Hounshell,David A., From the American System to Mass Production, 1800-1932,
Johns Hopkins Pr.,1984,Chap.6"The Ford Motor Company & the Rise of Mass Production in America"
98/12/15 98M42134 木本研 小林 学
 
フォードによる自動車の大量生産方式(1908-1915)
フォードのオリジナル,しかし以前の改良から影響をうける
しかし,Singer,McCormick,Popeなどとは対照的.
Fordism-フォードの大量生産方式と労働システム
 
@大量生産方式へ
○背景
自動車産業:アメリカ資本主義の発展と豊富な石油資源を背景に成長,自動車の需要の増大.
1908年頃:高級車全盛時代
20世紀初頭8000台,1910年には46万台に
T型フォードは需要に応えるため増産体制を整える.工場内を整備
多くの加工用機械を自動化,
1913年には一日平均1000台の自動車を生産
1914年には24万8000台を生産→アメリカの自動車生産の半分
 
AFord Motor Company の設立
1903年 The Ford Motor Companyの設立(フォード,三回目の試み)デトロイトのピケット通りに工場を持つ.
普通の値段の自動車を生産(Model A,B,C,F,K,N,R,S)
 
軽く,最良の材料で作られ,十分な馬力を持つ最新のエンジンを搭載した安い車.
 
BT型フォードの誕生(製品の単一化)
1909年,今後は形式をT型だけにして,すべての車種のシャーシを同一にすると声明.すべての部品・機械・工具をT型に合わせて単能化.
→ひとつの目的に特化した工作機械(アメリカン・システム)
 
Walter.E.Flandersの指導(Singerの大量生産を見ていた)FlandersにProduction ManagerのポストFlandersの貢献:材料購入,製造,販売の技術
互換性部品に決定的な役割.互換性部品(すべてが正確に似ている)が大量生産には絶対に必要.
ひとつの機能に特化した工作機械
 
T型フォードの設計(Henry Ford,C.Harold Wills,Joseph Galamb,C.J.Smith,Charls Sorensen など)
エンジン:単純,鋳造されたひとつの部品,4気筒,20馬力,電気点火方式
変速機:フットペダルにより操作される前進二変速,後退一変速の遊星連動装置のトランスミッション
材料:バナジウム合金の使用により,理想的な強度,耐久性,軽さを持つ.
シンプルな設計で簡単に修理できる.
1908年以来18年間にわたってT型という単一モデルのみを生産1500万7033台が生産された.$850から$290へ
 
Cフォードの方法(システム化)
○Guravity Slide
1907年T型フォードは需要に応えるため増産体制を整える.工場内を整備,工作機械を引っ越しさせるのにGuravity Slideを利用.
1910年自動車の部品を斜面を利用して工作機械から次の工作機械へ動かす.
 
フォードの技術者のOperation Sheet:組立をいろいろな要素に分解.必要な材料,道具,ゲージ,等を指示.さらに一連の作業を行うのに適切な工場内のレイアウトを提案.
Sorensenがこの"Operation Paper"に従い,工場内をリフォームする.
William Smith(製粉工場の監督者)
後輪の車軸の軸受け箱を圧搾鋼で作る→鋳造したものより安い
SorensenはT型のできる限りあらゆる部品に圧搾鋼を採用
大量生産方式に決定的な役割を果たした人物
William Smith,John R.Lee,William Knudsen,Charles Morgana,John Findlater,E.A.Walter
 
○ハイランドパーク工場に移転
T型の設計とともに材料購入システムを導入
1906年,T型フォードの設計が完成
デトロイトの北の端にハイランドパーク工場(60エーカー)を建設する(施設が足りないため).
"Daylight Foctory","Crystal Palace" コンクリートで強化された広い窓
○動力:3000馬力のガスエンジン,電気モーターでラインシャフティングの装置を駆動して工場内に分配.さらに5000馬力のガスエンジンを作る.
○検査:標準化された設備で組み立て,標準化されたゲージで検査.一連の連続作業.フォードはけしてエンジンをスタートして検査しない.正しく作り,正しく組み立てれば,製品は正しくなる.
○経済原理:工作機械をグループ化し,仕事を通路に積み上げると経済的にどのように不利に作用するか,工作機械の間をどうやってスムースな流れを作ったか.
 
一連の流れ作業は,ドリルに挟まれたミル,パンチプレスからドリルだけでなく,滲炭炉,バビット合金用の装置まで.
 
○ ワークスケジュールシステム
一台の機械の平均の生産量が100個/日だったとする.5台では平均500個/日になる.もし400個しかできなかったらほかの機械を止める.→材料の搬入から出荷まで計算されたシステム.
熟練を必要としない単能化された労働=速さと正確さを達成
完璧な互換部品への要求.Sorensenが設備と工作機械を新しいものへ作り直すよう提案.フォードの機械設計部門は自分で設計せず工作機械をほかから買ってきていた
クランク軸を研磨する(正確な部品)
1911年プレスによる行程を廃止.代わりに引き抜いた鉄の丸棒を,その赤くなっている端から機械に巻き込ませる.また可鍛性のcast ironをリベットで留める.
 
