「北国の少女」に会ったらよろしくと

 大阪に住んでいる頃は、冬があまり好きではなかった。寒いと野外での遊びの種類がどうしても制限されるし、雪もなくただ冷たい風が吹くだけの都会の冬はなんだか面白くなかった。でも、北海道に引っ越してきてからは冬の生活も悪くないなと思うようになってきた。

 確かに寒さは厳しいし、不便なことも多いけれど、冬は面白い季節だ。スノーシューやXCスキー、スノーボードなど冬にしかできない遊びがあるし、流氷のオホーツク海は何度見ても美しい。最近はオオワシやゴマフアザラシなど、冬にしか見れない動物に会いに行くのも楽しみにしている。

 人に例えるなら、夏は陽気でつきあいやすい友達だ。でも、少し騒がしいところがあるし、特に北海道の夏は駆け足でやってきて、ある日突然に去って行く。  冬は思慮深くて、物静かで無口な少しつきあいにくい友達かもしれない。でも、長くつきあっているとその良さが分かってくる。無愛想で時には厳しいことも言うけれど、決して悪い奴ではない。実は意外にやさしかったりもする。冬はそんな季節ではないかと思う。

 この冬は久しぶりにボブ・ディランをよく聴いている。こんなに毎日のようにボブ・ディランを聴くのはロックに目覚め、女の子と初めてデートをし、少し生意気で反抗的になった中学3年の時以来だ。 高校受験を控えた1978年2月にボブ・ディランが初来日したのだ。伝説の「フォークの神様」が来日するということでマスコミは大騒ぎになった。僕も大好きなジョン・レノンが多大な影響を受けた人ということで、来日を控えて毎晩のように放送されるFMの特集番組をかじりつくように聴いた。

 「風に吹かれて」「時代は変わる」「激しい雨が降る」といったアコースティックなプロテストソングも良かったが、僕は「ライク・ア・ローリングストーン」がすごい曲だと思った。「これはなんてロックを感じる曲や」と一番好きな曲になり、しばらくの間は毎朝学校に行く前に聴いてから家を出ていた。もちろん、受験に行く朝も聴いた。「どんな気がする、転がる石のような気分は」との問い掛けに、何かすごいパワーを感じていたのだと思う。

 しかし、メロディアスなビートルズには比較的寛容だった父親はボブ・ディランが大嫌いだった。大きな音で聴いていると「なんや、その般若心経のような唄は!もっときれいな唄を聴かんかい」とよく怒鳴られたものだ。今なら般若心経のような唄と言われても「うーん、そういう部分もあるかもな。確かにきれいな唄でもないよな」と素直に思えるが、反抗期の少年だった僕は父親に怒られれば怒られるほどボブ・ディランに傾倒していった。

 残念ながら、初来日のステージには中学生のおこづかいでは、当時としては高価なチケット(確かS席が4500円)が買えずに行けなった。大騒ぎの中、来日したボブ・ディランはあくまでも「フォークの神様」として扱おうする日本のマスコミのインタビューに対して平然と「ショウをやりにきただけさ」と答えた。しかも、ステージには薄化粧をした顔に白いスーツを着て上がり、曲のアレンジをサビを聴かないと何の唄か分からないぐらい変えて演奏してしまった。

 「フォークの神様」のイメージをがらりと変えてしまったステージに「まるでラスベガスのショウ」などと書いた新聞もあり、僕もボブ・ディランの初来日コンサートの様子にショックを受けた。新聞や雑誌を読んで「ディランは変わった」と思い、その後発売された日本でのライブを収録した2枚組のアルバム「武道館」の音を聴いて、更にボブ・ディランが分からなくなった。同時にボブ・ディランに対する熱も急に冷めていった。自分で勝手に作り上げたボブ・ディランのイメージに「裏切られた!」と感じてしまったのだと思う。

 それ以来、僕にとってボブ・ディランは少しつきあいにくいミュージシャンになってしまった。もちろん名曲の数々は知っているし、今でも何曲かはギターで唄えるくらいだけれど、長いあいだ疎遠になっていた。しかし、この冬にある本を読んでから、再びボブ・ディランに目覚めてしまった。何枚か持っていたレコードは実家に置いてきたので、少しずつCDを買い直しながら彼の軌跡を振り返っているが、改めてそのすごさにびっくりしてしまう。

 最近、ボブ・ディランから長い間離れるきっかけになった初来日のコンサートを収録した「武道館」を20年ぶりに聴いてみて、驚いた。大幅にアレンジを変えられ、当時は嫌いだった曲調も聞き直すと、意外にもすんなり心地よく耳に入ってくる。そして、実は一曲、一曲を丁寧に一生懸命唄っていることが、今ならよく聴き取れる。なんだか、20年来のボブ・ディランへの疑問が解けた気がした。

 ボブ・ディランはきっと前進することをやめることが嫌な人なのだろう。作り上げられた自分のイメージをなぞって唄うのは簡単なことだ。人の期待を裏切ってもやりたいことがあるからこそ、あのようなステージにチャレンジしたのだと、今なら素直に感じられる。本当にショウをやりに来たのなら、昔のイメージのままで「風に吹かれて」を適当に唄えばいいのだ。批判にさらされることが分かっていながら、あのようなステージをしたボブ・ディランの勇気とやる気が感じられる歌声が本当はすごくかっこよかったことに、20年たってやっと気がついた。

