中沢護人 『鋼の時代 』岩波新書 1964年
98/11/10 98M42134 木本研 小林 学
鉄の種類
炭素の含有量に応じて主に三種類に分けられる.
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工業用純鉄(鍛鉄,錬鉄) |
鋼 |
鋳鉄(銑鉄) |
Cの含有量
性質
融点
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0.02%以下(mild steel)
軟らかく粘りがある
1530℃
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0.02〜2.1% (steel)
硬くかつ適度な粘りがある
1400℃
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2.1%以上 (cast iron)
硬く脆い
1200℃
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V石炭製鉄と鉄の科学−産業革命の世紀−
1,石炭による製鉄
○ダービーのコークス高炉
イギリス国内の木材の不足→コークスによる製鉄の需要
1709年アブラハム・ダービーがコールブルックデール製鉄所でコークスによる高炉の操業に成功=蒸気機関による送風.
問題点:木炭銑にくらべて燐と硫黄が不可避的に多くなる.その結果,鋳鉄としては利用できるが精錬して鍛鉄にする場合,木炭銑にかなわない.
○ヘンリー・コートのパドル法(Puddling Process)
鍛鉄:銑鉄を木炭で精錬する.ところが石炭で精錬すると硫黄が鉄に入って汚す.全く違うアプローチの必要=反射炉で銑鉄を溶解する技術は石炭を用いることで可能となる.
1783年:へンリー・コートが反射炉で銑鉄を溶解することに成功.
石炭の反射熱で銑鉄は熔け,火焔の酸素によって炭素が酸化除去され銑鉄は鍛鉄に変わる.鉄は炭素を失うにつれて溶融点が高くなり流動性を失い自力でそれ以上反応する力を失うので,鉄の棒でぐるぐるかき回す(パドリング).この過程で銑鉄と石炭は接触しない.
コートは従来のハンマーによる鍛造だけでなく蒸気機関による圧延と結合した.
この鍛鉄は除滓が容易で,特にパドル鉄または錬鉄(Wrought iron)と呼ばれる.
○ハンツマンのるつぼ鋳鋼法
鋼の用途:刃物やゼンマイ,硬くかつ強靱な可錬鉄
しかし内部に欠陥:半熔状で製造→内部に欠陥(滓)が残留
溶かすと滓は浮上→鋼は純粋かつ均一
銑鉄:1200℃で熔ける
鋼:1400℃以上
融点の低い金属はるつぼ法で熔ける.コークスを使えばもっと高温にできるのでは?
ベンジャミン・ハンツマンが1737年に成功
スウェーデン棒鉄(鍛鉄)を滲炭して,この滲炭鋼をるつぼで再熔融して鋼製品を製造.鋳造できるので鋳鋼と呼ばれる.しかし鋼の価格は依然高いまま.
2,製鉄の科学
○科学と技術
イギリスでは経験によって石炭製鉄を開始.大陸では科学によって製鉄技術を高める.
○フランスのレオミュール
1716年から10年間,製鉄技術について研究.
ドイツとイギリスで秘密にされていたセメント鋼(滲炭鋼)の製法を解明
1722年『鍛鉄を鋼に変える技術(L'art de convertir le fer en acier)』
『鋳鉄を可鍛性にする技術(L'art d'adoucir le fer fondu)』
鉄の強さを知るために引っ張り試験をした.
顕微鏡によって鉄の破面の組織を調査.
焼入れによって鋼が硬化する現象を説明するために物質の内部構造について原子構造論的な仮説を設けひずみの理論を提起した.
○スエーデンの鉄の学者たち
17世紀以来,スウェーデンは政治的紛争の圏外にあって優秀な鉄鉱石と豊富な森林資源を背景に発展.
エマニュエル・スエーデンボルグ
全国各地の鉱山,ドイツ,オーストリア,ハンガリー,低地地方,フランス,イギリス等ほとんど全ヨーロッパの製鉄地を旅行してまわった.
1734年 『原理および鉱山学論』第一巻 『デ・フェロ』(鉄)を出版
クリストス・ポーレム
自国での鉄の圧延を主張.しかしスウェーデンには蒸気機関がない.
スヴェン・リンマン
レオミュールの研究を発展
1782年『鉄の歴史』
鍛鉄と鋼の製造法,焼き入れ,焼き戻し,溶接
鉄の展延性,硬さ,靭性など,さらに熱間及び冷間脆性
合金およびメッキ
→金属材料学の父,しかしフロギストン説を支持
○ドイツのフロギストン説
鉄は酸素と結合し分離するだけでなく,炭素を吸収しあるいは吐き出し,それによって鍛鉄になり鋼になり鋳鉄になる.この炭素がフロギストンに対応.
W鋼の時代−近代熔鋼法の成立−
1,熔鋼法への胎動
ジェームス=ネイルソン(James Beaumont Neilson,1792-1865)
1828年:熱風による高炉操業
ジェームス=ナスミス(James Nasmyth,1808-1890)
1839年:蒸気ハンマーの発明
あれほど革新的だったパドル製鋼法が足かせに.
1830-1840年:鉄道ブーム=鉄を構造用材料として使う.しかし鋼のコストは依然高いまま.
