動力史論争
石谷清幹(いしがいせいかん)1917年生まれ 大阪大学工学部教授
大谷良一(おおたにりょういち)1930年生まれ 立命館大学産業社会学部教授
石谷が『科学史研究』誌上に発表した一連の論文
石谷清幹「動力史の時代区分と動力時代の変遷」『科学史研究』第28号,1954年4月
石谷清幹「蒸気動力史論 第一報:陸用蒸気原動機単位出力発達史論」『科学史研究』第32号,1954年
大谷良一「動力史の方法論−石谷清幹,田辺振太郎両氏の論稿を批判する−」『科学史研究』第32号,1954年
田邊振太郎「動力史時代区分の方法論について−大谷良一氏の所論についての批判」 同,第34号,1955年
石谷清幹「技術発達の根本要因と技術史の時代区分」『科学史研究』第35号,1955年7〜9月
大谷良一「動力史研究の現代的課題とその技術学的側面について−田邊振太郎氏の反批判に答える−」 『科学史研究』第38号,1956年
石谷清幹「技術における内的発達法則について」 同,第52号,1959年10月〜12月
「次の時代のボイラーはどんなボイラーか」というきわめて実践的な要求
石谷静幹→内的発達の法則.技術内部に矛盾が存在し,その矛盾の中から新しい技術が生まれる.
区分の基準が一定ではなければならない.
@人間の祖先であるサルが人間に向かって進化してきて以来,人間社会の生産力は絶えず増大し続けてきた.
A生産力の発展は動力需要を増大させる.そして動力需要が増大すると,単位出力(W)の大きな動力源が必要になる.この要求が動力を発展させ,新しい動力源を見つけ出し,動力時代が変わる原因を作る.
B各動力時代の中においても動力源の単位出力は増大するが,それには限度がある.ゆえにある段階に達すると,動力需要の増大の方が単位出力増大を追い越し,動力源の単位出力不足が生産力の発展を制限し始める.この制限は新しい動力源により突破され,新しい動力時代に移行する.
C次の時代を担う動力源は,その前の動力時代の間に徐々に育成される.したがって新しい動力時代へ移行に際して,単位出力は連続的に増大する.しかしながら,新しい動力時代における単位出力の増大速度は前の時代のそれよりも飛躍的に大きい.
時代区分
@人力時代=1/14KW
A畜力時代=1.4KW
B風車・水車時代=8KW
C蒸気動力時代=26万KW(1956年)
原子力発電=蒸気タービンを回すことに変わりはない.
次の時代
D原子力と外燃式ガスタービンの時代
技術における内的発展法則
技術の発達を貫く内的な根本法則=動力と制御
動力的技術の制御的技術の矛盾
→動力的技術と制御的技術の分化を無限に推し進める.
大谷・田邊の論争
第一ラウンド
大谷良一
石谷への反論
@動力を単位出力の大きさから捉える.
→一面的.科学・技術・社会の本質的関連を無視
A電力を動力伝達の手段
→電動機が作業機を動かしている.方法論的に原動機と作業機との関連で見ていない.
電動機は直接作業機を駆使
B蒸気機関より蒸気タービンまでを蒸気機関時代としている.
→蒸気機関と蒸気タービン,蒸気機関と内燃機関との質的差異を無視
@〜Bは問題の核心は,石谷氏が,単位出力から見た動力史の分析を,動力史そのものにすりかえ,また田辺氏が,その論理的根拠づけにおいて”転換の量の自然的限界”から最大出力を引き出し,矛盾の一特殊性を矛盾の全てであると誤認したところにある.
動力の発達を引き起こす矛盾.社会対自然の矛盾・対立の激化に従い技術過程に現れる矛盾=原動機と作業機,原動機とエネルギ資源,原動機と場所的制約(立地条件)との矛盾.
時代区分
@人力時代・畜力時代→奴隷社会
A風車・水車時代→封建社会
B蒸気動力時代→資本主義の勝利
C内燃機関,蒸気タービン,水力タービン,原動機体系成立の時代→独占資本の主義成立,その発展の支柱.
D原子力と外燃式ガスタービンの時代→来るべき次の時代.
