TOP

発火方法
発火法 発火の方法は、・大きく二種類に分けられる。
一つは摩擦式で、木などを擦り合わせ、その摩擦熱を元に発火する方法である。もう一つは打撃式といい、主に石と金属を打撃してその火花を元に発火する方式である。両者ともにその発生は非常に古いと考えられる。

日本では摩擦式発火法は弥生時代以降、打撃式発火法は古墳時代以降多く確認されている。 中世の鎌倉からは「火切り板」(写真右)が出土しているが、火打石の出土事例も多く、中世以降、摩擦式発火法は次第に打撃式発火法に取って代わられていったと考えられている。

江戸遺跡から出土する発火具は火打石と火打金がほとんどで、打撃式発火法が主体となっていた。


火切り板
火切り板 尾崎遺跡(練馬区)


江戸の火打石
火打石とは 火打石とは、打撃式発火方法で使用した石のことである。
したがって石の種類としての フリント=火打石 だけを火打石と 呼ぶわけではない。
石は硬度7以上あればどのような石でも、 鋼鉄と打撃した際に鋼鉄の表面が削れて火花が出るので、 世界各地には他種類の火打石が存在する。

関東では、古代より白色の透明感のある石英質の石がよく利用されている。
江戸で出土する火打石の大半は透明感の強い白色を基本とする石英質の石(写真上)であるが、これは茨城県那珂郡山方町近辺から産出された 「水戸火打石」である。江戸時代に掘り出され、江戸にもたらされた ことが、茨城県にある文献資料(写真下)からも判明している。また、現在でも、山方町では小規模ではあるが、「吉井本家の火打石」の掘り出しが行われている。

他にも少数ではあるが、チャートや黒曜石など別の石材も火打石として利用されていた。渋谷区恵比寿遺跡からは黒曜石やチャートの火打石が、渋谷区・北青山遺跡では 関西方面で出土するチャート質の火打石が発掘されている。また、奈良では、 二上山産出のサヌカイトが、京都では鞍馬山産出のチャートが、讃岐、和歌山では徳島産出のチャートが利用されていたことがわかってきている。

石英
石英

文書1
水戸火打石割る法拡大図(149K)
文書2
奥付け 拡大図(101K)
火打石使用サイクル 火打石は、鋭い稜角が摩耗し、稜部分に擦痕が無数に認められるのが 特徴である。石の稜が全て摩耗し、全面が丸みを帯びると、鋼鉄と 打撃しても鋼鉄片を削り取ることができず、火花が出なくなる。そうした 場合、石を割り、新鮮で鋭利な稜角をもつ小破片を再度作り出す。こうした 小破片は持ちやすい形であれば、最大長が2センチメートル弱のきわめて 小さなものも再利用されている。


江戸の火打金
火打金とは  火打金は、火打石と打撃することにより火花を発生させるための鋼鉄片で、火打鎌と呼ばれることもある。日本では古墳時代以降、出土事例が確認されている。形態により数種類に分類される。

火打金の鋼鉄部分の特徴は、断面形態が先にいくと太くなり、最先端が四角形を呈する点である。これが火打金と包丁類を見分ける特徴となる。火打金の形状は大きく二つに分かれる。 一つは火花を出す鋼鉄部分だけで完結するもので、もう一つは鋼鉄部分が木材に打ち込まれ、手で持ちやすい形状となっているものである。

出土事例では木材部分は腐ってなくなっている場合が多いため、ここでは最初に伝世資料を加えた上で形態的特徴を見ていく。
火打金部分は、山形、ねじり鎌形、短冊形、カスガイ形に分かれる。山形が一番古く(写真右)、また形態的バラエティも豊富で、鎌倉から出土しているものは装飾的な火打金が多く認められる。
頂上部に穴が開いている事例や、そこに金属の輪が通じている事例があり、単独で用いられたものと考えられる。ねじり鎌形は山形に含める場合もあるが、両端部をねじり延ばし、頂上部分で接合しており、比較的小さいものが多い。
この形は古墳時代から存在する。短冊形は鋼鉄部分だけで完結したものである。カスガイ形は木片が付着した事例や民俗事例から、長方形の木材に打ち付けられたかたちで使用されたものである。

江戸遺跡出土の火打金は、カスガイ形が大半であり、文京区・動坂遺跡、千代田区・一橋高校地点、新宿区・尾張藩上屋敷跡遺跡等から出土している。短冊形、ねじり鎌形も少量ではあるが出土例がある。 鋼鉄側面にはたがね打ちで「吉丼本家」「吉女作」等の刻印を持つものが出土しているが、これは江戸時代後半に都市江戸で主流を占めたもので、現在の群馬県多野郡吉井町を出所とする、吉井本家ブランドで製造・販売されたものである。なお、吉井本家が盛んとなるのは江戸後期以降であり、それ以前は江戸では「升屋」、関西では「本家明珍」が盛んであった

火打金
火打金
 由比ヶ浜中世集団墓地遺跡
← TOP