タンザニア

 アフリカ大陸最高峰

キリマンジャロ
ウフルピーク

 (5895M)
1995.2.22〜3.11東日本燕山岳会 


注意.このページは、アフリカ旅行記の後編です。
前編ケニア山から御覧ください。
又、ロシア遍は、このページの最後に
掲載しております。



ぼくらは、キリマンジャロの雪を期待してタンザニアが雨期に入る3月登山を計画した。


キリマンジャロ ラッツエルコ氷河

主な登場人物

ガイド 
トーマス


サブガイド 
マティ


コック 
マイケル


ポーター 
マグゥ


ポーター 
ゴマ


ポーター 
ジョン


登山家 
セルゲイ



野島 浩一

上田 友哉

福沢 明広

吉田 利一

2月27日

ケニア山登山を終えぼくらは、ナイロビ経由でキリマンジャロのふもと
アンボセリ国立公園へ。


サファリロッジでは、2泊3日
ケニア山登山の疲れをいやす。


サバンナよりキリマンジャロを望む。

3月1日ケニアから陸路にて国境を越えタンザニアへ。
モシ市内のホテルに1泊
2日 登山事務所マラングゲートヘ。
そこで野島君、上田君と合流
ぼくらパーティは、ガイド2名、コック2名、ポーター8名 計16名のお大名行列に。
小雨の中登山開始。



登り始めて1時間激しい雷雨に。
その後天候回復快晴に


ガイドのトーマスと
マンダラハットの前にて。

PM1:00 キリマンジャロ登山1泊目の、宿泊地
マンダラハット(2727M)着く。


3日 早朝今日も小雨の中、ホロンボハットへむけ登山開始。


ガイドのトーマスとマティ。


トーマスと.


ジョンと.

夕食
シーフードスープ、うまかった。
パスタ、とってもうまかった。
肉のやいたの、
何の肉だかわからない。
やさい炒め、うまかった。
ポテト、かたかった。
パン、ばさばさ。
デザートのオレンジ 
パイナップルうまいが
毎日同じなのであきた。
量は多かったが、全部くった。

昼前今日の宿泊地ホロンボハット(3720M)着 ガスのため視界悪し. 雨
同室のポーさんは、中国系アメリカ人 ご職業は、国連のお医者さまとかで、
戦地では、難民や負傷兵などをたすけるエライお人でした。


4日 今日も朝から小雨
AM 8:00 ホロンボハットを出発2時間ほど登ると4600M付近
辺りは、砂漠のような風景がひろがる。


登り始めて4時間、4700M付近雨から雪に
左ぼくで 右上田君

P.M3:00  今日のキッボハット着
夕方からは、激しい雪に。


ガイドのマティとトーマス 
キボハットの前で


左からゴマ、上田君、ジョン、ぼくと福ちゃんキボハットにて。4800M

P.M7:00 軽い頭痛はあるがケニア山ほどひどくはない。
さきほど夕食をとるがあまり食べれず、
上田君は、かなり体調わるそう。
彼はまったく食事をとらなかった。
福ちゃん、野島君はもうすでに横になっている。
明日のアタックのことを考えると早く寝たいが、
ケニア山での高山病の悪夢が頭をよぎり、
どうも眠れそうにない。
7:30 横になるがやはり眠れず 
PM 9:00外にでるとすでに雪はやんで頭上には満天の星空が
   幾つもの流れ星を見た。
                          吉田 旅日記より。

 
3月5日
A.M12:00起床
1時間ほど眠れただろうか、ケニア山での高度純化が
うまくいったのだろうか。体調さほど悪くなし。
福ちゃん野島君は眠れたようで元気そう。
上田君は相変わらずつらそうだ。

AM1:00 満天の星空の下アタック開始


右から福ちゃん.上田君.ぼくに.マティ.野島君.トーマス
キボハット前にて。

 
ポレポレ(ゆっくり ゆっくり)
暗闇の斜面を、みんなではげましあいながら登ってゆく。
2:10上部より幾つかのヘッドライトの光りが近ずいて来る。ガイドと友人に
両脇を抱えられたアメリカ人パーティの1人が、駆け足で下山していった。
それから30分後、左30M先の斜面を又数人、
駆け足で下山していくのを、ぼくらはだまって見送った。
2:50 休憩5000M付近 上田君幾度も嘔吐をくりかえす。
ガイドのトーマスが南十字星を指さした。
かなり遠くだろうか、後ろのマウエンジ峰のはるか先 いなずまも光る。
3:20 上田君との距離が50メートルぐらいはなれる。
3:35 下からサブガイドのマティが何かさけんでいる。
トーマスとの短い会話が終わり、
トーマスがぼくらに上田君断念を説明する。
ぼくらは1人ずつ後方50M、暗闇のなかに光る2つの明かりに向かって
大声で叫んだ。しかし、下からは返事はなく
そのままおりてゆく2つの光り見送った。
上田君 嘔吐と激しいけいれんの高山病のため登頂断念 
最高到達地点5200M.