田辺の大谷への反論
大谷の石谷への反論に対して田邊が応酬
(A)単位出力の規定について
@技術史における諸事象の比重は,結局,再生産への寄与の軽重ではからねばならぬ.
A技術の発展という意味の具体的な内容は,新種の創出,品質の向上,および生産活動における労働生産性の向上である.
B動力技術の場合は労働生産性が発展の内容を規定するから,単位出力がその指標となる.
C単位出力は,その最大値で動力生産技術の高さを集中的に表現しうるしくみを備え,その値の変化の上には技術の発展途上に現れる異質性が正しく反映されている.言い換えれば単位出力の規定は各時代の間の異質性の出現と一時代内の同質性の維持された範囲内での発達の状況を表現する能力を有する.
Dこれを要するに,正しい操作と方法によるならば,一個の量規定の使用も歴史研究において,決して一面的な認識として退けられるべきではない.・・・・・・ただ一個の量規定とても,これを正しく導入して正しく用いるならば,おおいに実践に役立つ.・・・・・・これを極めて弱いとする大谷氏の主張は,いったいどのような根拠に基づく断定なのか理解に苦しむ.
(B)電動機の無視について
@ここで問題にになっている技術は特定の規格にかなったかたちの機械的な運動を取り出す技術,つまり自然のエネルギを取り出す技術である.
電動機は,所詮水車やタービンなどで作ったエネルギを消費のために形態変化させるだけ.動力史にあっては・・・・・・・・動力発生の具体的な諸形態が分析の対象とされ,・・・・・・・・作業機とのつながりの具体的な諸形態はさしあたり問題とされていないし,又されるべきではない.
A道具や作業機への動力配分が機械的な機構によっていた間は,動力発生体はそのまま原動機に用いられていたが,電力技術の出現は動力配分技術にも一大変革をもたらした.
Bしかし配分技術は(電動機)がもたらした動力生産技術上の変革は,蒸気動力を他の動力で置き換えるほどものではなく,往復機関からタービンに変わったことで蒸気動力の製法の変化を生んだだけである.
(C)蒸気機関と蒸気タービン,蒸気機関と内燃機関の差異について
@動力史が動力生産の技術史である限り,内燃機関も動力発生機としての考察に焦点をおいて扱わなければならない.内燃機関は動力生産の主幹へはなり得ない.
Aなぜなら主幹と分岐を分かつ基準は,その技術の属する全生産体系の中にしめる地位であり,内燃機関がもっとも重んぜられるのは運輸であるが,・・・・・・・・内燃機関が用いられている運輸部門が全運輸体系で分担している部分はけして大きな比重を持つものではない.
B蒸気動力発生が動力生産の生産用具としてもっぱら機能の単純化の方向で一途に発達したのに対し,内燃機関が一面では,機械を駆動する原動機の機能と未分化のままで動力消費の特殊形態に適応した多様化に分散して進んでしまった.
大谷の矛盾の捉え方についての批判
@動力生産技術はもとより,一般に技術の発展の原因をなす矛盾は,大谷氏の言うような,また星野氏の言うような,社会と自然との,あるいは人間と自然との,矛盾ではない.・・・・・・・・凡そ事物の発展の原因をなす矛盾は系の内部の矛盾・・・・・・である.技術は社会現象であるから,その発展を規定する矛盾の両項は共に社会の内部のものでなければならない.
A内的矛盾と外的矛盾の取り違え.
B動力源一般では単位出力と動力原料の処理方式との矛盾が根本矛盾であり,熱機関の場合は単位出力とサイクル制御方式との矛盾,蒸気動力発生機の場合の矛盾の特殊形態は単位出力と水蒸気の自然特性を反映させたサイクル制御方式との矛盾である.
大谷の時代区分についての批判
@それぞれの時期の様々な現象をかりてきて区分している.
Aその結果,現代の動力技術が鉄の必然性をもって次の動力技術に転じなければならないという事情を説明できない.
B大谷によると現代は第四期に属するが,その根拠の説明には,動力技術の内的要因が自体がこの技術のそれ以上の発達を阻害するようなになる必然性が示されていない.当然,第四期は永遠につづくかと思えば,不思議にもガスタービンで特徴づけられる第五期がおかれている.
