SANSA/サンサーラ  〜このこの映画を観た後、あなたも旅人になる   2004年 公開映画パンフレット原稿より

Siegfried    © Yu K. 

 奇才、ジークフリートの2作目監督作品“サンサーラ”。この映画には、彼の感性によって切り取られた世界の映像が繰り広げられている。放浪人SANSAは、日本を含め、ヨーロッパ、アフリカなど、10カ国以上を彷徨う。そこでの、さまざまな女性、人との出会い。感性の欲望は、ヴァイオリニスト/指揮者:クリックと交錯して展開していく。そして、街で見かける人々の顔が、風景以上に無数にちりばめられている。そこには際立ったストーリーも無ければ、明確なメッセージも無い。見終わった後の爽快感も無い。撮影は彼の手持ちカメラでのみ行われ、当然CGなどは入る余地などは無く、映像は究極のアナログの世界だ。考えることなく、感性にゆだねる作品。そう、これは彼が感じるままに撮影された映像と、映画を観た視聴者自身の感性で総合的に創られる映画なのだ。

 日本のロケでは、安部譲二、藤谷文子が存在感を持って登場してくる。演技のみならず、役者本人から放たれる魅力。何人かの俳優に納得しなかったジークフリートは、両者を一目見て、すぐに撮影に入ったという。渋谷のセンター街での撮影の時、ゲームセンターから外に発せられる巨大な音で撮影ができない時があった。普通なら、営業時間に音を止めてもらう事など期待できないが、すでに演技に入っていた安部さんの姿を見た店員は、30分以上音を止めて、撮影に協力してくれた。たたずまいと存在感である。藤谷さんも、この映画の中で、一服の清涼剤のように爽やかに通り過ぎて行く。

リヒャルト・ワグナーの楽劇「ニーベルングの指環」。世界中に狂熱的愛好家を有するこの壮大な曲は、全てを演奏するのに丸4晩、十数時間以上を要する。そしてこの楽劇の中核を成すのが、英雄伝説「ジークフリート」。音楽好きの両親から、この名をもらった彼。パリのコンセルバトワールでチェロを学んでいた彼。だから、皆、つい彼をフランス語読みではなくドイツ語読みで、ジークフリート/ジークと呼んでしまう。しかしながら、彼の存在は、ワグナーの描いた英雄とは対極的だ。彼の風貌は、ユニークなどという言葉が霞んでしまう。行動は全く予想がつかず、1時間後には、どこにいるか誰もわからない。3年前に来日した時も12日いなくなったと思ったら、一人で長野の田舎へ行って来たという。支配するのは、いつも彼の感性だ。作家や画家の中には、自分を演ずることによって個性をアピールする人もいる。しかし、彼、ジークは、そのような威圧的な個性ではなく、根っからの変わり者なので、皆を魅了する。そんな彼なので、街中でもいきなり撮影が始まる。日本でもいろいろなシーンが撮影された。全てが思いつくまま、感性のままである。ロケが終了したら、フィルムは33時間にも及び、編集に1年程かかったという。10年後彼が再び編集したら、全く別のサンサーラが出来上がるだろう。

この映画には、とんでもない巨匠が出演している。クリックを演ずるヴァイオリニスト:イヴリ・ギトリスである。彼のヴィルトゥオーソ・スタイルの音楽は「生ける伝説」と称されるように、破格である。そして、クリックはイヴリそのものでもある。この映画で、伝説的な彼の生き様の一端を垣間見ることができるのだ。しかも、天才ピアニスト:マルタ・アルゲリッチが競演している! 実は、これはアルゲリッチが200011月に16年ぶりに東京で行った、大変貴重なソロ・リサイタルの後半プログラム(ギトリスとのデュオ)のゲネプロを撮影したものである。タイミングを計るゲネプロは本番とは異なり聴衆に聴かせる演奏ではないのだが、普段見ることができない映像とともに、その時の演奏も他の映像に大胆にかぶせて使われている。また、長年フランスでクラヴサン奏者として活躍してきた桑形亜樹子がジュンの母親役で登場。彼女のクラヴサンやジャズ・ミュージシャンでもあるジーク本人によるペキュリアーな音楽など、音楽的にも稀有な魅力が加えられている点も見逃せない。というより、この豪華な出演者の名前を見るだけで衝撃的であり、垂涎の映像は、クラシック界では、ほとんど「事件」かもしれない。

この映画を観た後、日頃見慣れている風景が一変して目に映ってくる。街の看板、エスカレーター、電車の風景、街行く人々、小さなスイッチに至るまで、全てが新鮮に見えてくる。外国へ行った時、全てが新鮮なように、異国人の目で日本が味わえる。そう、この映画を観た後、あなたも旅人になるのだ。

Siegfried    © Yu K. 

INDEX