                          吉田 旅日記より。

5:30 東の空が明るくなってくる。
5500M付近 高山病のため又
かけあしで
下山してくる人たちがいる。
ぼくらより先に出発した
カナダ人パーティ数人
のようだ。


トーマスと福ちゃん 5300M付近にて

6:30 5600M付近 最後尾の福ちゃん隊列を離脱、
そのキョリがどんどんと、離れていく。
まさかと思ったが、後ろを振り返るがついてこない。
大丈夫か? と声をかけると、
そのたびに手を上げてこたえるが声はない。

6:45 ぼくと野島君ギルマンズポイント5682M到達
7:10  トーマスに付き添われ福ちゃんも到達するが
高山病のためこれいじょう動けず待機することに
福沢 明広ウフルピーク登頂断念、
最高到達地点ギルマンズポイント5682M。
7:20 ぼくと野島君トーマスの3人でウフルピークへ向け出発 


 ギルマンズポイントにて左トーマス 
中央ぼくで右、野島君 
  



ギルマンズポイントからは、ゆるやかな稜線を西へゆっくりと登る。
あたりの景色は、ここがアフリカとは思えないほどの銀世界。
美しい氷河が幾段も続く。


8:30 5800M付近 先頭をゆく野島君まったくペース
くずさずその後をトーマスが続く。
ぼくは、ここにきて幾度か吐いてしまった。
あと少し 山頂は見えているのに、酸素がうすい。
もう2人のペースにはついていかれない。


9:10 野島 浩一 トーマス ゴマ
9:23 吉田 利一
アフリカ大陸最高峰 キリマンジャロ山 
ウフルピーク 5895M 
歓喜登頂


山頂にて。左トーマス 右はぼくです。

山頂まであと少し
 20M  10M だんだん近ずくにつれ涙がとまらない。
先に登った野島君も涙をながしてる。
そしてトーマスと3人でだきあってないてしまった。
高山病になやまされ断念していく友を見送り 見送られ
長く苦しい登山であったが
1995年 3月 5日 午前9時 23分
我が人生最高の瞬間であった。
吉田 旅日記より。


山頂にて、野島君


ちなみに山頂の酸素の量は、平地の半分。


ウフルピークにある鉄の箱
中には、ノートとエンピツがあり
登頂者が名前と国籍を
かけるようになっている。


登頂証明書


タンザニアのお国事情により山頂での
国旗はごはっととか
トーマスは他のガイドが
見てなければいい
と言ってくれたが、
あいにくフランス人パーティが
おりまして、で下山途中 
山頂より100M下がったところで
記念撮影

9:45 下山開始 途中ギルマンズポイントにて福ちゃんと合流。
いっきにホロンボハットまで下山4泊目
3月6日 4人無事マラングゲートへ下山する。
当然ホテルへもどってからは、4人でビールで乾杯。


ブルーサファリ社長、カ−ン氏と
ナイロビのホテルにて。


ナイロビ市内にて
福ちゃんギター
生演奏

3月10日
ナイロビ〜モスクワ
登山家セルゲイさんと再開。


ロシア

ぼくらの旅は、
灼熱の大地アフリカから
真冬のモスクワへ。
で、ここでアクシデントありまして
機内あずけにしておいたザックだけ
成田にいっちやった。
だから、着替える服ないわけで、
ちなみにぼくの服装は、
Tシャツに薄い長袖Yシャツその上に
フリースのジャケットだけでして
寒くてたまらん。
でも、おのぼりさんのぼくらは、
市内観光楽しみました。


左セルゲイさん 右は、ぼくです。

市内のレストラン
にて昼食
シャンパン飲んで
酔っぱらう。

セルゲイさんは、
モンブラン、マッキンリー
エリブルースなど世界の山を
登る、プロの登山家です。

3月11日
モスクワを出国、成田へ
今回の旅では、ホント沢山の人達にお世話になり
ありがとう ございました。
  吉田 利一

top