Cだが第5期を特徴づけるものが,ガスタービンではなくて多のものでなければならない根拠,その説明はどこを見渡しても見当たらない.しかもそのガスタービンが内燃式なのか外燃式なのか,両者の併用かも明記されていない.
田辺はこうして,”星野の第二次産業革命や第三の激動期とかの空論もこの類”,と決めつける.
第二ラウンド
徹底的に論破されたかに見えた大谷だったが,なお反論
「動力史研究の現代的課題とその技術学的側面について」『科学史研究』第38号
それに田辺が応戦
「再び技術史の方法について」『科学史研究』第40号
(A)単位出力の規定について
〔大谷〕
今日の動力問題の重点は,単に原動機の単位出力の増大にあるのではなく,エネルギー資源や産業立地との関連でどう捉えるかが重要.したがって動力技術者の努力の重点も使用目的によって,軽量小型,高速,燃料消費率の低減,耐久性の増大などの方向のいずれかに向けられている.
〔田辺〕
単位出力の規定としての重要点を主張したのは,現時点での"努力の重点"というものを根拠としているのではない.また"努力の重点"で"現実に即し"うるかどうか判定して,単位出力の規定を評定する方法論の本質は主観主義である.
(B)動力発生機と原動機の区分について
〔大谷〕
田辺は原動機である電動機を動力史から追放するために"動力発生器"という新語を導入し,動力史の対象を動力発生機と規定した.しかし歴史的にも,現実的にも,"動力発生器"は田辺の言う意味の原動機であるから,新語は必要でない.動力史において,作業機とのつながりはさしあたり問題とすべきでないというが,これは動力技術者の実践的立場とは無縁の考えだ.作業機との関係を考えることなしには設計もできない.
〔田辺〕
道具の機能には作用部と原動部という,二つの側面がある.作用部が原動部からいったん切り離された上で,改めて第3の物体を介して結合されて,機械への移行が始まった.原動機と動力発生機とは,機械が機械として成立した当初はまだ分化していなかった.しかし,そのときの原動機も二つの異なる機能の側面を持っていた.それが後になって,機能の単純化と単能化したものが結合の法則に貫かれて別々の機械になったのである.従来の技術史も技術論も,戦後技術論とかの類もなおのこと,労働手段の内的矛盾の追求には冷淡で,機械と道具の境界さえ満足に確定できないほどだから,大谷が原動機と動力発生機との区別の承認に抵抗を感じるのもわかる.
(C)内燃機関の評価について
〔大谷〕
内燃機関がもっとも重んぜられるのは運輸だけではない.全生産体系の基幹部門である農業生産力の急増は内燃機関出現による機械化である.単に単位出力の大きさ,動力生産量の総計,輸送活動の量などでつかみ得ない.
〔田辺〕
農業における内燃機関の役割は過渡的なもので,やがて電力が取って代わるであろうから,一番上の時代区分の階位で考慮しなければならぬほどのものではない.その上,農業用の総動力消費はもっとも機械化の進んだ国でさえも二割程度にすぎない.大谷は,単位出力や輸送活動量などの使い方を知らない.内燃機関でも,同じ用途の内燃機関どうしの比較では,単位出力増大の法則が貫かれている.
(D)矛盾の理解について
〔大谷〕
単位出力を矛盾の一側面とすることには賛成できない.原動機の根本矛盾は作業物質(水,石炭,石油)と機構(サイクル制御方式)との矛盾である.
〔田辺〕
作業物質と機構は全然別種のカテゴリーで,両者が同一の側面の関係になり得ないもので,大谷の提出する矛盾は内的矛盾とは認められない.一方の項が制御方式という運動の規定であれば,他の項も同じ運動の異なる規定でなければならない.単位出力こそその条件に適応する.大谷の誤りの由来は,技術の矛盾を社会と自然の矛盾にするという星野の考えが根底にあるからだ.技術が自然と社会に条件づけられているのは疑問の余地はないが,技術発達を内的に規定する矛盾は,これとは別のものだ.大谷にはこの点のあやが切れないのだ.
大谷が内的矛盾と外的矛盾をごっちゃにしていて石谷が示した技術における内的発達法則を,全く理解できなかった.