのは、ガンジーにとって迷惑な話であ る。「だからガンジーの生き方や考え方は実際的でない」となってしまう。そし て私自身もそれまではそう思っていた。

私はガンジーが自ら進んで根元的な問題に立ち向かおうとし、自らが見出した 答えを全身全霊で生きようとする姿こそが、彼の英雄的本質なのだと理解し始め た。ガンジー個人の勇気や人間の本質に対する信頼、奉仕の精神が少しずつわかっ てきた。

ガンジーには内面の強さからくる威厳があることを知った。そして、ある規模 の社会的活動や政治活動に取り組んできた指導者の中で、ガンジー以上に人間の 精神に宿る最高のものを表明している者はいないと、確信するようになった。

ガンジーは、政治や社会改革に役立つことに生涯を捧げ、いつも自分の理想で ある真実と非暴力にしたがって行動しようと努力した(いつもうまくいったわけ ではないが)行動の人なのだ。

私はまるで改宗者のような情熱を持って、ガンジーの教えの象徴的な点を自分 の人生に持ち込もう、自分にできることをやってみようと決心した。

糸紡ぎを始め、ちょっと不便になるのを我慢して絹やギャバジンの衣服をやめ て、手紡ぎ手織りの服を着るようにした。1959年にアメリカに渡るまで、私はこ のような実践を続けた。

この35年間、私は上級の学位を取ったり、仕事を進めたり、人生を快適に楽し くしてくれる物質的なものを手に入れたりして、忙しく過ごしてきた。

私はベンチャー企業や中小企業、フォーチュン100に含まれる優良大企業に対 し、マネジメント及びコンサルティング活動を行っているが、これまで大規模な 学際的チームの主席調査員及びプロジェクトマネージャーを務めたり、大手の専 門サービス会社の上級経営担当役員及び取締役として仕事をしてきた。

リーダーシップの戦略や実行に関する問題について、企業の幹部に助言したり、 様々な状況でリーダーが直面する難問や活動を経験し、また観察してきた。

私がこのように専門家として活動する中で、常にその基盤にあったのがガンジー の示したリーダーシップである。

1999年は、ガンジーの生誕130年にあたる。今日のリーダーシップの概念や課 題を、ガンジーが示したリーダーシップのいくつかの側面から考えてみるのも、 時宜を得ているのではないだろうか。

特に今日、企業リーダーも政治的指導者も、理想主義と道徳的な目的意識を失っ てしまっている、という見方が広く行き渡っているようだから。

本書はガンジーについての書ではない。

私は、リーダーシップの基本的な考え方を構築し、その中でガンジーの生き方 から学べることを用いて、リーダーシップに道徳的・精神的次元を取り入れ、よ り高い基準に自分たちを導いていこうとしたのである。

リーダーシップの概念を例証するために、ガンジーの人生から具体例を選択す るのは難しい作業だった。紹介したいいい例がたくさんあるからである。私は今 日の読者にわかりやすい例を選ぶことにした。

本書に盛り込んだ以外にも、これこそ、という例はたくさんあるのだが、イン ドの状況やインド人の生活を長々と説明しないと伝えたいメッセージがわかって もらえないことがあり、それでは本書が読みにくくなってしまうからである。

ガンジーが身をもって示した資質、たとえば個人の責任や真実、愛、人を敬う 気持ちや勇気などは、私たちの仕事や社会生活のどこにでも用いることができる。

本書では、英雄的リーダーシップとは、権力を手に入れ破壊的な力を支配する ことで突き進んでいくものではなく、道義や奉仕に心底打ち込む中に存在すると 考える。

このような英雄的リーダーシップこそ、国中の若者に示さなくてはならないも のである。あらゆる人が抱いている理想を活かし、私たちの中にある最善のもの に訴えて、私たちをより質の高い生活へと進めていけるリーダーシップである。

私たちはだれもがリーダーの役割を担っている。社長でも親でも、年長者でも 教師でも、世界の若者に影響を与える機会と義務を負っている。

権力の座についていない私たちは、自分の基準を高める責任がある。そうすれ ば私たちの指導者も同じことをせざるをえなくなるからだ。

リーダーシップの高みへの道を歩むのは、各人次第であると私は思っている。 したがって、本書では特に個人の責任に重点をおいている。自分自身が個人的に、 理にかなった行動と奉仕に打ち込まなくてはならないのだ。

苦行僧のようなガンジーの生き方をしなくてはと考えたり、それを真似たりし なくても、彼の生き方から得られるものはたくさんあると思う。私は物質的な世 界も大切だと思っている。

しかし、私はガンジーが真に偉大であるのはなぜなのかを、自分なりに理解し ているゆえに、職業人としてまた社会人として生きる中で、より高い行動基準を 設定し、それに向けて努力していると思う。私の他人への接し方に、このことが 反映されていればよいのだが。

