1980年、再び路上へ

 1980年4月、佐野元春がレコードデビューした。そして、12月にジョン・レノンが凶弾に倒れた。

 この年、ぼくは高校三年生だった。受験勉強などには見向きもせず、一夏をアルバイトに費やして オフロードバイクを買った。手に入れたのは中古車で50ccの小さなエンジンのバイクだったが、自転車より飛躍的に遠くの世界へ行ける足だった。
 中学生の時にビートルズに魅せられて、ロックの世界にのめり込み、高校時代はエレキギターを弾いているか、映画館の暗がりの中で夢を見ていたような気がする。しかし、1台のバイクがこの先の僕の生活を変えることになった。
 「バック・トウ・ザ・ストリート」−佐野元春のデビューアルバムのタイトルどおりに、ぼくはバイクに乗って路上に戻っていったのだ。

 ぼくは幼い頃から放浪癖のある少年だった。「淀川の向こうにウルトラマンの形をした滑り台がある」という噂を信じて、ひとりで淀川を渡り、迷子になって警察に保護されたことがある。初めて自転車を買ってもらった次の日には早朝から道もよく分からないまま大阪城を目指し、また迷子になって警察のお世話になった。

 でも、自転車を初めて買ってもらったことに匹敵する純粋なときめきは、未だにないような気がする。
 興奮して眠れず、朝が来るのが待ち遠しく、早朝の街にひとりでペダルをこぎだす。いつも友達と遊んでいる路地を抜け、通学路を通って小学校の前を過ぎると知らない道が始まる。「あの角を曲がれば、その先には行ったことがない」、不安はあるけれど知らない道や街角の誘惑には勝てずに、ペダルに力を入れる。あの朝がきっとぼくの旅の原点なのだと思う。

 バイクを買った日にもぼくは京都を目指した。衝動的に思ったことなので、地図はなかった。でも、東京まで延びる国道1号線を走っていけば、いずれ京都に辿り着くという確信があった。京都までの初めてのツーリングは自転車を買ってもらった朝と同じような感覚があって刺激的だった。そして、久々に舞い戻ってきた路上には凶暴な車が走り、理不尽な道路法規が支配する高校生にとってはリアルな世界でもあった。

 初めて佐野元春を見たのは、バイクを買うためにアルバイトに明け暮れた夏休みの終わりのことだ。今は絶対に見ることのない 24時間テレビでウッドストックを真似たフリーコンサート(メインのアーチストはジョー・コッカー)が代々木公園で開催された。その模様は生中継でテレビに流され、佐野元春は赤いジャケットを着てデビュー曲「アンジェリーナ」をシャウトしていた。
 ぼくはその頃はアメリカやイギリスの英語のロックしか聴かなかったし、日本語のロックを馬鹿にしていたので、佐野元春のことは大して気にもかけなかった。だから、デビューアルバムの「バック・トウ・ザ・ストリート」と翌年発売された「ハートビート」は後から聴き直したことになる。
 ただ、「アンジェリーナ」を歌う佐野元春の姿が記憶に鮮明に残っているのは、彼がデビュー当時からある種のオーラーを放っていたからだと思う。

 1980年ごろの日本の音楽の状況は、ようやくメジャーシーンにロックと呼べるような音楽が進出してきた頃で、サザンオールスターズ、ツイストあたりがヒット曲を連発していた。
 海外のロックシーンではパンクロックが嵐のように駆け抜けて、すでに力尽きつつあったが、その反動でボズ・スキャッグスに代表されるメロウなロックが流行ったり、パンクの音のエッセンスだけをポップに変えたニューウエーブなんて音楽が主流になりつつあった。
 また、この年はブルース・スプリングスティーンが2枚組の「リバー」を発表し、オールドファッションなロックンロールのサウンドが見直された時期でもあった。ちなみにこの年のレコード大賞は八代亜紀の「雨の慕情」、新人賞は松田聖子の「青い珊瑚礁」である。

 そんな80年代の幕開けに「ダブルファンタジー」を引っさげて颯爽と復活してきたジョン・レノンは、12月に凶弾に倒れてしまった。
 約5年間、ハウスハズバンドして隠匿生活をしていたジョン・レノンがニューアルバムを発表して、日本ツアー(前年ポール・マッカトニーがツアーでやってくるものの成田の税関で大麻所持が発覚し、公演中止なった)の可能性もあると噂されていた矢先の事件だっただけに、ショックは大きかった。

 音楽やその言動でぼくの生き方を大きく変えてしまったジョン・レノンがニューヨークで死んでしまった。なんだかリアリティーがないけれど、とてつもなく悲しい事件だった。テレビやラジオから垂れ流されるジョンの曲は聴く気にもなれず、ただじっと痛みに耐えている間に、ぼくの1980年は終わっていった。


 1980年にリリースされた佐野元春のデビューアルバムは「都会の夜景ってやつが、気絶しながら笑ってら」というフレーズから始まる。今、聴きなおすと声が初々しくて、微笑ましいけれど、その後の佐野元春につながっていく種のようなものが発見できるアルバムだ。

 デビュー曲の「アンジェリーナ」はそれまでの日本のロックや歌謡曲にありがちな「私、あなた、俺、おまえ」の二人称を一切排除した点でも記念碑的な一曲だ。「アンジェリーナ、君はバレリーナ」だけれど、歌詞を読むだけではアンジェリーナが何物なのかは分からないし、特に唄の中にストーリーがあるわけでもない。また、日本語の韻をふんだ歌詞がたくさん出てくる点にも、日本語のロックに対する佐野元春の新しい試みを感じられる。
 この曲は未だにライブでは必ず演奏されるが、アレンジは大きく変えられ、現在はギターのカッティングも激しいロックンロールになっている。

 「情けない週末」はスローなバラード。「パーキングメータ、ウイスキー、地下鉄の壁」というような名詞の羅列が効果的に情景を描写する名曲だ。最後のフレーズ「生活いう、うすのろ」が静かな曲の中に激しく響く。「生活という、うすのろ」を一瞬でも蹴飛ばすことがロックンロールの意味だと僕は思っている。

 特に好きなのは上記の二曲だが、この原稿の為に久々にデビューアルバムを聞き直してみて、その他にも「プリーズ・ドント・テル・ミー・ア・ライ」「グットタイム&バットタイムス」「ドウ・ホワット・ユー・ライク」など、佳曲揃いで驚いた。

 ちなみに「バック・トウ・ザ・ストリート」は、それほど売れなかった。

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