Dコンベアシステムと動作研究(流れ作業)
○互換性部品の基礎
ホイットニー,コントによる鉄砲制作,各種時計工業,ミシン工業,タイプライタ工業,自転車工業
○標準化と連続自動化と同期化
1908年:車を組み立てることよりも,部品を運ぶことの方が厄介.大小さまざまな部品を雑然と並べたのではスペースをとるし,運搬の際のトラブルになる.Sorensenは部品の大小と組立の時間的順序に従った部品の格納と出納の手順の改善に努力,かなり改善.しかし運搬が最大のネック
 
ライン同期化実験
Sorensenは1908年7月の毎日曜日出勤して実験.
最初はコンベアではなくシャーシをそりに載せて工場内を引っ張る.さらに部品そのものの組立も並行して行われる.=ライン同期化実験
 
1913年:一人の工員が最後まで組み立て(高圧磁石発電機,エンジン,車軸など)
複雑な仕事を単純な行程に分解(ラジエータのフィン取り付けなど)
組立チームがうまく調和するには問題があった.時間内に作業を終わらせなければならない.
遅い人が速く,速い人が遅く作業することで解決.
 
1913年2月:コンベアシステムと重力移動の利用,鋳型の移動にコンベアを用いる(Fig6.15,6.16).
最初はコンベアではなくトレイに載せて工場内を引っ張る.
しかし,1914年〜1915年ではかなり異なる.
→動作研究
 
Westinghouse air brakeで1890年代に砂や鋳物の搬出に行われる.エヴァンスの北デラウェアの製粉工場,シカゴの精肉工場
 
1913年4月1日流れ作業(人間が力でレールの上の製品を押す)によるフライホイールマグネットの組立(16の永久磁石,16のボルト,種種雑多なものによる部品).
作業者は同じ作業を9時間繰り返す.腰を曲げての作業のため背中の痛みを訴える(Fig6.24)→作業台を6〜8インチ上に上げることで解決.
しかし労働者たちの疲労は増大,フォードは作業の遅い人たちを排除するようなシステムを決して容認しなかった.
まもなく技術者たちはチェーンに磁石をつけることで解決.そのペースは労働者に合わせられ,決して急がせることはなかった.
1914年,連続したチェーンでフライホイールを運ぶ.
1335台を一日(8時間)で製造,20man-minutesから5man-minutesへ
 
変速機のコンベア化−Transmission Mechanism,Flywheel Magneto assembly,Transmission Cover
1913年6月変速機のふたをラインオペレーションによって組み立てる.レールをスライドさせる方式から平らなテーブルを移動させる方式へ.
18man-minutesから9分12秒へ
 
さらにシャーシ組立にもコンベアシステムを導入,しかし他の行程以上に複雑.1913年8月までは一定の場所で行う(固定式組立法)
 
1913年11月さらにエンジンへ,しかし事故で作業者が大けがをする→間違えようのないほど簡単な行程,かつコンベアからエンジンが落ちないような安全装置が取り付けられる.
今までのいくつかの組立を統合.
594man-minutesから226man-minutesへ
 
調和された組立行程において最も重要なこと=動作研究時間研究
 
Eフォードの工場とテイラーリズムとの関係
Fredric W.Tayler 『Principle of Scientific Management』(1911)
 
フォードはテイラーとの関係を否定.フォードモーターカンパニーはテイラー抜きで"テイラー化"した.
○FordismとTaylorismとの違い
テイラー:Schmitの話,Schmitは一日に12.5トンの銑鉄をスロープもしくはレールを使って運ぶ.しかし,いつの間にか47.5トンになる.
フォード:銑鉄を運ぶのになぜ,手で運ばねばならないのか?
 
1913年8月:直線通路にそってシャーシをウィンチとロープで引っ張る長さ250フィートの移動式組立ラインの実験.シャーシの流れ作業開始.ロープでシャーシを引っ張る.最適条件は12.5Man-hoursをわずかに下回る程度.しかし実際に試されたのは5.83Man-hours.
 
1914年1月,組立ラインをエンドレスチェーンによって作動させる実験
ラインを上げてみたり下げてみたり速くしたり遅くしたりする.作業員の背の高さに合わせる.
→完璧に同期された操作を目指す.
1914年4月三つのラインが完璧に操作される.1212台/日(8hours),93Man-minutes.
 
問題:熟練労働の排除,労働者は嫌気がさす.辞める者の増加.労働組合結成
会社側は妥協,1913年10月1日最低賃金を$2.34に決める.
しかし,問題は収まらない.さらなる大量生産に労働者たちの不満は高まる(1913年12月).
三年以上働いた者に10%のボーナス.さらにサラリーの額を決める.$3〜$5.さらに1914年一日あたり"5ドル"に引き上げる(平均賃金の倍)
"5ドルの日"は機械の付属物となる人間を確保する"Bonding"Effect.従業員に対する家父長的態度.労働者によけいな重荷を課す.
 
Fフォードシステムの広まり
フォードは自分の工場のシステムを公開.アメリカ工業に急速に浸透(自動車,掃除機,ラジオなどにコンベアシステムが使われる).
 
アメリカ人は新しいモデルを欲しがる→1927年フォードはついにモデルチェンジを決意