おそらく、他の人の生き方に前向きな影響を与えられることこそ、どのような 人であれ――偉人であろうと凡人であろうと――自分のあとに遺していけるもの である。

目 次

日本語版への序文

日本社会のどの分野のリーダーも、この不況から日本を救い出すというチャレ ンジに直面している。私はこの日本語版への序文を書きながら、これまで多くの 難問にうまく対処してきた日本の歴史や文化的伝統を敬意を込めて思い起こして いる。そしてだからこそ、ガンジーの生き様が示すリーダーシップの原則が、今 日の日本のリーダーの役に立つのではないかと思っている。「危機」は「機会」 でもある。日本の指導者は、日本を消費者中心の資本主義に埋没させるのではな く、新しい社会に導く機会を手にしている。単に経済的生活水準を上げるだけで はなく、経済の繁栄に伴って、生活の質を高める社会機構が整い、個人が責任を 負うようになっていく社会である。

難かしい時期にリーダーシップを発揮する際――日本はまさに困難のまっただ 中だが――、まずすべきことは、国が直面している問題の本質を理解し、認める ことである。今日の問題の原因を作り出した者が今でも指導者の座にいる場合も あるため、なかなか簡単にはいかない。だからこそ、ガンジーのリーダーシップ の根本的な原則、つまり真実への取り組みが、実践的な意味でも極めて大切なの である。真実に打ち込むことが原動力となって、日本の指導者が日本の直面して いる難問を見定め、公けに認めることができるようになるかもしれない。将来の ビジョンを築き、そのビジョンに向かって他者を導くには、まずリーダーが現在 位置を理解し、認めなくてはならないのである。どのような回復計画を策定しよ うとも、これが礎でなくてはならない。

ガンジーが行動の拠り所としたのは、分け隔てなく奉仕するという理想だった。 これは社会のすべてのグループに対して奉仕するということだ。これが回復計画 の礎とならねばならない。ガンジーは、社会のあるグループを犠牲にして他のグ ループに奉仕することは、真の奉仕ではないと信じていた。消費者を中心に据え る資本主義では、最も高い金額を払える人のために製品やサービスを作り出すこ とが主眼となる。これは利益最大化には役立つだろうが、それほど恵まれていな い人々が必要なモノやサービスを作り出さない。ガンジーは、社会のあるグルー プがいつまでも「下のクラス」でいるのは仕方がない、とは決して考えなかった。

日本経済の底力を考えれば、日本は新しいモデルを作り出すことができる。経 済の繁栄と精神的価値観が両立し、経済的にも社会的にも調和した社会を作り出 すモデルだ。これはアジアの回復モデルとなりえよう。

ガンジーが体現し、重視していた個人の資質は勇気である。個人が真実に取り 組みつづけ、現状を認識し、不人気かもしれないことを行い、力ある者が不公平 な要求をしてきたときに力の弱い者に奉仕すべく努力する道徳的な勇気とユーモ アのセンスである。日本の指導者にはこのような勇気が必要になろう。また別の 勇気も必要だ。消費者中心の資本主義のみに立脚した外圧に負けてはならない。 自由市場資本主義は、国が経済的に成功するためのモデルとしてはうまくいって いるが、国の偉大さを測る尺度は経済だけではない。社会的な公正さ、平等な機 会、環境保護等、精神的価値観を必要とする政策も加味しなくてはならない。日 本の指導者は、他国からの役に立つ忠告には耳を傾ければよいが、実際の行動は 日本の負っている国際的・地域的義務や日本の価値観・伝統に一貫したものでな くてはならない。

ガンジーは非暴力を信じ、非暴力の原理に基づいて生きた。しかしインドの指 導層は、核兵器開発を進める中で、ガンジーの原理から乖離してしまっている。 インドはパキスタンと共に、中国に並んでアジアの核保有国となった。これら3 か国の指導者は、核兵器を所有することで世界での威信が増すのだと主張してい る。しかし、国の真の偉大さは武器によって測られるものではなく、国民の生活 水準と生活の質によって測られるのである。日本は、核兵器のおそろしさとその 破壊力をじかに体験した唯一の国だ。日本の指導者は、核兵器を開発しないとい う模範を示し、その約束を守らなくてはならない。個人間の争いであれ国家間の 紛争であれ、暴力は永続的な解決をもたらすものではないことを認識する政策を しっかりと守らなくてはならない。そうすることで、日本は他国に影響を与え、 大量殺戮兵器を放棄させることができよう。国の人的・物的資源を、破壊的な武 器の開発につぎ込むのではなく、国民のニーズに奉仕するために用いるのだ、と いう模範を日本は示すことができるのである。

指導者とは政治やビジネス界のリーダーだけではない。政府役人や教師、学者、 評論家など、世論に影響を与えうる人はすべて、リーダーとしての責任を担って いる。日本は常に、国としての意思を持ち、決断をしてきたことはよく知られて いる。公共の善への奉仕とユーモアのセンスを大切にする日本は、これまでも何 度も難問を乗り越えてきた。勇気と真実への取り組み、すべてに対する奉仕とい うガンジーの生涯が示す原則があれば、日本の指導者は、経済繁栄とともに国民 の精神的な幸福をも大切にする回復への道を考えることができる。このような道 は、同様の困難な状況に直面しているアジア諸国、ひいては世界中を励ますこと だろう。日本の現在のリーダーが、日本を偉大な国へと導いていく上で、本書が 何らかのお役に立てば幸いである。

枝廣淳子


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