2,ベッセマーの発明,転炉の登場
旋条をつけた砲身の開発.そのためには弾丸が砲身に密着していないと圧が漏れて回転する力を失う.砲身内の圧力が非常に高くなり鋳鉄製の大砲が爆発する可能性大→『鋳鉄のように硬く,錬鉄のように粘りのある砲材』が必要
熔けた錬鉄に空気を吹き込む=炭素が燃えて鋼になる.
もっと吹き込めば錬鉄へ,さらに純粋な鉄へ.
ベッセマーの障害:
@燐,硫黄が鋼をだめにする.ヨーロッパの鉄鉱石の90%は含燐鉱石,パドル法ではある程度除去可能.
A熔鋼法では熔鋼中に酸素が吸収され,気泡を作ってだめにしてしまう.→マンガンを含有する合金(スピーゲルアイゼン)を入れることで解決
3,シーメンス・マルチン法の発明
熔銑の中に鍛鉄を入れて鋼にor熔銑の中に鉄鉱石を入れて酸素で還元するか
→しかし今までのパドル法では鋼を熔融状態にできない.
シーメンス兄弟によって蓄熱室方式の切り替え法
燃焼室の空気を廃ガスの顕熱を利用して予熱(燃焼ガスと空気を予熱しておく)→しかし炉が新しい高温に耐えられない.
1864年,ピエール・マルチンが指導→成功
所定の炭素量になるように銑鉄と屑鉄を配合する.適当な滓を作って鋼の表面を覆い酸化から保護する.
4,裁判所の書記トーマス
ベッセマー法でもシーメンス・マルチン法でも燐と硫黄は除去できない.なぜパドル法で可能なことが,熔鋼法ではだめなのか?
パドル法:1300℃前後
滓の中の五酸化燐は酸化鉄より安定→五酸化燐は滓に残ることが大but
熔鋼法:1600℃前後
滓の中の五酸化燐は不安定→すぐ還元されて鋼の中に
解決法:滓に石灰を入れて五酸化燐と石灰を結合させる.塩基性物質である石灰の多い滓を塩基性滓という.
燐を除去するには強塩基性にすること.しかし耐火用の煉瓦はふつう珪酸質(酸性)であるためたちまち煉瓦はぼろぼろに.
問題の解決
塩基性の耐火煉瓦を作ること.
ギルクリスト=トーマス:塩基性転炉の発明
ベッセマー法+あと吹き(最後に燐が酸化,除去される)
X追いつ追われつ−ドイツ製鉄業の勝利−
1880年代に入り熔鋼は錬鉄(パドル鉄)に完全に勝利.安価で強い鉄を得て社会のあらゆる分野に変化と発展が進行
1,トーマス法のドイツへの導入
燐が少なく珪酸が多いクリーブランド鉱石.しかしこの鉱石はトーマス法には適していない.
→@トーマス法には銑鉄の燐の含有量が多い方がよかった.
Aトーマス法には銑鉄の珪素の含有量が少ない方がよかった
高炉で銑鉄を製造するときに石灰を多くして滓の塩基度を高め,高温で操業して硫黄を滓に取り込み,銑鉄の硫黄を少なくすると,珪素の還元が多くなって,銑鉄の珪素含有量が高くなった.珪素を低くしようとするとどうしても硫黄が高くなる.→矛盾,イギリスは長く酸性法に固執.
ドイツでトーマス法が広まる.ドイツのヘルデ製鉄とライン製鉄の二会社が取り組む.
ヘルデの技師の総帥ジョセフ・マセネツ(Joseph Massenez,1839-1923)
1879年トーマス法の操業に成功=燐を味方に付ける.燐を熱源に.
珪素が少ない銑鉄では生成する珪酸が少ないのでそれだけ石灰の挿入量が少なく,滓の量が少なくてすみ,そのことが決定的な有利に.
独仏国境地帯,ロレーヌ,ロートリンゲン,およびルクセンブルクに無尽蔵に埋蔵され,今まで燐が多いため棄てて顧みられなかったミネット鉱石を重要な製鉄資源に変えた.
→ルール地方,フランスのロレーヌ地方,ベルギー,ルクセンブルクに急速に製鉄業が発展.
2,ドイツ科学の成果
イギリスでは経験に頼る.ドイツでは科学と技術の相互作用
フライブルグ,クラウシュタール,ベルリン,アーヘン,レオーベンの諸鉱山学校での冶金の研究と教育→理論を持った技師が現場へ.
ドイツでは化学と分析が製鉄所では不可欠に
ドイツの製鉄は他のどこよりも科学的で組織的であり,理論が実践の指針として機能した
3,英仏とドイツとの競争
ドイツ:中世の職人の伝統と19世紀に形成された近代科学が結合=巨大な力を発揮
1860年代:ドイツの鋼製品にイギリス製品の商標をつけて輸出.しかし安さと優秀さによって英仏を凌駕.
イギリスは増大するドイツとの競争に勝つために,1887年に制定した市場法でイギリス及びその植民地で販売される全商品に製造国を明記することを定める.
しかし,「Made In Germany」は優秀品の代名詞へ
ドイツの鉄鋼製品,機械,電気機械は世界市場における競争に勝利