ジョン・レノン−60回目の誕生日に寄せて

■ジョン・レノン・ミュージアムだって?■

 2000年10月9日はジョン・レノンの60回目の誕生日である。もし彼が今も生存していたとしたら60歳になっていたわけだ。でも、僕には老年にさしかかったジョン・レノンの姿は想像できない。こんなふうに書いている僕も38歳になった。19歳の頃には38歳になる自分なんて想像もできなかったし、考えもしなかった。
 ジョン・レノンがこの世に居なくなってから20年が経過した。僕はたいしてヒットしないホームページを運営し、たまにページを見に来てくれる友達や、偶然ここを訪れた見ず知らずの人に向けて、こうしてジョン・レノンのことを書いている。

 先週の朝のテレビニュースで日本に「ジョン・レノン・ミュージアム」なるものが完成したと報じられていた。オープンは10月9日である。僕はこのニュースを見て、なんだか嫌な気分になった。 
 「ビートルズというパターンは捨て去られるべきだ。いつまでも同じものとして残るとしたら、記念碑か博物館になってしまう。この年で記念碑なんてごめんさ。ビートルズが博物館になってしまったら、捨てるか、変えるかしなくちゃならないんだ」とジョン・レノンは発言したことがある。
 今年で60歳になったはずのジョン・レノンはそろそろ記念碑になっても構わない存在かもしれない。でも、博物館的なものを嫌ったはずの彼の遺品がずらりと並ぶ「ジョン・レノン・ミュージアム」が日本に出来上がってしまった。きっとそこは「ラブ・アンド・ピース」な博物館なんだろう。

■ロックンロールの意味■

 ジョン・レノンが「ラブ・アンド・ピース」な人というのは嘘っぱちだ。「ラブ・アンド・ピース」がカップヌードルのCMになるようでは終わっている。誰があんなCMを考えたか知らないけど、ホントに「ラブ・アンド・ピース」なら、ああいう形でお金にしちゃいけない。今や「ラブ・アンド・ピース」はジョン・レノンの肖像をお金にするきれいなラッピングに成り下がってしまった。嘆かわしいことだ。

 ジョン・レノンの姿を湾曲させる商売人に騙されてはいけない。彼の本当の姿は「ロックンローラー」と呼ぶのが正しい。

 「ロックンロール」というのはステキな言葉だと思う。岩のような存在でありながら揺れ動き、硬派でありながら柔軟、そして常に変化を求めること。僕は「ロックンロール」の意味をそんな風に解釈している。とすればジョン・レノンは「ロックンロール」そのものではないだろうか。

 ビートルズになる前は港町の不良、世界的なアイドル、ジャンキー、インドの哲学者、平和運動の旗手的存在、ハウスハズバンド、パッと思い浮かんだけでも彼の変遷はめまぐるしいほどだ。特にビートルズとして活動していた頃の写真を見ると、デビューした62年、サイケデリックな66年、解散寸前の69年では別人のようだ。顔つきもファッションも全然違う。ポール・マッカートニーが比較的変化しないのに比べると、ジョン・レノンの変貌振りは驚異的ですらある。

 「ラブ・アンド・ピース」は一時的なものなのだ。もちろん本気だったと思う(ひょっとしたらその時に一番楽しいお遊びだったかもしれないけれど)でも、それはジョン・レノンの一面でしかない。彼はまず「ロックンローラー」であり、そして「不良」だったと改めて書いておきたい。
 

■ヌートピア宣言■

 「私は概念上の国家、ヌートピアの誕生を発表します。この国の市民権は、ヌートピアを認めることを宣言すれば、誰でも得られます。ヌートピアには領土も、国境も、パスポートもありません。あるのは人間だけです。ヌートピアにはいかなる法律もありません。ヌートピアの人民は、全員この国の大使です。
 ヌートピア大使のひとりとして、国連で我が国および我が人民の承認と外交特権を要求します。」


 1973年にジョン・レノンはオノ・ヨーコと連名で上記の「ヌートピア宣言」を発表している。領土も、国境も、パスポートもない概念上の国家、どこまで本気だったのか分からないけれど、「国境はないんだと想像してごらん」と歌った「イマジン」に通じるものがあると思う。
 イメージするというのは大切なことだ。想像できないことは実現できないからだ。実はジョン・レノンの考えた「ヌートピア」は一部で実現していると僕は思う。それはインターネットだ。

 インターネットにアクセスしている時のボーダレスな感覚、僕らがながめているディスプレイ上には国境はない。こうして僕が不特定多数の人に向けてジョン・レノンについて書いたことを発表できることも、実は驚異的だ。
 少なくとも10年前にはこんなことは考えられなかった。世界中で様々な情報やアプリケーション、音楽、映像、文章をシェア(分け合っている)しているインターネットは改めてすごいものだと思う。もちろん人間のやることだから、様々なトラブルやちょっとした悪意はある。でも、基本的に人間の性善説に基づいて運営されいるのがインターネットだと感じている。ジョン・レノンの唄った「イマジン」は少しずつ実現しつつあるのだ。

■揺れ動き続けること■

 色々と回りくどいことを書いたかもしれないが、ジョン・レノンはこの世には居なくて、彼の作った音楽のみがCDやレコードという形で存在している。
 ジョン・レノンの遺品をながめてセンチメンタルになるのは、とても簡単なことだ。それに遺品は決して「ロックンロール」しない。ただ、そこに置かれているのみだ。しかし、ジョン・レノンの残した数々の唄は、今でも居間のスピーカーから「ロックンロール」して流れてくる。そして、揺れ動き続けることが大切なんだと教えてくれる。

 最後にもうひとつジョン・レノンの言葉を書いて、このお話を終わりにしたい。

 「死んだ人間をあがめたてまつるっていうのが、僕には分からないね。シド・ビシャスやジム・モリスンをヒーローにするのも、僕にすればくだないことさ。僕は生き抜いている人たちを大いに尊敬するね」

(2000.10.18)

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