 ボブ・ディランはひょっとしたら冬のようなミュージシャンからもしれない。突き放すような独特の唄い方で、時には強烈に皮肉の利いたフレーズを連発するし、歌詞の内容も難解で抽象的ものが多い。ステージ上でも無愛想で笑顔をあまり見せないし、インタビューが大嫌いらしい。日本では未だに「フォークの神様」と呼ばれ、孤高の存在のようなムードも漂っている。

 でも、よく聴いていればポジティブな唄がとても多いことに気がつく。とてつもなく、やさしいラブソングも数多くある。聴き込めば聴き込むほどにボブ・ディランという人は奥が深い。


 ボブ・ディランがただの無愛想な人でないことはエリック・クラプトン、ニール・ヤング、ジョージ・ハリソンなど、多くのミュージシャンが彼を敬愛していることからもよく分かる。そんなボブ・ディランを敬愛するミュージシャンが集まり、彼の音楽生活30周年を祝うために開催したコンサートが1992年にあった。この時の模様はCDとビデオになっていて、あたたかいムードの中で行なわれたコンサートの様子がよく伝わってくる。

 多くのミュージシャンがボブ・ディランの曲をカバーしながらコンサートは進んでいく。中でもエリック・クラプトンの「くよくよするなよ」は名演だ。彼のファンならこの一曲でCDを買う価値があると思う。集まった豪華な顔ぶれのミュージシャンのプレイを聴いているだけでも充分に楽しめるが、ボブ・ディランが例のしわがれ声で唄うとよく分からなかったのに、他のミュージシャンが彼の曲をカバーすると、その中に美しいメロディーがたくさん隠されていたことに気がついたりもする。

 このコンサートでもボブ・ディランは最後に無愛想に登場し、少し恥ずかしげに何曲かを唄った。自分の音楽生活30周年を記念した盛大なコンサートのステージから発せられた言葉は「サンキュー・エヴリバディ」の一言だけだが、彼の万感の思いがそこには込められていたように思える。彼はきっとシャイで寡黙な人だけなのだ。

 この日、最後のアンコールにボブ・ディランがたった一人でステージに戻ってきてギター1本で唄った曲は「北国の少女」だった。この曲は「ナッシュビル・スカイライン」というカントリーミュージックに傾倒していた時期に作られたアルバムのオープニングを飾っている。あまり有名な曲ではないけれど、とてもいい曲だ。

 内容は「君がもし北国の祭りに旅にいくなら、そこに住んでいる人によろしくいっておくれ。彼女は僕の本当の恋人だったんだ。夏が終わり、冬がきた時に彼女が暖かなコートを着ているか、吹きすさぶ風に凍えていないか確かめてきてほしい」といったもので、単純に去っていった恋人へのラブソングにもとれるし、北国を何かに象徴させたメッセージソングにも感じられる。曲の解釈が一通りではないのもボブ・ディランの魅力だ。 「北国の少女」のように目立たないけどきれいな曲を記念すべきコンサートの最後に唄うボブ・ディランを、僕は好ましく思う。

 ボブ・ディランの唄と生き方にに延々と流れているメッセージがあるとするなら「やるべきことをやるだけさ。だから、うまくいくんだよ」ということではないだろうか。他人に踊らされることを嫌い、自分のスタイルを真剣に考えたきた彼を見ていると、そう感じてしまう。

 ボブ・ディランは現在も「ネバーエンディング・ツアー」と題された終わりのないコンサートツアーで世界中を回っている。老いてなお前進し、変化していくボブ・ディランに再びステージで会えるのを僕は楽しみにしている。彼との長い旅はまだ終わらない。

( 1999.3.15)


 ボブ・ディランは長いキャリアの中でたくさんのアルバムをリリースしているし、名盤が多いので一枚を選ぶのは難しい。その中からあえて一枚を選ぶとすれば「追憶のハイウェイ61」なるだろうか。このアルバムは一曲目の「ライク・ア・ローリングストーン」からラストまでを一気に聴かせてしまうパワーに満ち溢れた名作だ。こんなアルバムが今はCDで1600円買えるのだから、その点ではいい時代になった思う。

 もし初めてボブ・ディランを聴くなら何枚か出ているベスト盤を買うのもいいだろう。まずは代表曲を知ってから、ディランの深淵に触れていくのが無難かもしれない。



 ボブ・ディランに関して過去の話を交えて、偉そうなことを書いた気がするけれど、正直に告白すると再び彼を聴き始めたきっかけになったのは、みうらじゅん氏の「アイデン&ティティ」という漫画を読んだからだ。

 ボブ・ディランをテーマにした「アイデン&ティティ」とジョン・レノンをテーマにした「マリッジ」の2部構成の作品で、特にロック・スピリットなんて言葉に、未だにこだわっている大人にお勧めしたい一冊だ。

 もうひとつ正直に書くと、僕はこれを読んで感動して涙がこぼれた。ロックという言葉に対する一つの答えがこの本の中にはある気がする。

「アイデン&ティティ」 みうらじゅん著 、角川文庫(740円

ボブ・ディランのWEBサイト

BOB DYLAN COM

 ボブ・ディランのオフィシャルサイト。英語のページだが、膨大な資料とリアルオーディオで聞ける未発表の音源は貴重なものだ。まずはここからディランに関するインターネットの旅を始めるのが一番いいだろう。


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